なぜ将棋の世界に女性プロ棋士はいない? 綾崎隼『盤上に君はもういない』の問いかけ
飛鳥のように、最上の環境で育まれ、まっすぐに突っ走ってきた才能が、挫折を経験しようとも折れず、ライバルに勝とうという執念を燃やし前に進み続ける姿に憧れる。稜太のように、天才でありながらも尊大にならず、自分にはない情熱に惹かれ、理解されない恋情を届かせようと頑張る健気さに微笑む。そんな楽しみ方ができる。
そして夕妃のように、病弱で入院していた時に仲良くなったアンリという子供から将棋を習い、のめり込みながらも医者になることだけを父親から求められ、家を捨てプロ棋士の内弟子となって以後、病気と戦いながら奨励会三段にまでたどりついた生き様に、自分の好きを通し抜く強さを感じたい。同時に、それから後の夕妃が見せてくれた、将棋よりも心の深いところに根ざしている、思いを貫き続ける尊さを感じ取りたい。
2020年10月からの第68回奨励会三段リーグでは、第66回で昇段まであと一歩と迫りながら、3位の次点にとどまった西山朋佳三段に加え、中七海三段が新たに参加して、2人の女性三段が昇格を競い争うことになった。まさに亜弓と夕妃の関係だ。西山三段は、第67回で終盤に8連敗と崩れ昇段できず、作中で示された研究される怖さ、女流三冠でもあって奨励会での戦いだけに集中できない難しさといった、女性のプロ棋士誕生を阻む要因を、身を以て見せてしまった。今期、ライバルの登場で変化は起こるのか。見どころだ。
綾崎隼には、『ノーブルチルドレンの残酷』 (メディアワークス文庫)から始まるノーブルチルドレンシリーズが著作にあって、そこでは東日本の財界に強い影響力を持つ舞原一族と、病院や医大を傘下に持って、北信越の医局を束ねる千桜一族にそれぞれ生まれた少年と少女が惹かれ合うという、現代版『ロミオとジュリエット』のような物語を紡ぎ続けている。
『盤上に君はもういない』の夕妃が、父親から医者になるよう強く言われていたのも、この千桜一族に連なるひとりだったからだ。
第16回電撃小説大賞で選考委員奨励賞を受賞したデビュー作『蒼空時雨』(メディアワークス文庫)から続く「花鳥風月シリーズ」や、高校サッカーがテーマとなった「レッドスワンサーガ」、『世界で一番かわいそうな私たち 第一幕』(講談社タイガ)からの「静鈴荘シリーズ」にも、舞原や千桜の人々が登場する。異なるシリーズでありながら、重なった背景が綾崎隼の作品にはあって、知っていると登場人物たちの生き様に、より深く興味を抱けるようになる。機会があれば手にとって欲しい。
■タニグチリウイチ
愛知県生まれ、書評家・ライター。ライトノベルを中心に『SFマガジン』『ミステリマガジン』で書評を執筆、本の雑誌社『おすすめ文庫王国』でもライトノベルのベスト10を紹介。文庫解説では越谷オサム『いとみち』3部作をすべて担当。小学館の『漫画家本』シリーズに細野不二彦、一ノ関圭、小山ゆうらの作品評を執筆。2019年3月まで勤務していた新聞社ではアニメやゲームの記事を良く手がけ、退職後もアニメや映画の監督インタビュー、エンタメ系イベントのリポートなどを各所に執筆。
■書籍情報
著者:綾崎隼
出版社:KADOKAWA
https://www.kadokawa.co.jp/product/322002000999/