「新潮」編集長・矢野優が語る、文学の多様性 「100年後まで読まれる大傑作を載せたいと常に願っている」
純文学とエンタテインメントの壁は越えるためにある
――『インディヴィジュアル・プロジェクション』などこれまで矢野さんが担当してきた書籍や、メフィスト賞出身の舞城と佐藤、平野啓一郎『決壊』など「新潮」に掲載されてきた作品をみると、ミステリー要素をとりこんだり、文学とエンタテインメントの融合といえるものが少なくない。矢野さんは純文学の老舗雑誌で長年編集長を務めているといっても、文学ゴリゴリではないですね。
矢野:純文学とエンタテインメントの壁を作家に越えていただくのは、「新潮」にとって編集方針の1つです。純文学とエンタテインメントの間に壁があるのは、事実でしょう。「新潮」と「小説新潮」で雑誌が分かれている物理的な事実もある。でも、読者の頭のなかに壁があるわけではないし、壁は越えるのが面白い。あるいは、壁がない場所にはむしろ壁を建ててみるのも面白い。J文学も結局、面白い壁を建てたと思うんです。個々の作家が互いに気づかずにやっている時に、これは1つの流れですと壁で仕切りを作ってみせたのがクリエイティブだった。
――7月号の「フェイクスピア」もそうですが「新潮」では以前から野田秀樹の戯曲を掲載しているほか、演劇関係の書き手がよく登場する印象があります。
矢野:演劇には舞台に根ざしたシーンがあって、対応する出版社もあり雑誌もある。文芸誌は演劇シーンの中核にはいない。ただ、文芸誌で小説と戯曲が並べば小説が好きな人も読む。極論をいえば、戯曲を小説として読むこともできる。それは豊かな誤読というか、文芸誌にできる面白いことでしょう。そして優れた演劇人が持つ想像力はすごい。「新潮」に戯曲を掲載した野田秀樹さんにしても岡田利規さんや神里雄大さんにしてもそうです。
岡田さんの『三月の5日間』は既に上演がされた後に小説版を「新潮」に載せましたが、どこにでもいる若い男女が円山町のラブホテルにいる話からあんなに豊かな世界が現れる。最初、『三月の5日間』の演劇がとても面白いと感じて白水社の知り合いに「岡田さんは小説書かないよね」と聞いたら、「いや、書くと思うよ」といわれ、すぐ部員が岡田さんにお願いしたのが『三月の5日間』でした。
――演劇に限らず今、書かせたい人は、何人か頭のなかにあるわけでしょう。
矢野:そうですね、この人が小説を書いたらどうなるかと、文芸編集者は思考実験として四六時中考えているでしょう。とはいえ、しばし現実は編集者のアイデアよりもぶっとんでいるので、例えば、蓮實重彦さんが、かつて前衛的な小説をすこし書かれていましたけど、まさかまた『伯爵夫人』という長編を書くなんて思ってもいなかった。きっかけは蓮實さんから突然いただいた一通のメールでした。ゴールデンウィーク中にいつもとはまったく異なる姿勢で机に向かったところ、いきなり物語が降ってきたそうです。
――大御所になった批評家が再び小説を書くとは予想しませんでしたし、三島賞まで受賞するとは。
矢野:一番驚いたのは私です。しかも、三島賞は新人賞ですからね。新たな小説家を見出そうとする際、詩や演劇、映画、音楽、ブログ、SNSとか全部観察対象になる。全部言葉だから。新人賞でデビューしてくれた人はとても大切ですけど、ほかの才能も常に考えている。他ジャンルからのスカウトを問題視する意見は大正時代からありますが、言葉も想像力も文学の独占物ではないのだから、意味のない議論だと感じます。もっというと「新潮」ではノンフィクションでもいい。小説よりもう一段上の文芸という概念は、本当に幅広く、豊かです。一例ですが、「新潮」では、NHKディレクターの国分拓さんの『ノモレ』を掲載しました。一度も文化と出会ったことのないアマゾン原住民を追った番組を撮った人ですが、ものすごく書ける。彼が取材して書いた、まるで「百年の孤独」のようなノンフィクションを「これは文芸だ」と確信して掲載しました。
「新潮」と評論
――新潮新人賞では一時期、評論・ノンフィクション部門を設けていましたが、2007年に終了となりました。「新潮」における評論、ノンフィクションの位置づけは。
矢野:文芸評論はきわめて重要ですが、「新潮」デビューの強力な新しい書き手をなかなか生み出せていないのが現実です。時には作品の抱える根本的な躓きを鋭く指摘するのも文芸評論の役割なはずですが、批評と否定の区別がつかなくなった時代の空気を感じます。ノンフィクションは一見小説の反対概念のようですが、人間存在の本質に迫るものなら、広義の文芸として載せます。最近だと磯部涼さんが「新潮」に連載した『令和元年のテロリズム』が京都アニメーションの放火事件などの深刻な事件を追いましたが、まさに犯罪に人間のむきだしの姿や時代精神が現れます。それはまさに文芸のターゲットです。
