スティーヴン・キングはなぜアメリカを代表する作家になったのか? 風間賢二が語る"ホラー小説の帝王”の真実
1974年に『キャリー』でデビューして以来、多くのベストセラーを世に送り出し、映像化も多いスティーヴン・キング。ホラー小説の帝王と呼ばれた彼は、ファンタジーやミステリーへ、文学味のある作品へと作風を広げ、アメリカを代表する作家となった。そのキングを長年論じ、作品を訳してもいる風間賢二氏が、『スティーヴン・キング論集成 アメリカの悪夢と超現実的光景』を刊行した。過去30年ほどの原稿に大幅に加筆修正してまとめた大著である。風間氏にキングの魅力について聞いた。(6月8日取材/円堂都司昭)
――本にも書かれていますが、スティーヴン・キングとの出会いは中編の「霧」(1980年。以下いずれも原著の発表年)だったそうですね。
風間:僕はかつて早川書房の編集者でSFのセクションにいました。同社で『闇の展覧会』というホラーのアンソロジーを出すことになって(1982年刊行)、担当者から「お前は怪奇幻想が得意なんだから読んでごらん」といわれ、「霧」をゲラで渡されたんです。読んだら非常に面白い。キングの「霧」のおかげでポピュラー・フィクションに開眼しました。
もう時効でしょうから言いますが、僕が早川へ入社試験を受けた際、面接で自己アピールのために「怪奇幻想が得意です」とベラベラほらを吹いていた。アメリカのポピュラー・フィクションはあまり読んでいなかったのに、読んでいるふりをしたわけです(笑)。
会社に入ってから「得意ならスティーヴン・キングは知ってるか」といわれ、当時『デッド・ゾーン』の原書が翻訳するかどうかの検討用で置いてあったのですが、警察官の帽子とバッチが本のカバーになっていて地味! クソつまんなそー(笑)と思いました。で、「キングは知らないんですけど」といったら、上司に「面接でいってた話と違うじゃないか」と責められたけど、「現代の作家はちょっと……。19世紀とかもっと渋い作家なら」とごまかしていた。『闇の展覧会』の件はそのあとの話です。「霧」が面白かったから、読まずにいたのはまずかったと思い、『キャリー』までさかのぼって読み始めました。
――一気にキングに引きこまれたんですか。
風間:いや、『キャリー』はまだデビュー作だし、語り口がさまざまな断片の寄せ集めで構成されていて……という感じでイマイチ乗れなかったけど、次の『呪われた町』(1975年)を読んだらオーソドックスな構成で語り口もストレートで、しかも古典的な吸血鬼を現代的にしたということもあって読みやすかった。そして、第3長編『シャイニング』(1977年)がすごく怖かった。海外の翻訳書で本当に怖いと思ったのは、この作品ですね。
当時は『シャイニング』以降の作品はまだ翻訳が出ていなかったから原書で読むようになり、『IT』(1986年)も翻訳検討用の見本が1,200~1,300頁(日本語版は文庫で4分冊)ありましたけど、版権をとるなら早く答えを出さなければいけないから、1週間で読めと命じられ……。
――うわ、私は大学時代に英語の勉強だと思ってキングのペーパーバックを読んでいましたけど、『IT』には3カ月かかりました……。
風間:頑張って急いで読みましたけど、文藝春秋と争って金額で負けました(笑)。なにしろバブル経済期のことですから、当時としては天文学的な版権料になって、さすがにビビリました。
――キングの小説で最もひきつけられたのは、どんなところですか。
風間:1970年代の初期から『IT』や『ミザリー』(1987年)など1980年代までは、B級感覚、悪趣味であると同時にペシミズム、悲観主義で根暗なところが僕の好みにフィットした。同じようにホラー系でベストセラー作家のディーン・R・クーンツも面白かったんですけど、キングとは真逆なんです。
クーンツは『ベストセラー小説の書き方』なんて本を出したくらい職人気質で、語り口もうまいしキングより読みやすい。けれども、「最後に愛と正義は勝つ!」みたいな能天気さ——いわゆる〈社会派メロドラマ〉成分が濃厚で、だから人気があるんでしょうけど、僕はそこが気に食わなかった。その点、キングはしっかりとダークな、ブルーな気持ちにさせてくれて僕の性悪な琴線に触れました(笑)。
編集者時代はSFのセクションにいた後、ファンタジーの文庫をやってモダン・ホラー・セレクションを全部1人でやっていました。クーンツとかロバート・R・マキャモンとか、あんなに面白いんだから売れてもいいのに人気が出なかった。そのうち『リング』(1991年、鈴木光司)で貞子が登場しジャパニーズ・ホラーは盛りあがりましたけど、洋モノはダメ。ホラーはジャンル自体のファンがそれほどいない。
SFファンがちょっとホラーにも手を出し、ミステリー・ファンも触手を伸ばしといった感じで、純粋なホラー・ファンはあまりいない。そもそも昔から、怪奇幻想ファンは300人しかいないと言われていました。まあ、それが英米のモダンホラー・ブームの影響で3000人に増えたていどです。でも、その数で文庫はキビシイ。まあ、それは例えの話で、実際には2万部ぐらいは動いていたのですが、当時80年代は今と違って海外翻訳ものの景気が良くて、他の文庫は4、5万部は売れてましたからね。
