『作りたい女と食べたい女』ごはんで通じ合う“百合マンガ”は堅苦しい覚悟を柔らかくほぐしてくれる

『作りたい女と食べたい女』

 例えばホットケーキ。最近のホットケーキミックスは小袋に分けられているとはいえ、その分を一食、ひとりで食べきるのは難しい。ひとり暮らしだと二食に分けて食べなくてはいけなくなる。「私は本当にホットケーキが食べたかったのだろうか……?」と数時間前の自分に問い質したくなるほど、今ホットケーキでお腹が膨れている。

 例えば餃子。餃子を包む作業は好きだ。あの細かなひだを自分の指で寄せ、トレーにひとつひとつ均等に餃子が置かれていくさまは、達成感と比例する。4人前の餃子を包み終わって、その大半を真空パックに入れて冷凍庫にしまおうとする。そして気づく。冷凍庫に以前、包んだ餃子が眠っていたことに。またやってしまった……。それを見ないフリをして冷凍庫にストックだもの、と言い聞かせて餃子を「半永久凍土」にしてしまう。

  こんな私のトホホな例を挙げて、料理をしないひとにもわかってほしいのが、「ひとりぶんだけの自炊」が難しいということだ。いま話題のコミック『作りたい女と食べたい女』において、作家・ゆざきさかおみさんは、この「ひとりぶんだけの自炊」の難しさを今の日本社会で「女性がひとりで生きていくこと」の難しさになぞらえているようにも読める。

シスターフッドマンガであり百合マンガでもある

 例えば、1巻の冒頭にこんなエピソードがある。料理を「作りたい女」である野本さんは、大きな鮭の切り身の入ったおにぎりを作り、お弁当として職場に持っていく。ランチタイムにフレーク状よりもゴロっとした鮭の食感を楽しんでいると、男性社員の無邪気な圧力が、彼女を憂鬱にさせる。「仕事も家事もできるって感じ!」「いいお母さんになるな」「俺も彼女にはお弁当を作ってもらいたいな」ーー。

 ため息のような野本さんのモノローグが重々しく、かつ多くの女性の心を掴んだと私は思った。

「自分のために 好きでやってるもんを 「全部男のため」に回収されるの つれ~な~~…」

 つらいんです。「ひとりぶんだけの自炊」も「女性がひとりで生きていくこと」も!と、野本さんの肩を抱きしめたくなった。

 そして料理好きの野本さんは、マンションのお隣のお隣に住む「食べたい女」=春日さんと出会うことによって、ときどき「ひとりぶんだけの自炊」からも「女性がひとりで生きていくこと」からも解放されることになる。

 このように話の筋はいたってシンプルだ。

 野本さんが(ときどき春日さんも一緒に)たくさんの食事を作って、ふたりで楽しくそれを食べる。それだけと言ったらそれだけだ。しかし作家のゆざきさんは「食べること」に、「生きること」の意味を重ねようとしているのではないだろうか。

 例えば、多くの女性が困難を抱えているといわれている月経に悩まされながらも、私たちは生き抜かなくてはならない。

 『作りたい女と食べたい女』の野本さんもPMS(月経前症候群)はないものの、生理がつらくて動けない。料理好きな野本さんがカップスープで食事を済ませてしまうのだから、その苦痛は推して知るべしだ。春日さんが生理のときの必需品を持ってきてくれるのは、嬉しいだろう。しかし「自立した女性」として「ちゃんとしていない」と野本さんは苛まれる。

「そのままでいいですよ 同じ女なんていないんだから」

 春日さんは野本さんにそう声をかける。「同じ女なんていないんだから、野本さんはかけがえのない存在だ」。私はこの一文をそう読んだ。この言葉こそ、自立している(しようという意志がある)野本さんへの熱烈な愛の告白のようにも思った。

 こんな感じに『作りたい女と食べたい女』はごはんマンガでもあるし、シスターフッドマンガでもあるし、いわゆる“百合マンガ”でもある。

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