ただ、新潮新人賞の評論・ノンフィクション部門の打ち切りとかかわりますが、「新潮」でデビューして画期的な仕事をしたという人を、あまり輩出できていない。2001年からの6年間で受賞者が1回しか出なくて、打ち切りを判断しました。投稿された原稿を全部読んでも可能性を感じられなかった。新人賞で才能をハントしなくても、ほかのやりかたがあるはずだと思ったのですが。結果的に最後の2007年度に大澤信亮さんが受賞してくださったのは本当に幸運でした。現在、大澤さんは小林秀雄の評伝という「新潮」のコアになる重要な仕事をしてくださっています。
――かつて「新潮45」のLGBT差別記事が問題になった際、同じ会社が発行する「新潮」がそれを批判する特集「差別と想像力――「新潮45」問題から考える」を組んだことは(2018年12月号)、文芸誌がジェンダーやポリティカルコレクトネスの問題を意識する1つの節目になりました。今、この問題についてどう考えていますか。
矢野:その特集で星野智幸さんが書いてくださった原稿のタイトルは「危機を好機に変えるために」でしたが、私の思いはそれに尽きます。日本の文学状況が男性中心的であることは目の前のクリティカルな問題ですが、複数の価値観をぶつけあいながら、文学的な内実をともなった多様性を増やしていくしかない。たとえば女性スタッフの問題意識を誌面に直結させるといったことは始めています。8人の女性作家に定期的にエッセイを書いていただくシリーズ企画やエリイさん(Chim↑Pom)の連載などがそうです。やはり、坂上さんが「文藝」で起こしたことは画期的で、それこそシンギュラリティでしょう。そして、川上未映子さんが責任編集された「早稲田文学増刊 女性号」も。
常に「100年後まで読まれる大傑作を載せたい」と願っている
――「文藝」リニューアルでは「韓国・フェミニズム・日本」など、特集が話題になりましたが、「新潮」は特集重視ではないですね。
矢野:「新潮」は企画性で勝負するのか、個の作品の力で勝負するのか。基本的には個の作品の力で勝負したいと考えてきた。それが雑誌らしい編集性の欠如にもなりうると自覚していますけど、作品主義でやってきました。でも、スタッフから良いアイデアがでればやってもらいます。特集「あいちトリエンナーレ・その後」(2020年2月号)は10本以上の記事からなる大型企画でしたが、若い編集者にすべてを任せました。
――日記特集は、何年かごとにやられています。
矢野:もともと僕の思いつきでしたけど、最初にやったのが2009年日記リレー(2010年3月号で特集)で、1週間ずつ52人にリレーしてもらうことを2008年のクリスマスに思いついた。で、大江健三郎さんに27日くらいに「2009年の1月1日から1週間の日記を書いてください」とファックスしたら速攻で「いいですよ」と。ああ、もう後戻りできなくなっちゃったと思いました。1週間ずつで52人に原稿を落とさずに書いてもらって、しかもそれを一挙に発表だなんてやったことないし、編集作業は1年間続く。最初の1人にお願いしたら最後までやるしかない。どうなるかわかんない。
――SNSで言葉が四六時中、飛び交っている時代にあえて雑誌で日記リレーというのが逆に面白かったです。若い編集者には自由にということですが、矢野さん以外の部員は入れ替わっているわけでしょう。どんな部署からきたんですか。
矢野:一番多いのは文芸系ですけど、週刊誌を経験した人がけっこういます。「週刊新潮」、ベテランだと「FOCUS」とか。
――そういう部署にいた人は、感覚は違いますか。
矢野:週刊誌経験者は特有の胆力があって、スピード感が違う。もう亡くなられましたが、小島信夫さんに頼めないかと以前、同僚にもらしたら「じゃあお願いしてみましょう」と、その時いた駅のホームから携帯で電話してすぐ頼んじゃった。僕だと机の前で3日間正座して依頼状を書いて郵便で送ってそこから2日たって正座で電話するみたいなやりかた。
――純文学では恐れ多い大家ってイメージですものね。
矢野:マネできないなと思いました。
――今後「新潮」でやりたいことは。
矢野:編集長任期は基本「一年ごとに更新」なので、いつ辞めても悔いが残らないようにと思っています。バカみたいですけど、100年後まで読まれる大傑作を載せたいと常に願っている。任期残り1カ月でも可能性はゼロじゃない。平野啓一郎さんが「新潮」でデビューしたのは、大学生時代の平野さんが私の前の編集長に手紙を送り、編集長がそれに応えたのがきっかけです。朝吹真理子さんのデビューも大学院生時代の彼女との偶然の出会いがきっかけです。そんなことがいつ起きるか、わからない。今は8月に発売する創刊1400号記念号を準備中しており、大傑作の誕生に備えています。