IT革命、ケータイ小説、ライトノベル……“ゼロ年代”に文学はどう変化した? 文学批評の衰萎と女性作家の台頭

文学にとって“ゼロ年代”とは何だったのか

 また、2001年9月11日にイスラム過激派がアメリカで起こした同時多発テロが世界にインパクトを与えたのである。アメリカを主体とする有志連合は対テロ戦争の名目でアフガニスタン、イラクを攻撃し、日本もその姿勢を支持し自衛隊を派遣したが、世界各地でテロが頻発した。それに対し日本でも、岡田利規「三月の5日間」(2005年)など戦争をテーマにした作品が発表されたのである。

 テロ防止を理由に各国で監視社会化が進んだ。テロ不安に加え、外国人や少年の犯罪が実態以上に報道されたせいもあって日本でも、防犯を理由に街で監視カメラが増加した。先に触れた『シンセミア』には盗撮グループが登場し、監視のモチーフも盛りこんでいた。同作は経済をめぐる戦後文学であり、9.11テロ後の戦時下文学でもあったのだ。この種の問題意識は、2001年の東日本大震災と原発事故、また右傾化や差別といった政治的主題に対峙した3.11後の文学に引き継がれる。

 売れ行き不振という点では、1998年から純文学の存在意義に関し笙野頼子を軸にした論争が展開された。なかでも彼女への反論で書かれた大塚英志「不良債権としての「文学」」(「群像」2002年6月号)は、話題になった。出版社の商品としては売上げがマンガに劣る純文学の地位に触れ、その流通策として文学のフリーマーケットを提案した。実際、大塚が発起人となって2002年に同人誌を販売する第1回文学フリマが開催され、第2回以降も有志の事務局によって継続されている。その規模は次第に拡大してきただけでなく、東京以外の地方でも催されるようになった(今年はコロナ禍の影響を受けているが)。

 小説を書きたい人が大勢いると可視化した点は、ネット投稿小説と響きあう催しかもしれない。また、文学フリマは素人の同人誌が大半だが、それだけではない。ゼロ年代には論壇誌が次々に休刊し、文芸批評に関しても1980年代のポストモダニズム隆盛以降に保っていた影響力は失われた。このため、自前のメディアを立ち上げた批評家が文学フリマに参加したり、プロの小説家が商業的要請から離れて書いた作品を発表する機会ともなった。そうした試みが商業ベースの活動に還流するなど、文学を多少なりとも活性化する場になっている。

 また、出版不況への対策として大きな出来事だったのが、2004年の本屋大賞創設である。作家や評論家が選考する文学賞は多いが、すべてが芥川賞、直木賞のように売上げアップをもたらすわけではない。それに対し、書店員の投票で売りたい本を選ぶのが本屋大賞であり、候補作と受賞作の決定が、店頭の本の並べかたに直接影響する。このイベントは毎年恒例となり、すっかり定着している。

 一方、同賞スタートと同じ2004年の第130回芥川賞では19歳・綿矢りさ『蹴りたい背中』、20歳・金原ひとみ『蛇にピアス』が最年少受賞記録を更新し、大きな反響を呼んだ。2人とも若い女性であったことからアイドル的に扱われ、芥川賞が客寄せ効果のある商業イベントであることをあらためて印象づけた。

綿矢りさ『蹴りたい背中』
金原ひとみ『蛇にピアス』

 この2人もそうだが、女性作家が多く登場したのもゼロ年代の特徴である。島本理生、本谷有希子、絲山秋子、村田沙耶香、山崎ナオコーラ、津村記久子、藤野可織、川上未映子などがデビューした。第1回本屋大賞を『博士の愛した数式』で受賞した小川洋子のほか、角田光代、川上弘美、多和田葉子など、それ以前から活動する作家の活躍も目立った。

 考えてみれば、2001年に17歳で文藝賞を受賞した綿矢のデビュー作『インストール』は、登校拒否の女子高生が小学生男子と組み、古いコンピュータで風俗チャットのバイトをする話である。この時代の言葉のありかたを象徴するような物語だ。

 文芸批評については近年、男たちのホモソーシャルな世界であることがよく批判される。その影響力が低下した時期と、女性作家の台頭の時期が重なっていたことは興味深い。そして、今ふり返ると、現在の文学をめぐる状況の多くが、ゼロ年代に用意されていたことに気づくのだ。

■円堂都司昭
文芸・音楽評論家。著書に『ディストピア・フィクション論』(作品社)、『意味も知らずにプログレを語るなかれ』(リットーミュージック)、『戦後サブカル年代記』(青土社)など。

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