ロボット研究者・石黒浩が語る、“人間らしいロボット”の現在地 「ロボットにも個人的欲求と社会的欲求が必要」

ロボット研究者・石黒浩が語る、“人間らしいロボット”の現在地 「ロボットにも個人的欲求と社会的欲求が必要」

 マツコ・デラックスや黒柳徹子、2代目桂米朝や夏目漱石のアンドロイド、はたまたテレノイドやハグビー、コミュー、ERICAといったロボットやアンドロイドの制作に関わってきたロボット研究者の石黒浩(大阪大学)の新刊『最後の講義』が2月29日に発売された。世界に衝撃を与えてきた石黒が、今見据えているものとは?(飯田一史)

3年前の『最後の講義』からの変化は?

――今回の本の内容は2017年7月に放送されたNHKの番組が元になっています。そこから3年弱経って考えに変化はありましたか?

石黒:あのときの講義で1000年後の話をしたことがきっかけでロボットの未来について考えるようになったという意味で、あの講義以前と以後の変化は大きいです。でも、そのあとは大きくは違わないかな。ただ、もうちょっとちゃんと説明するようにはなりました。

――「説明する」というと?

石黒:あのときは「進化とは何か?」という話をあまりしていなかった。進化において重要なのはダイバーシティ、多様性ですよね。いろんな特徴をもった個体がいることによって種として生き残っていきやすくなる。これを未来の人類の姿――脳機能も含めて機械化された身体を手に入れた状態――にあてはめて考えてみると何が言えるか?

 未来の人間は好きなかたちの身体を手に入れることができるだろう、ということです。たとえば足を車輪にしても6本足にしてもいい。

 つまり、いわばカンブリア爆発のときに非常に多様な生物が一挙に現れたのと同じようなことが起こるわけです。生身の身体の制約を取り払った人類は多種多様な身体を持ち、それまで進出できなかった場所、住めなかった場所でも生きていけるようになる。そういう意味で機械の身体になることは進化の方法になりえる、ということは付け加えておきたいですね。

オルタ――機械の原理で動くのに「生命らしさ」を感じさせる

――この3年弱のあいだに取り組んできたことの成果を教えてください。

石黒:色々あるけれども、ひとつは東京大学の池上高志先生と共同で手がけた「オルタ」。これは機械の姿かたちだけれども「生命らしさ」を感じさせるロボットになっています。オルタは以前つくったテレノイドやハグビー同様に「引き算」の発想、ミニマルデザインで作られている。人間が人間と相対するときには声、動き、見かけ、触感といった様々なモダリティ(様相性、感じ方)から相手のことを判断します。一方テレノイドは「声」と「(人間のような)見かけ」、ハグビーは「声」と「触感」というふたつのモダリティに限定して訴えるものです。

 ではオルタはというと、見かけは機械だから人間らしくないけれども、「動き」と「声」によって生物らしさを感じさせるロボットです。複雑な機構に基づき音を発しながら動くだけといえばそれだけなんだけれども、ものすごく生きものっぽく感じます。

新作アンドロイド「機械人間オルタ」

 池上先生は人工生命の研究をしてきた人で、それまでは生命の原理をコンピュータで再現したいと思っていたわけです。池上先生は表面的な「生命らしさ」とは何かということにあまり関心がなかったけれども、オルタの制作を通じて「生命の原理」とはまた別の「生命らしさを感じさせるメカニズム」がある、と気づいたと言っていました。オルタはロボットの原理で動いているけれども、生命性を感じさせる。

 つまり、オルタのような機械、有機体の生々しい身体を持たない存在であっても生命らしさを感じさせることは可能だと言えます。だから未来にわれわれが機械の身体を得たとしても人間らしさや生命感が失われるわけではなく、おそらく今の有機体の生命とはまた別のかたちで生まれてくるはずです。映画やマンガに出てくるような冷たい機械にはならないだろう。

