新大久保はなぜコリアンタウンになった? 暮らし始めて見えた、多文化共生の難しさ『ルポ新大久保』レビュー
新大久保と言えばコリアンタウンだ。現在では日本にいながら韓国のリアルタイムPOPカルチャーに触れることができる観光地として若い女性で賑わう街と知られている。しかし“観光地”新大久保の賑わうイメージはまだ10年にも満たない。そしてコリアンタウン新大久保としての街の顔も実は30年ほどの歴史しかないことを『ルポ新大久保』から知った。
80年代のバブル期に新大久保のお隣にある東洋一の歓楽街「歌舞伎町」には韓国、タイ、フィリピン、台湾などのアジア系のクラブが乱立し、最盛期には500軒もの店が軒を連ねた。そこで働いていた数多くのホステス(多くは韓国人)が歌舞伎町から歩いて帰れて家賃の安い新大久保で暮らし始めた。そして彼女たちのために韓国の家庭料理を出す小さな食堂が増えて、現在のコリアンタウンの原型が出来上がる。
2002年の日韓ワールドカップによって国内での「韓国を感じられる街」として新大久保がメディアに取り上げられ、翌年の「冬ソナブーム」によって観光地として定着したという。
新大久保は現在では大久保2丁目で住民8071人のうち外国人が2641人で全体の32.7%を占め、大久保通りの南側の大久保1丁目では住民4114人のうち実に40%、1645人の外国人が住む(本書より)、国内でもっとも外国人居住者数の比率が高い街となっている。
本書はそんな新大久保で暮らし始めた著者が、この街で出会う“ジモト”の外国人や日本人と顔を合わせ生活を共にしたルポルタージュだ。
“観光地”新大久保の華やかな通りからすこし路地に入ると、そこには韓国だけではなくアジアの人々の生活の音が聞こえて来る。
近年は日本政府がベトナムからの留学生や技能実習生に対してビザの審査をいくらか緩め入国しやすくした背景もあり、新大久保ではベトナム人留学生など若者が多いという。またネパールやミャンマーなどから来た人々も暮らし、“コリアンタウン”という新大久保のイメージはあくまで“観光地”の顔であったと本書から知ることとなる。
ベトナムの女性は起業してアオザイのガールズバーを営み、同じくベトナムからきた男性はカフェをオープンさせ韓国レストランまでもオープンさせる。またミャンマー人は日本人向けに焼肉屋を始め、ベトナム人向けのフリーペーパーの発行人は韓国人だったりするのだ。
そんな彼らは20代から30代と若い。そこには少子高齢化の日本人社会とのコントラストが色濃く浮かび上がってくる。変わりゆく街に自らも変わろうとする者、変化を拒絶する者、諦めた者。それでも本書に登場する新大久保という“ジモト”で共に暮らす様々な国の人と関わる日本人は一様に明るく前向きだ。
留学生をアルバイトに雇い客の8割が外国人の新宿八百屋、「神の愛とか、世界の平和とか言ったって、いまの時代は誰にも刺さらない」とロックなルーテル教会の牧師、阪神大震災のときには印刷機を担いで神戸に向かい現地情報を印刷し続けた80歳間近の印刷所を経営する女性は外国人の留学生を案内したり、新大久保のイベントや外国人コミュニティなどいたるところに顔出す。
また外国人が集まることで生活必需品やそれぞれの国の食材の店、日本で暮らすための情報や手続きのサポートなど、生活上のインフラが新大久保ではビジネスとなっている。
部屋を借りる上で必要となる家賃保証の会社、コンビニよりも多い海外送金会社、ビザの更新や申請の手助けとなる行政書士など、日本の他地域でも外国の人々が暮らす上で何を望まれているのかを知る上で新大久保の生活インフラは参考になるのではないか。
一様に前向きに見える外国の人々だが、日本で暮らす上での難しさも本書から窺うことができる。例えばなぜ行政書士が必要かといえば、それは日本で暮らす上で様々な申請書類が必要になるからだが、それだけでなくビザの更新や申請には「理由書」なる書類も必須だという。「なぜビザを更新したいのか」「なんのために国から子供を呼ぶのか」といった理由を申請書類と合わせて提出しなけば申請をハネられてしまうという。しかしこの「理由書」が必要だとは入管法(出入国管理及び難民認定法)のどこにも表記されていないのだ。そんな“一筆添える”ような「日本的呼吸」は外国人には理解が難しい。
また外国人の就労には在留資格が必要になるが、人手が欲しい日本企業が在留資格をでっちあげて申請し、本来の業務ではない仕事を外国人に低賃金で働かせ摘発され、被害者であるはずの外国人も加担したとして帰国させられるということが起きている。
そのほかにも外国人が在留資格を偽って自国での在職証明を偽造していたことが大量に発覚して日本の在留資格の取得が難しくなるなど、当局からは〇〇人として一括りにされてしまい生活や仕事に影響がでてしまうこともあるという。