デスマッチファイター葛西純が明かす、少年時代に見たプロレスの衝撃 自伝『狂猿』連載第1回

デスマッチファイター葛西純が明かす、少年時代に見たプロレスの衝撃 自伝『狂猿』連載第1回

デスマッチファイター葛西純 自伝『狂猿』


小学生でブロディの虜になる

 忘れもしない、小学校1年生の冬。クラスに栄順二くんっていう、ちょっとジャイアンっぽい立ち位置のヤツがいたんだよ。そいつが「今度、帯広に『全日本プロレス』が来る」って、すごいテンションで喋ってるわけだよ。プロレスって、あの大人たちが見てたやつかと思って、順二くんに詳しく聞いたら、「ジャイアント馬場っていう、とんでもなくヤバいプロレスラーが来る。背丈が2階建ての家の屋根ぐらいあって、そいつがリングへ向かって花道を歩いてくる時には、近寄ってきた子供とか老人とかを空手チョップでバンバンなぎ倒すんだ!」ってまくしたててきた。いまにして思えば、とんでもなくデタラメな盛り盛りの話なんだけど、それを聞いて「そんな人間がこの世の中にいるのか!」と問答無用でワクワクしたね。それに「バケモノみたいな外国人レスラーもたくさん来るぞ!」と。

 当時の帯広では、外国人なんてほとんど見たことがなくて、たまにキリスト教の布教かなんかで、リュック背負って自転車乗ってる外国人がいただけでも、子どもたちが「ガイジンだ! すげー!」って追っかけ回すくらいだった。そんな町に、外国人レスラーが束になってやってくる! そいつらと背丈が2階建てぐらいあって空手チョップでバシバシ子供をなぎ倒す大男が試合をする! そんなとんでもないことが起こるなら、これはなんとしても見たいと思って、学校終わって、家帰るなり父親に「全日本プロレスが帯広に来る。お願いだから、クリスマスプレゼントもそれでいいから、連れて行ってくれ!」って頼み込んだ。父親もプロレス好きなほうだったので「よし。わかった」と。いとこのお兄ちゃんも行きたいって言ってるから2人で行ってこい!ってチケットを買ってもらった。

 それから試合当日までは待ちきれなかったね。その頃のチケットは、ちゃんと印刷されてる実券で、ジャイアント馬場、ブルーザー・ブロディと、名だたる強豪の写真が載っていて、それを眺めてるだけでテンションが上がった。これはちょっと待てない、気持ちを抑えきれないってことで、本屋へ行って『プロレス入門』とか『プロレス大百科』とかのブ厚い本をひとしきり買ってもらって、家で毎日読んで予習をしたよ。

 いよいよ大会当日。俺っちのプロレス初観戦となったのは、81年の世界最強タッグ決定リーグ選だった。

 参加チームは、ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田、それにファンクスもいた。外国人選手も大量参戦していて、タイガー・ジェット・シン、ハーリー・レイス、ザ・シーク、バロン・フォン・ラシク、キラー・カール・クラップ……宣教師の外国人をみただけですげーって言っていたのに、もう体がデカくてこの世の人間とは思えないような奴らがガンガン出てくるから、もう大興奮だった。

 やがて、噂のジャイアント馬場が出てくる。そのときは特別試合で、ジャイアント馬場&グレート小鹿組VSブルーザーブロディ&ジミー・スヌーカというカードだった。いまにして思えば、小鹿さんが当時、帯広でちゃんこ屋をやってたから、その流れで華を持たせたカードだったのかもしれない。

 花道に姿を現した馬場さん。噂通りにデカい。さすがに子供を殴りながら入場してこなかったけど、そのデカさには圧倒された。だけど、それよりも俺っちの目が釘づけになったのは、対戦相手のブロディのほうだった。

