彩瀬まるが語る、「問題から逃げた」人生を描く意味 『さいはての家』トークイベントレポ
友情や恋愛という「ジャンル」に属さない曖昧な領域を描く
ーー「ゆすらうめ」は、「なんだこのバディものは!?」と驚きました。
彩瀬:初めて書きました、バディもの(笑)。逃亡者のシリーズにしようと思ったものの、それまでの環境を捨てて逃げてくる人たちだから、職場のAさん、友達のBさんみたいに登場人物が出せないんです。でも家の中で会話をしてくれないと話が持たないという気持ちもあって、じゃあちょっと誰か一緒に逃げてくれる人をって探した感じです。「はねつき」が男女だったので、男男で行こうと。
ーー塚本というヤクザの下っ端が下手を打って逃げる途中で、幼馴染の清吾のタクシーに乗り合わせるという話ですが、清吾からの塚本への眼差しが同性愛というほどではないけれど、友情以上のように感じました。
彩瀬:今まで女性同士で関係の近い話はちょこちょこ書いていたんです。性的な関係を持たなくとも、お互いただの友人以上に世話を焼いてるなとか、今人生の手助けをしたなという瞬間って女性同士でたくさんあるんだから、絶対男性同士にもあるはずと思ったんです。がっつりラブな関係からライトな友情まで、人間関係はさまざまにグラデーションがあるはずですよね。私は女性同士だと難なくグラデーションの中程のものも書けるんですけど、男性同士って書いたことがなかったので頑張ってみようって思ったのがきっかけです。これは友情ものだよねとか、これは恋愛ものとかってすぐラベリングされますけど、実際に生きてるともっと曖昧な領域があるじゃないですか。
ーーそれはありますね。塚本は悪いことしたのにどこか憎めない。人たらしだとは思うんですけど、それはなぜででしょうか?
彩瀬:塚本は本当はもっと綿密な逃走経路を考えてたのに、駅前でパニックになる。私、登場人物が錯乱してよく分からない行動をとるのを初めて書いたんですよ。生きて行動していると、「なんか今よくわからないけど私変なこと言ったな」とか「なんで私これ買った?」みたいに、自分の中にエラーが起こる感じってあると思うんですけど、小説は筋立てを考えて書くから、そういう不条理なものを書くのが難しいんです。うまくそういう人間くささを書けたのが良かったのかなと思います。
ーー三章目の「ひかり」は、植物とのやりとりが印象的でした。
彩瀬:デビュー作の『あのひとは蜘蛛を潰せない』でも、物語が不穏になってきたらどんどん山茶花がおどろおどろしく茂っていく描写を書いたのですが、そういう主張の強い背景として植物を使ってきました。私にとって描きやすいですね、植物は。
ーー親和性があるんですかね。植物って彩瀬さんの中で秩序だったもので、人間と共に歩んでいけるみたいな印象もあったのかなと思ったのですが。
彩瀬:むしろ植物は綺麗に手が尽くされている庭と、荒れてきた庭と一目瞭然じゃないですか。プランターで丁寧にお花を咲かせてた家が、お母さんが亡くなったら枯れ草だらけになったとか。そういう意味で秩序だった状態と、混沌とした状態が現れやすいモチーフだと思っています。アン・コントロールになって混沌としてきたときに植物の描写が増える気がします。
ーーなるほど。僕はこの章だけ3度くらい読んだんですけど、読むたびに印象が変わっていきました。他の章とはまた違って、逃避行というよりは追い込まれた果てという風に感じました。
彩瀬:一人の人間の果てが書ける小説の設定はなかなかないんですよね。それこそ一代記の長編の最後でやっと書けるか書けないか。でも逃亡のした人が逃げ込む家という設定だと、短編でもそこがサクッと書ける。すごく楽しかったです。
よりよく生きるために逃げるという選択
ーー第四章の「ままごと」では、ぱっと見では逃げる必要のなさそうな姉妹を描いていますね。
彩瀬:留まっても生きてはいけるけれど、よりよく生きるために逃げた人を書きました。逃げた先の方が自分らしく生きられる人もいると思うんです。場所を移したり、環境を変えることで人間のパフォーマンスって大きく変わるじゃないですか。これまでの三章を書いてきて、私の中でも逃げた先でも人は変わるという思考の体系ができて「ままごと」につながったような気がしています。