――なるほど。先ほどの話とつながるわけですね。オルタはオーケストラにも出ていますよね。

石黒:オルタ2、オルタ3は音楽家の渋谷慶一郎が主導になった音楽作品にも出演していて、大きなアクティビティになっています。興味があればそちらも観てください。

Android Opera “Scary Beauty” Keiichiro Shibuya /アンドロイド・オペラ 「Scary Beauty」 渋谷慶一郎 日本科学未来館公演

AI美空ひばりと漱石アンドロイドの違い

――ところで音楽といえば、石黒さんが関係したものではありませんが、AI美空ひばりについて昨年末から議論が起こっています。それについてはどう思っていますか? 個人的には米朝アンドロイドや漱石アンドロイドをめぐってさんざんされてきた議論の焼き直しに感じましたが。

石黒:AI美空ひばりは、新規に歌を歌わせているのが僕らとは違います。夏目漱石のアンドロイドは基本的に漱石が実際に書いた文章しか読まない。新規でやらせているのは挨拶程度です。もっとも最近では漱石アンドロイドが出演する演劇ではシナリオに沿って新規にしゃべらせていますが、僕が直接係わった範囲では新しい小説を作ったりはしていません。

 でもAI美空ひばりは本物の美空ひばりが歌ったことないものを歌ったから物議をかもしている。漱石アンドロイドだって勝手にいろんなことを言い出したら問題になるでしょう。

――AI美空ひばりについては「冒涜だ」「故人の尊厳を侵している」といった声もありました。

石黒:ただ、亡くなった人は過去の存在ですよね。亡くなった人を元につくったAIが新しい歌を歌えばイメージが変わる。それが「尊厳」を侵犯した行為だとみなされている。僕は、亡くなった人に関する「記憶」こそが尊厳なのかもしれないとも思うんです。親族は喜んでいるのに、美空ひばりの思い出を大事にしている人からすると抵抗があったということはね。

――むしろ「尊厳」なるものは、この場合、受け手の側の問題だということですよね。それはわかります。本人はもう亡くなっていて、あのプロジェクトに関して判断できません。もし美空ひばりさんが「何歳になっても、たとえ死んでもずっと新しい歌を歌っていきたい」と生前から思っていたなら、AIに新曲を歌わせるのは本人の遺志に沿う行為ですから。本人以外が「尊厳」を持ち出すことには違和感があります。

石黒:われわれがつくったものでも、たとえば勝新太郎アンドロイドをご覧になった中村玉緒さんは喜んでいらしたわけです。もちろん比較したら本物とは多少違います。それでもアンドロイドというかたちで蘇ることは喜んでもらえました。

――でも勝新の熱狂的なファンは否定的なことを言うかもしれない。

石黒:もうひとつあるとすると、AI美空ひばりの場合はテレビ画面で観る分にはCGか本物かわからないようなクオリティだったことも問題です。おじいちゃんおばあちゃんであれば勘違いしたかもしれない。漱石の場合は100年前に亡くなった人が明らかにアンドロイドとして目の前に出しているから、誤解の余地はありません。

――本物と偽物を誤認させかねないことも「尊厳」を損ねる行為と受け取られやすい、と。

石黒:さらに言うと、僕らは著名人のアンドロイドを作るときには「本当のことでも出してはいけないことがある」と考えて作っているんです。たとえば漱石のプライベートな面――たとえば伝記研究によると家庭では暴力を振るうこともあったと聞いていますが――を表に出すのは好ましくないと思っています。

 なぜかというと、それは本人が好んで出したがっていなかったところだからです。小説の発表や自作の朗読は生前から本人がやっていた、つまり「出したい」と思って出していることです。そういう面を出すことと、本人が「出したい」と思っていないことを出すことは違います。プロジェクトに関わる漱石研究者の中には「そういうことも表に出したい」と言う人もいたんです。でも漱石の専門家に対してだけではなく、広く社会に対して「夏目漱石のアンドロイドです」と出す以上は線引きすべきではないかということで、今のところは出していません。

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