【漫画】深夜のコンビニ、言葉にできない“あの感じ”がエモい

【漫画】夜のコンビニの“あの感じ”がエモい

 たった4枚12コマからなるマンガが、多くの人をノスタルジックな気分にさせた。タイトルは「夜のセブンイレブン」。そう聞いて、あなたはどんな風景を思い浮かべるだろうか。

 作者の飯島健太朗氏が創作時に考えているのは、「生活を異化したい」という気持ちだという。誰もが経験したことがありそうな、ひとりだけの生活の時間。読む人のその時の気持ちによって楽しくも、物悲しくも読むことのできる作品だ。

 特徴的な絵と、セリフや説明をほとんど排した作品はどのようにして生まれたのか。飯島氏のルーツから、バズった過去の作品についても話を訊いた。(編集部)

夜のセブンイレブン (c)飯島健太朗
夜のセブンイレブン (c)飯島健太朗
夜のセブンイレブン (c)飯島健太朗
夜のセブンイレブン (c)飯島健太朗
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ーー飯島さんは「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」のご出身ですね。漫画を書いてみたいと思ったきっかけを教えてください。

飯島健太朗(以下、飯島):普通にマンガが好きで、小さい頃からマンガを描こうと思っていたんです。絵が上手くなりたいなと美大を目指してた時代がありまして、美術予備校でデッサンとか、絵の勉強はちょっとだけしました。でもマンガはなかなか描けずにいて、最後まで漫画を描いたのはマンガ教室が初めてでした。

ーーマンガ家志望で美大へ進学しようとしていたんですか?

飯島:逃げみたいなもので、マンガが思うように描けないんでとにかく何かしなくちゃって。結局僕は美大浪人中にマンガ教室に入ったんですね。マンガ家になりたい自分と美大を目指して油絵を描いてる自分っていうのがうまく繋がらなくて、教室に行きました。

ーー「ゲンロン」といえば東浩紀さんですが、もともと人文系・現代思想の本がお好きで、マンガ教室へ通うことになったのでしょうか。

飯島:美術予備校に通いながら現代美術を調べているときに、梅ラボさんという方を知って、その方が当時「ゲンロン」の表紙を描いていて読み始めたんです。マンガ教室が行われていることもそれで知って、本当は美大に合格してから入ろうと思っていました。ただそのマンガ教室が来年開講されるかわからない、「ゲンロン」自体も辞めてしまうかもということになって、今しかない!って急いで行くことにしたんです。結局教室は今も続いているんですけど。

ーーゲンロンで出会った谷頭和希さんの連載を原作に「ブックオフ」のマンガも手掛けていますね。

飯島:そうです。谷頭さんはゲンロンの批評再生塾に通われていて、その時から文章を読んでいて、すごく面白いなと思っていました。谷頭さんはチェーン店についてたくさん論じていて、僕もチェーン店に関心があった。僕からマンガ化していいですかって言ったんです。ブックオフの絵を書きたかったっていうのもありますね。

ーー読んだときからすでに絵が浮かんできた?

飯島:描き始めたときもマンガにできるっていう確信がなくて、ただ谷頭さんの文章を漫画にしたいなってそれだけでした。だから文章をマンガにするっていうのにすごい苦労したんです。それに舞台がずっとブックオフ店内で、本を見つけてそれについて突っ込むという繰り返しなので、絵で表現するのがとにかく大変でした。

ーー以前その谷頭さんからのインタビューで“生活フェチ”という話をされていたのが印象的でした。確かにブックオフや松屋、そしてセブンイレブンはどれも生活の中にあるチェーン店ですね。

飯島:意図してチェーン店だけを描いてるわけじゃなくて、生活をマンガにしていたら自然とチェーン店が舞台になってしまったんです。チェーン店をマンガ化したいわけではないのに、このままだとチェーン店をマンガ化する人になってしまう(笑)。次はもう絶対別の舞台にしたくて。今考えてるのは、自動販売機です。

ーー描きたいものは、ふとした時に思い浮かぶものですか?

飯島:そうですね。アイデアというか、こういうの描きたいっていうのは日頃からメモしてます。セブンイレブンも、結構前から「コンビニに行く」っていうのを漫画にしたいと思っていました。もともと僕としては冬の話だったんで、寒い時の感じとかを描きたいなと思っていたんですけども、描くのに時間がかかってしまって。

ーーそうだったんですね。アイデアを実際にマンガにするのに時間がかかってしまった理由はなんですか?

飯島:僕の漫画には物語がないんですが、「コンビニに行く」をマンガにするって考えた時に、自分の中で根拠がないと、ただ単に「コンビニに行く」っていうだけでは、やっぱり描けないんですよ。

 どうすればマンガになるんだろうかって考えていたときに、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』っていう本で、ハイデガーの退屈論が紹介されていたんですね。その中に第一から第三までの退屈が説明されていて、“第三の退屈”で「なんとなく退屈だ」って書かれていた。その言葉と「コンビニに行く」っていうのが自分の中で繋がりました。「別にコーヒーを買いに行きたいわけじゃないんだけど、“なんとなく”暇で出かけたくて、でも深夜でどこにも行くところがないから、コンビニに行ってコーヒーを買う」。これなら描けるなって、そんなきっかけで描き始めることができました。

 最初は本にあったように「やることがなくて、退屈で」っていうような説明を書いてたんですけど、途中で違うなと。そこから文章やページをかなり減らしてあの形になりました。

ーーなるほど。物語はないように見えるけれど、飯島さんの中ではキャラクターが動く根拠がある。説明を省いたとのことですが、説明がなくても"なんともない退屈さ”が十分に伝わります。

飯島:ありがとうございます。実は、もともとは松屋のマンガみたいに、「あるあるネタ」で共感してもらおうと思ってたんです。コーヒーカップに蓋をはめるやつ、あれってすごいはめずらいですよね?

ーーはい。はめづらいです(笑)。

飯島:あのはめづらい様をあるあるで描こうと思ったりしたんですけど、そういうのは描きたくなくなってしまった。もちろん僕の意図通り読んでいただかなくてもいいんですけど、松屋の感想で「共感しました」っていう感想が多くて、僕としてはそれは本質じゃないと。共感したで終わってしまうような漫画ではいやだと思ったんです。

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