――そんななかでキングだけ別格だった印象ですね。1980年代の日本では、まだ大ブレイク前の村上春樹がキング好きを表明したり、ガルシア=マルケス、フィリップ・K・ディックもラインナップに入った北宋社の作家研究読本のシリーズでキングがとりあげられる(『スティーヴン・キングの研究読本 モダンホラーとU.S.A.』1985年)など、ちょっと文学寄りの受けとられかたもありました。一方、相次ぐ映像化ではB級感覚の作品が多くて、キングが脚本で参加したジョージ・A・ロメロ監督『クリープショー』(1982年)では人間がゴキブリの大群に喰われたり。風間さんは、キングの大衆作家の面にひかれたんですか。
風間:そうですね、僕は基本的にフランス文学畑の出身ですから、文学ではない娯楽小説もこんなに面白いのか、と感心しました。でも、同時代のベストセラー作家にジョン・アーヴィングやアン・タイラーは純文系だけど売れているので批評家からバカにされがちでしたけど、キングと比べるとやはりキャラクター造形や心情の描写、話の深みは彼らのほうに軍配が上がる。キングの場合、基本的にストックキャラクター(ステレオタイプ)を用いて、古来の物語パターンやアイデアを借用しているだけです。ただし、それをいかにうまく今日的な観点から読者に巧みに語ることに長けている。まあ、ストックキャラクターということなら、ディケンズの小説もそうですけどね(笑)。戯画化が巧妙なだけです。
――『スティーヴン・キング論集成』では特定地域へのこだわりという点でキングが、ウィリアム・フォークナーの系譜にあると解説されています。彼は自身の出身地であるメイン州を作品の舞台にすることが多いですね。メイン州は都会でも郊外でもないでしょう。どういう場所なんですか。
風間:田舎です。軽井沢のような避暑地で夏になるとニューヨークやボストンなどの富裕層がきて2、3カ月過ごす。カナダが近くて冬の寒さは厳しいから、その時期にはみんな都会へ帰っちゃう。保守的な田舎だし村社会という感じで僕も2回行きましたけど、街を歩いているのはほとんど白人で黒人や東洋系、ヒスパニック系はほとんどみかけませんでした。『IT』では前半に人種差別、ゲイ差別のエピソードが出てきますね。
――風間さんの本では「強烈な仲間意識と他者に対する拒絶反応」と書かれています。
風間:キングが地元から離れず、ずっとメイン州で暮らしているのは、村社会なのでみんな親戚のようで顔なじみだからかもしれない。キングがスター、VIPみたいな特別扱いではなく、散歩していても「サインください!」ではなく「やあ、キングさん」と挨拶してくるぐらいの感じで、私生活を脅かされることはない。そんな風に自由に外を歩き回れる環境だから離れないんじゃないですかね。
――近年のキングは、トランプ前大統領を批判する発言が話題になりましたし、基本的に政治姿勢はリベラルですよね。
風間:60年代カウンターカルチャーの時期に青春時代を過ごしていますから。ホラーは保守的なジャンルなので作品の大枠はその伝統のままですけど、キャラクターでリベラルな感覚が描かれる。でも、その種の登場人物は悲惨な目にあいがち。リベラルな価値観を認めているけど、現実社会ではすんなりとはいかないよといった内容になっています。キングは基本的に民主党支持者。悪人を描く際に、しばしば共和党員をメタファーに使ったりします(笑)。
――複数の視点から描く長大な小説をキングは多く書いてきましたが、膨大な登場人物のなかにそれほどインテリという人は出てきません。
風間:初期から1980年代くらいまで、その種のキャラクターは作家か教師か、自分が体験した職業くらいしか描いていません。ほかに出てくるのはメイン州に住んでいるような普通の人たち、インテリジェントな都会人は出てこない。アメリカ全体でいえば田舎のそういった人々のほうが圧倒的に多いわけだから、共感を得てベストセラーになるんでしょう。
――キングは大ベストセラー作家ですけど、彼の英文はアメリカの小説では一般的なものといえるんですか。
風間:悪文じゃないですけど、純文学のほうからは卑語俗語、会話体の文体がひどいとバカにされて評価されない。統計専門家ベン・フラットがアメリカのベストセラー作家の文章を採点した本『数字が明かす小説の秘密』では、キングは点が低い。小学六年生レベルらしい(笑)。でも、べつに文学通ではない普通の人には読みやすいし、それも売れる要因のひとつでしょう。
――部分的にゴチックやイタリックを使ったり、文字を大きくしたり、キングは字面が派手というか、デザインされた字で擬音を描きこむマンガみたいなノリがあります。雰囲気を盛り上げる楽しい手法ですけど、そんな文字使いを下品に感じる人もいるんでしょうね。
風間:芸術としてタイポグラフィーを用いた言語実験を行う作家もこれまでいましたけど、キングの場合、1960年代のTV番組『バットマン』で画期的だった表現——格闘シーンで「BANG!」とか「wham!」がアメコミそのままに効果音として擬音語が飛び出すとか、ああいうことを小説でやりたいんでしょうね。また、〈意識の流れ〉を視覚化したいとか。
――ただ、長い間の作風の変化としては、キングもある時期からやや文学寄りになってきた。
風間:自作の出版社をそれまでのダブルデイから純文学系のスクリブナー社へかえた『骨の袋』(1998年)や『アトランティスのこころ』(1999年)から変化して、『リーシーの物語』(2006年)や『悪霊の島』(2008年)などはそっち寄りです。昔から読んでいる僕なんかにいわせると、べつにキングの純文学が読みたいわけじゃないし、それだったらドストエフスキーを読むよって感じになっちゃう(笑)。