 ブロディはグレート小鹿さんと場外乱闘を始めて、俺っちが座ってる椅子のあたりに小鹿さんをスイングしてきた。小鹿さんをフッ飛ばして、吠えるブロディを間近で見て、俺っちはもうイチコロだったね。

 大興奮して家に帰ってきて、「ブロディはすごい、プロレスはすごい」ってなって、それからはもうプロレスのことばかり考えるようになった。大百科は擦り切れるぐらい読み込んだし、漢字もプロレスで覚えた。学校の授業で習った漢字っていうのはまったく覚えないくせに、小学校1年生で「世界の荒鷲」とか「燃える闘魂」とかを、スラスラ書けるようになった。

 プロレス人形を買ってもらって、プロレスラーの絵を描いて、常にプロレスに飢えてるような状態だったね。

 ただ、帯広は田舎なので、プロレスの興行は新日本か全日本のどちらかか1年に1回来るかこないかぐらい。あとはテレビ中継で見るしかない。新日本プロレス中継の『ワールドプロレスリング』は金曜夜8時にやってたので普通に見れたんだけど、『全日本プロレス中継』は、日曜日の深夜12時半くらいから放送していた。

 小学校1年生にとって、夜中の12時半なんていったらもう未知の領域だよ。次の日に学校もあるから、そんなに夜更かしもできない。それでも見たくて見たくてしょうがないから、両親にお願いして「純がそこまでいうなら起きて見てればいいよ」って許しをもらった。だけどプロレスがはじまる12時半まで、『山城新伍のアイアイゲーム』とか『素晴らしき世界旅行』とか、見たくもない番組を見なきゃいけないわけだよ。『素晴らしき世界旅行』は、ゆったりした風景をずっと映したりしてるから、そこで力尽きて寝ちゃったりすることも多かった。あと、頑張って起きてて、よし、やっと始まると期待してたらぜんぜん違う番組が流れてきて、何だこれって思ってたら、テロップで「本日の全日本プロレス中継は野球中継延長のため中止となりました」って出てきて、なんだよって泣いたりね。そのせいで、ちょっと野球が嫌いになったよ。

 その頃は、新日本プロレスがブームで、タイガーマスクの全盛期あたりなんだけど、俺っちは、全日本プロレスのちょっとマイナーな雰囲気が好きだった。やっぱり、ヒーローよりも怪獣・怪人に惹かれたタイプだから、タイガーマスクとか華やかなレスラーよりも、普段は何してるかわからないような怪しい外国人選手に夢中になっていた。テレビ中継の最後に、次期シリーズ参戦の外国人レスラーの紹介とかがあると、これはヤバいのが来るぞ、って異様にワクワクしていたね。

 マイナー好きは、プロレス雑誌の好みにも出てて、俺っちは『週刊プロレス』『週刊ゴング』よりも、『ビッグレスラー』とか、『デラックスプロレス』をよく読んでいた。デラプロには付録でポスターが付いてたから、それを目当てで買って、部屋にテリー・ファンクのポスターを貼ったりしてたね。

 それだけプロレスにハマってくると、当然のようにプロレスラーになりたいっていう気持ちも芽生えてきた。でも、やっぱりガキだから、どうすればプロレスラーになれるかなんて具体的に考えてなかったし、実際に血の滲むようなトレーニングをしなくちゃいけないってことすら知らなかった。小さい子供が「大きくなったらウルトラマンになりたい」とかそういう感覚で、純粋にプロレスラーになりたいって思ってたんだろうね。(第2回に続く)
(文=葛西純/構成=大谷弦/写真=高橋慶佑)

■葛西純(かさい じゅん)
プロレスリングFREEDOMS所属。1974年9月9日生まれ。血液型=AB型、身長=173.5cm、体重=91.5kg。1998年8月23日、大阪・鶴見緑地花博公園広場、vs谷口剛司でデビュー。得意技はパールハーバースプラッシュ、垂直落下式リバースタイガードライバー、スティミュレイション。
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