コロナ禍でも業績アップ、ニトリはなぜ危機に強いのか? 似鳥明雄会長の豪快な人生と超効率的なビジネスモデル

コロナ禍でも業績アップ、ニトリはなぜ危機に強いのか? 似鳥明雄会長の豪快な人生と超効率的なビジネスモデル

 コロナ禍の巣ごもり消費、リモートワーク需要の高まりなどからニトリが絶好調だと日経新聞や経済メディアで報じられている。時代の流れがニトリに味方して業績を伸ばした部分がゼロとは言えないが、ニトリについて書かれた2冊の本を読むと、決して偶然の産物とは言えないことが見えてくる。

 たとえば実は、ニトリはリーマンショックのあともセールを行い、業績を伸ばしている。なぜニトリは危機に強いのか? 北海道のよくある家具屋にすぎなかったニトリが東証一部上場企業、30年以上の連続増収増益という記録を打ち立てられたのはなぜなのだろうか?

高校には裏口入学、入ったあともカンニングで進級

似鳥昭雄『ニトリ成功の5原則』(朝日新聞出版)

 その答えを探る手がかりとなるひとつめの本は、ニトリホールディングス会長の似鳥明雄氏が日経新聞の名物連載「私の履歴書」に語ったものをまとめた『ニトリ成功の5原則』だ。

 この本はなかなか豪快だ。ニトリを創業してしばらく経つまで失敗続きだったという似鳥会長の半生が序盤に書かれていくのだが、本文が始まって2ページ目で、受けた高校は全部落ちたが母親が落ちた高校の校長に米俵を一俵贈って補欠合格にしてもらった、高校に入ったが勉強はまったくわからなかったので試験のたびにカンニングしていつもギリギリで進級していた、とぶっちゃけるのである。

 東証一部上場企業の創業者で現・会長がこんなことを語るのは、このコンプラ重視社会下では珍しいのではなかろうか。似鳥会長は1944年生まれで、裏口入学の重みもカンニングの重みも今日とはまったく異なるにしても、なかなかすごい。

 こうしたエピソードから似鳥会長が伝えたいのは、成功するのに学校の勉強の成績なんか関係ない、自分は35歳でようやく目覚めてそこからニトリを拡大させていったのだ、ということだ。そして本のタイトルにある成功の5原則、すなわち「ロマン」「ビジョン」「意欲」「執念」「好奇心」があれば誰でも成功できる、と語る。

 似鳥会長は流通業界では知らぬ者のいないコンサルタント、故・渥美俊一の主宰するペガサスクラブに1978年に入会し、アメリカに視察に行って彼我の豊かさの差に愕然とし、30代半ばになって「日本の人々をゆたかにすること」を働く目的に据えたことで、今まで「なんとか食っていければいい」程度で閉店間際に客が来ても追い返すくらいの働き方だった事業、人生のすべてが変わった、と言う。

 このあたりは自己啓発セミナーの体験談やスピリチュアル系ビリーバーの告白に似ていると感じる人もいるだろう。ともあれ、なまじ学校教育に適応できた計算高く常識的な秀才たちとは違って、渥美俊一に「常識の100倍のスケールで発想しろ」と言われて「そんなの無理だろ」と思わず愚直に目標を「100店舗、売上1000億円」と決め、そうするためのアイデアを社員とともにひねり出していった――本によると、似鳥氏がロマンやビジョンをぶちあげたけれども具体的にどうするのか示さないので、今ではニトリの社長になった白井俊之氏らが「俺たちがやらなきゃ」と具体策を考案していった、とある――、その素直さが成功要因だったことは疑い得ない。

 ただ別にニトリは根性論、精神論だけで成功したわけではない。その巨大な目標を実現するための行動、方法論に良い意味で執着しなかったからだ。言いかえると、世の中の変化に迅速に対応してきたからだ。

 似鳥氏は現状の方法論や慣例にまったくこだわらず、良いやり方だと思ったら朝令暮改を厭わずやってきたという。言われた側の現場は大変だが、しかし、世の中の変化の速度に会社の変化の速度が遅れを取るといずれその組織は終わっていく。そして事業環境の変化を予測し、不況に備えてきた。

 これはアイリスオーヤマなどとも共通するが、ニトリもまた、バブルはいつか弾けるし、不況はいつか来ると思って備えをしていた。だからリーマンショックのあとには一気にセールをやってむしろ売り伸ばしたし、今回のコロナ禍のような突然の不況に転じたときこそ、好況期よりも安い資金で出店攻勢に出られるよう準備をしているのだ。(参考:マスク生産で注目、アイリスオーヤマはなぜ危機に強いのか? オイルショックで見出した経営哲学

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