マインドフルネスの次はコンパッション? アメリカで仏教の影響が強まるワケ

マインドフルネスの次はコンパッション?

 世界中にマインドフルネスの概念と技法を広めたチャディー・メン・タン『サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』(英治出版)。その著者が太鼓判を押す、やはり禅の教えとプラクティスを神経科学、心理学的に裏付けながら書かれたジョアン・ハリファックス『Compassion(コンパッション) 状況にのみこまれず、本当に必要な変容を導く、「共にいる」力』(英治出版)が翻訳刊行された。

 タイトルになっている「コンパッション」とは、一般的には慈悲深さ、思いやりという意味の言葉だが、本書では「共にいる力」というニュアンスを込めている。実は『サーチ・インサイド・ユアセルフ』にも「思いやり」(コンパッション)について書かれた章があり、マインドフルネスだけでなくコンパッションも必要だ、というのが『サーチ・インサイド・ユアセルフ』と『コンパッション』の共通した主張になっている。

 そして『コンパッション』はマインドフルネスとはまた別のアメリカ仏教の特徴を表している本でもある。

アメリカでの仏教の広がり

 シリコンバレー生まれの仏教研究者で浄土真宗の僧侶でもあるケネス・タナカが2016年に刊行した『多様化する現代社会と浄土真宗』によれば、アメリカでは約350万人が仏教徒であり、全人口の約1.2%を占めるアメリカ第3の勢力を誇る宗教であり、遠からず現在は第2位のユダヤ教(2%)を抜くだろう、と書かれている。

 もちろん第1位はキリスト教で75%を占めている。ところが「キリスト教徒やユダヤ教徒だが、瞑想法をはじめとする仏教の行・プラクティスを採り入れている」という人間も少なくない。「ナイトスタンドブッディスト」と呼ばれる、寝室で夜寝る前に仏教の本を読み、朝起きて瞑想するが特に仏教徒だとは自認していない層が約200万人いると推測されているからだ。さらにこれに加えて『TIME』誌は2500万人が「仏教に強く影響を受けている」という調査を発表したことがある。合わせると7~8%にも及ぶ人が仏教になんらかの影響を受けている。しかし、なぜそれほどまでに受け入れられているのか?

マインドフルネスブームの背景

チャディー・メン・タン『サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』(英知出版)

 ケネス・タナカの『アメリカ仏教』によれば、アメリカ仏教にはいくつか特徴がある。

1.実践的なメディテーション重視によってスピリチュアリティの高まりを求める声に応える

 たとえば教義よりも座禅や呼吸法のような実践的な行・プラクティス、メディテーション(瞑想)の重視。

 これと他の宗教を排除しないというスタンス――『サーチ・インサイド・ユアセルフ』を読めばわかるが、キリスト教徒やユダヤ教徒でありながら禅の修行を積んだ人たちが当たり前のように登場する――があいまって、信仰に篤い人たちを中心とするスピリチュアリティ(個々人の聖なる体験)の高まりを求める需要に合致した。

 キリスト教などの西欧の既成宗教は、近代以降にそれ以前まではあった行・プラクティス的な要素を削ぎ落とし、理屈で理解できる教義を重んじる方向にシフトしてきたため、その部分を積極的に提供してくれる仏教がフィットした。

2.神経科学や心理学の重視によってエビデンス重視の人たちを捉える

 信仰に篤い人たち以外の、一応キリスト教徒とは言っているものの世界の創造主の存在やキリストの復活といったことは信じられないといった感覚の人たちには、「神経科学や心理学の重視」というアメリカ仏教の特徴が効果的に作用した。

 『サーチ・インサイド・ユアセルフ』でも『コンパッション』でも、禅の教えやプラクティスがいかに神経科学や心理学的に裏付けられているか、ということが綴られていく。

 大乗仏教の経典には釈迦がビームを発射するような描写があったり、浄土真宗では阿弥陀如来による死後の救済が信じられていたりする。そういう物語は信じないという人であっても「この瞑想法は科学に裏付けられている」と言うことによって、リラックス効果を得る手段、集中する技法として仏教由来のプラクティスを取り入れやすくなっている。

 マインドフルネスはこの1と2、メディテーション重視と科学の重視のおかげで広まったと言っていい。

 余談ながら「こんまり」こと近藤麻理恵を迎えて制作されたNetflixの番組の成功の秘訣をプロデューサーは「スピリチュアリティ」にある、と言い、こんまりの著作はアメリカのAmazonでは「仏教」カテゴリにも入れられている(辰巳JUNK『アメリカン・セレブリティーズ』参照)。こんまりが仏教的かどうかはともかく、「ときめくかときめかないかで要不要を判断し、捨てるものに対しても感謝の気持ちを捧げてから捨てる」といった宗教的な教義なきプラクティス、内面的な体験性の重視という意味では多少は通じるものがあるのだろう。

 話を戻すが、ただしコンパッション(慈悲/思いやり/共にある力)を説く理由は、1..メディテーション重視と2.エビデンス重視だけでは説明できない。

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