『邦人奪還』著者・伊藤祐靖が語る、自衛隊特殊部隊員のリアル 「理念がはっきりしていれば、現場の人間は悩まない」

『邦人奪還』著者インタビュー

訓練し続けることが平時の軍人のあるべき姿

――話せる範囲で構いませんが、そういった訓練を積んだ特殊部隊員が、これまで実戦に投入されたことは。

伊藤:「実戦」という言葉の範囲は、なかなか広いんです。いわゆるスクランブル対応も入れるならば、私が現場に立ち会った能登半島沖不審船事件も「実戦」ですし、航空自衛隊のスクランブルもありますよね。ただ、狭い意味での「実戦」……他国の軍隊と交戦状態になって、負傷または、死亡したという意味での「実戦」は、特殊部隊に限らず自衛隊員は、ただのひとりもないです。

――そのあたりにジレンマのようなものがあるのでは?

伊藤:それは逆に言うと、日本のみならず、平時の軍人にとって永遠の悩みなんですよね。実戦経験のある軍人というのは、日本に限らず、今は非常に少ないわけですから。ただ、実戦経験がないからダメなのかと言ったら、そんなことはない。宇宙飛行士を例に挙げるなら、宇宙にまだ一回も行ったことがない宇宙飛行士は、全員ダメだという話ではないですよね。そもそも宇宙なんて、最初は誰も行ったことがなかったわけです。かつてNASAはアポロ計画のとき、宇宙で何が起きるのかを徹底的に洗い出して、そのために必要な技術をリストアップして、それを何とかして習得しようとしました。そして、いろいろ失敗もしつつ、最終的には月に行きました。つまり、経験がないからダメではなく、本番のときに「大丈夫だ」と思えるような訓練がちゃんとできているかどうかが大事なんです。ある日、それが突然現実になったとき、自分たちの準備は間違っていなかったと思えるための訓練を日々し続けること。それが平時の軍人のあるべき姿であって、それはどんな時代でも、どの国においても変わらないと思います。

――伊藤さんは訓練の重要性について、これまでの本の中でも繰り返し言及しています。訓練のための訓練になっては意味がないと。

伊藤:そうです。何度か「逮捕術を教えて欲しい」と言われたことがあります。私は逮捕術は知らないのですが、私の技術が参考になればということで、伺うと必ず道場に通されるんですよ。参加者全員、道着を着ていて。で、「この中で、逮捕の経験がある方はいらっしゃいますか?」と聞くと何人も手を挙げるんですけど、「逮捕したのは道場でしたか?」「そのとき道着を着ていましたか?」と聞くと、みんなだまってしまうんです。つまり、その訓練では、実戦において最も大切なことが抜け落ちてしまっている。

――まさに、訓練のための訓練になってしまっていると。

伊藤:似たことは、自衛隊や警察のみならず、どこの世界にもあることだと思うんです。練習することで安心してしまって、そのやり方を変えることを嫌がったり。それは学校や会社だって同じですよね。

――たしかに。本書は非常に特殊な人々の物語であるにもかかわらず、その考え方や哲学が、ごく普通の読者にとって、非常に共感できるものになっているんですよね。

伊藤:そうであったのなら、嬉しいです(笑)。舞台になっているのは、尖閣の魚釣島だったり北朝鮮のムスンダリだったりしますけど、そこに自分が行っているつもりになって疑似体験することで共有できることは多いと思います。、実生活にも使える方法を得ていただいたり、何か議論するきっかけになったら、書いた甲斐があったと思います。

トップの理念のあり方

――本書の中で非常に印象的な台詞があって。先ほど話にも出てきた「天道1佐」が、官房長官に部下を出撃させる理由を問われて答えた「我が国の国家理念を貫くため」という言葉です。

伊藤:そう、理念がはっきりしていれば、現場の人間は悩まないんです。だから、本作の主人公である藤井3佐は、自分の行動にまったく迷ってないですよね。それを大変な任務とすら思っていない。それは、藤井が優秀なのではなく、現場の人間は誰でもそうなんですよ。それを混乱させるのは、現場を知らないトップの人々でして……トップの理念さえはっきりしていれば、現場はパニックにならないはずです。

――自衛隊のみならず、どの組織においても言える話ですね。

伊藤:高校野球でたとえるならば、甲子園に行くという目的がはっきりしていれば、自ずとやることは定まって、議論すべきところも明確になっていきますよね。この選手を将来的に大リーグに送り出すため、だとしたらまた違う話になってくるかもしれないですけど、甲子園に行くためだったら、わかりやすい。それが「理念」だと思うんです。自分たちは何のために行動しているのかという。特殊部隊の場合は特に、人の生死がかかってくるわけですから、それがなかったら困りますよね。だから天道1佐は、官房長官に向かって、その理念の部分を問うているわけです。

――そうなると、翻って今の政権には、果たしてどんな国家理念があるのだろうと考えてしまいますけど……。

伊藤:もしかしたら、それは政権が決めることではないかもしれないですよね。内閣総理大臣が変わったら国家理念も変わるとか、そういうものではないと思います。むしろ、それはみんなで決めていくものだと思うんです。我々は何に美徳を感じで何を嫌だと感じるのか、そしてどこを目指しているのか。大雑把でもいいから、国民ひとりひとりが、それについてもっと考えたり議論したりするべきなのかもしれないです。国家理念というのは、本来そうやって生まれるものですから。

――ここまで話してきて改めて思いましたが、本書は一見すると「イデオロギー」色の強い物語のようでいて、実は汎用性の高い「現場のリアリズム」を描いた作品なんですよね。

伊藤:私、イデオロギーなんてないですから(笑)。そんなものは、どうでもいいと言ったら語弊がありますけど、イデオロギーというのはあくまでも方法論であって、この国を良くするためには、どういう考え方がいいのかという話だと思うんです。先ほどの高校野球のたとえで言えば、彼らの目的は甲子園に行くことですよね。で、そのためには守備主体のチームがいいのか、攻撃主体のチームがいいのか……もちろん、そこで議論はあってしかるべきだと思いますが、どの考え方でいっても目的は一緒なんですよ。甲子園に行くことが目的であると。私はイデオロギーというのも、それと同じようなものではないかと思っているんです。

――なるほど。

伊藤:私がこの本で書きたかったのは、どの考え方がいちばんいいとかではなく、トップに理念がないことによって困ったことになる、現場の人たちの話です。特殊部隊のみならず、トップに理念がないことによって、みんなちょっとずつ困っているから。

――奇しくもそれは、依然としてコロナ禍の只中にある、私たちの現状にもリンクする話ですよね。何のための自粛なのか、まずはその理念をはっきりさせてほしいという。

伊藤:そうですね。「何々のため」がブレなければ、現場でどのような変更があろうと問題ないんです。軍事作戦はその最たるものであって。いつどこで誰が何をするのか、その時々の状況によって、どんどん変わっていきます。このやり方ではうまくいかなかったから、現場判断でこういうやり方に変えましたとか、まったく問題ないんです。それはブレるとは言わない。だけど、それが何のための作戦なのか、何を達成するための作戦なのかっていうのは、絶対変えてはいけないところです。

伊藤祐靖『邦人奪還:自衛隊特殊部隊が動くとき』

■書籍情報
『邦人奪還:自衛隊特殊部隊が動くとき』
伊藤祐靖 著
発売中
出版社:新潮社
価格:1,760円(税込)
新潮社公式サイト:https://www.shinchosha.co.jp/book/351992/

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