ーーここでは逃げてきた“原因”である人物も登場しますね。
彩瀬:今までの三章では、追っ手がかかってるけど家まで来ない。でもそれって絶対に偶然だし、この家に追っ手は来ないってご都合主義というか逃げだと感じていて、追っ手は来なきゃいけないし、追っ手と対峙しなくちゃいけないって思ったんです。
ーー側から見れば全然悪い人じゃなくて、全然知らない人が見ればなんでこんなに嫌がるんだろう? と思う人物ですよね。
彩瀬:周りからすれば何の不満があるのって思われるけど、当事者にはすごく嫌な状態ってたくさんあると思うんですよ。しかもそれを友人とかに話しても深刻度が伝わらないって、すごく困りますよね。リスクを取ってでも自分の意思で決断をしなくちゃいけない。
ーーそうですね。姉妹二人に共通して、しなやかな強さを感じましたよ。
彩瀬:生命力強そうな、生きていけそうな感じがしましたか? それはよかった。
ーー最後の章の「かざあな」では、子育てから逃げるように単身赴任をするというサラリーマンの話ですが……。
彩瀬:これはすごく難しかった。特に人格にとんがったところのない普通の男性で仕事をしていて、家庭も持っていて、と設定した途端に、すごく逃がすのが難しくなったんです。犯罪に巻き込まれたわけでも、恫喝されたわけでもない。でも、行き詰まりやストレスを抱えている。そういう状態で追い詰められて、今にも逃げたいと思っている人はたくさんいるはずなのに、逃がしてあげることが本当に難しかった。今まで私は無自覚な偏見を男性キャラクターに押し付けてたんだなと感じました。
ーー『その境界を超えていけ』(KADOKAWA)に「わたれない」という作品を寄稿されてますが、ここでは子どもを育てることに能動的な男性を描いてますね。
彩瀬:何かのボーダーを超える小説を書いてくれって言われて、ドール服を作ってる男性の話を書いたんです。奥さんが仕事、稼ぎ手のメインをやって、自分は育児家事のメインプレイヤーになる男性を描きましたが、もっと早く自分が細かくて美しいものを愛していることを理解できていれば、今もっと豊かな世界が見えていたのにって悔しがる。もともとの素質に沿って役割を選ぶことができたならば、私たちはもっと豊かな世界を目にできるんじゃないのかというテーマで書きました。でも「かざあな」の主人公は、役割以前に周囲の考える正しさに自分を調律してしまう人、自分がそれに対してどう思ったかよりも、今この場の流れ的にこれが正しいことになってるんだと考えてしまう人です。自分にとって一番生きやすい環境や、生きやすい主張がその人にとっての「正しい」であっていいと私は思うんですが、自分がどういう状況が一番生きやすいのかを考えられなかったことがこの主人公にとって一番辛いことだったと思います。結局この人、自分がどうしたいのか最後までわからないんです。
ーー確かに、今までの章の登場人物には、こうしたいという気持ちが見えましたが、この人は読んでいても「どうしたいんだろう」って疑問でした。
彩瀬:自分がこうしたいって強く思える人は、こういう追い詰められ方はしない。でも人に合わせて自分の感情を調律するって珍しいことじゃないと思う。そういう周囲に合わせ過ぎる人のさいはてはこんな感じだろうかと、探りながら書きました。
■彩瀬まる(あやせ・まる)プロフィール
1986年千葉県生まれ。大学卒業後、小売会社勤務を経て、2010年「花に眩む」で第9回「女による女のためのR‐18文学賞」読者賞を受賞しデビュー。17年、『くちなし』で第158回直木賞候補となる。著書に『あのひとは蜘蛛を潰せない』『骨を彩る』『森があふれる』など。
■書籍情報
『さいはての家』
著者:彩瀬まる
出版社:集英社
価格:1,500円(本体)+税
<発売中>
https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-771691-7