ドイツ軍の“伝説”は歪曲して語り継がれているーー軍事史研究者・大木毅が語る、巨大な空白を埋める意義
あなたの信じる英雄像は虚像かもしれない
――そういったアプローチが抜け落ちて、さらに三十年前の水準で理解が止まっていることによって、どのような弊害が出るのでしょう?大木:実学の点から述べましょうか。今の自衛隊は、さまざまな紛争の可能性に直面しています。PKOに行った先で現地の情勢が激化して何かが起こるとか、南の島をめぐって武力衝突が生じるとか……。では、そういう戦略環境のもとで、自衛隊がどういう行動をとるべきかという問題を模索する際に、歴史を参考にすることはありましょう。第二次大戦のグデーリアン、ロンメル、マンシュタインたちの指揮に学ぼうとするかもしれません。そのときに、実態を究明した最新の文献に依拠するのではなく、彼ら自身の「俺はこんなにすごかったんだ」というセルフイメージをみにしてしまえば、おのずから誤った結論にみちびかれてしまいます。
――そもそも、軍隊は過去の事例からも学ぶものであるわけですね。
大木:旧日本陸海軍は第一次世界大戦の後、大変な手間ひま、お金をかけて、この戦争を研究したんです。しかし、それだけ調べたにもかかわらず、結局自分たちのドクトリンに合わせて、都合のいい結論や教訓しか学ばなかったんですね。戦史研究は、そのように使われてしまう危険が常にあります。自衛隊の機甲科の人たちが「ロンメルやグデーリアンのように戦おう」と考えても、そんなものは実際には存在していなかったかもしれない。不正確な研究結果に従ったら、大変な失敗を犯す可能性もあるんです。
――より一般的な読者に対しても、弊害はありそうです。
大木:一般読者にとってみれば、戦争とは、軍事とは、と考えたときに、英雄崇拝的にロンメルはすごいとなるのはまずいですよね。そのロンメルは本当のロンメルですか、ということになる。ロンメル本人やロンメルの崇拝者たちが作り上げた、実際とはかけ離れたロンメル像に乗っかって、それを模範とすることになってしまうのではないでしょうか? 当たり前のことですが、グデーリアンにしてもロンメルにしても、無謬ではないんです。軍隊というのは官僚組織ですから、その中でどうやって生き残り、どう出世するかを考えて生きている。そこから「北アフリカでこんなに頑張った」というような部分だけを抜き出して、「名将」と全肯定するのはやはりおかしい。
――そういった「かっこいいドイツ国防軍」的なイメージというのは、やはり覆すのは難しいのでしょうか?
大木:僕が感じるのは世代差ですね。オールドファンにしてみれば、パウル・カレル的なドイツ軍像は間違いだ、といわれればショックでしょう。僕はそういった驚きを若いころに経験していたからまだしもですが、ずっとそれで来られた方に認識のコペルニクス的転換を求めるのは、やはり難しい。ただ、若い世代のマニアはだいぶ違いますね。英語やドイツ語の文献に当たるのが普通になっていて、ネットにアップされている本物のドイツ軍の教範を参照したりしていますから。おそらく、時とともに、日本のドイツ軍像も更新されていくのだろうと思います。
――大木さんの『独ソ戦』などを読んで、もっと詳しいことを知りたくなった読者も多いと思います。そういう人が次に読むべきものはなんでしょうか?
大木:僕自身も海外のものを翻訳して、作品社や白水社から出していますが、最近は原書房、創元社も、軍事ものの翻訳本を出し始めています。まずは、そういった新しい文献を読んでいただくのがいいと思います。出版不況が悪影響をおよぼしたのか、1980年代あたりからこの手の翻訳本がぱたりと出なくなったことがあったんですよ。それが、最近ちょっと風向きが変わってきたような気がしますね。2017年ぐらいから出版された海外書籍の翻訳本なら、情報的にも新しいものになっています。
「巨大な空白」を埋め続ける
――大木さんはご自身でもに翻訳をやっていらっしゃいますが、今後のお仕事はどのようなものになるのでしょうか?
大木:来月には、第一次大戦の緒戦から第二次大戦の終結までのドイツ軍について、今までに発表したものをまとめた『ドイツ軍攻防史』が作品社さんから刊行されます。それから、ローマン・テッペルさんという人が書いたクルスクの戦いに関する最新の研究書があるのですが、これを翻訳したものが年内には中央公論新社から出る予定です。また、7月には、日本陸海軍をテーマとした本を出す予定です。
――ドイツ軍ではなく、日本軍の本ですか。
大木:20代のころに、中央公論社から出ていた『歴史と人物』という雑誌で仕事をしていたことがあります。その時代に、ご健在だった旧陸海軍の人たちにお話を伺う機会が多々あったのです。阿南陸軍大臣の秘書官だった林三郎さん、海上護衛総司令部作戦参謀の大井篤さんといった皆さんにお会いして、お話しできまして……。非常に面白い経験でした。
――すごい顔ぶれですね……。
大木:そのころは当たり前のように思っていたんですが、今となっては貴重なことですから。今は呉の大和ミュージアムで館長を務めておられる戸高一成さんと、当時一緒にお仕事をしていました。そこで、「われわれが見聞したこと、これはちゃんと後世に残した方がいいんじゃないか」と、戸高さんと相談していたところ、角川新書で企画を引き受けてくださったのですね。この僕たちの対談をまとめて、7月に刊行する予定です。
――ものすごく面白そうです……! 最後になるんですが、ドイツ軍に限らないそういったお仕事について、ご自身ではどのような意義があるとお考えでしょうか?
大木:意義というか、「とにかく巨大な空白があるから埋めている」という感じでしょうか。たとえば、米軍にしても、我々はどれくらい知っているのか。米軍将兵はどうやって徴兵されて、あるいは志願して軍隊に入って、どういう訓練をして、いかに戦ったのか。わかるようでわからない。きちんと学問的なアプローチを取り、根拠を明示して議論したものは、日本では非常に少ないのです。
――それが「空白」なんですね。
大木:「その埋める作業というのは興味本位ではないか」と聞かれれば、たしかに面白くてやっているというのはあるんです。自分にとって、格別に知的好奇心を刺激されることをやっているわけですから。しかし、それに対しては、「本当のところがわからなくて、これから色々なことを決められますか?」という反問もできると思います。近年の日本の現状を踏まえると、好きだからやっている、面白いからやっているというのでは、どうも済まなくなっている印象があります。というか、むしろ世の中の方からきちんとやれといわれているような感覚ですね。こういった本を新書で出すと、みなさん買って読んでくださる。それはもう興味本位、趣味で好きだからやっている、好きだから読みたいというよりは、「知っておかなければまずい」という需要の方が圧倒的になっているということではないでしょうか。
■書籍情報角川新書『戦車将軍グデーリアン 「電撃戦」を演出した男』
著者:大木毅
定価:本体900円+税
発売日:2020年3月7日
https://www.kadokawa.co.jp/product/321905000083/