竹内まりや「いつかまたお会いしましょう」 色褪せぬエバーグリーンの魔法――11年ぶりのツアーを振り返る

「幸せのものさし」では、竹内がステージの左右へと歩み、その両端で歌い上げた。ステージ上ではミラーボールが回転しながら光り、竹内はスポットライトを浴びるなど、まさにソウルショー。「じゃあ、ちょっと景気のいいのをやってみましょう」と竹内が言って始まったのは「J-BOY」。スクリーンにはバンドメンバーも映され、ステージのいちばん上のスクリーンには『SOUVENIR2025 MARIYA TAKEUCHI LIVE』という文字列が。そして、「J-BOY」の最後には金銀のテープが噴出された。
「プラスティック・ラヴ」のイントロには、少し緊張感さえ抱いた。「竹内まりや」という存在が世界に広く知られるきっかけになった楽曲であり、シティポップのブームの中心に存在し続けている楽曲である。今、世界中の人々が、竹内のライブで聴きたい楽曲とサウンドなのだ。その輝きはリリースから40年以上を経ても朽ちることがなく、この日も「プラスティック・ラヴ」の贅沢を尽くした演奏に陶酔させられた。さらに山下も歌うとファンから拍手が起き、終盤は竹内と山下のボーカルの掛け合いのように展開していった。
MCでは、70歳になったことに触れ、20代でデビューした頃はこんなに長く歌うとは想像もしていなかったと述べた。そして、次に歌う楽曲に言及し、「どんな年齢でも生きることを面白がってみよう」「どんな状況でも楽しんでみよう」という姿勢は、制作当時から変わらないと語った。ライブをやらなかった11年のあいだに、コロナ禍、ウクライナや中東での戦争、能登半島地震があり、自身の父、仲間、友人、愛犬が旅立ったという。竹内は、自分が書いた楽曲に自分で励まされることがあると言い、ファンの心にも明かりを灯したいと語って、次の楽曲が始まった。「人生の扉」である。カントリーサウンドに乗せて、歳を重ねていくことが歌われていく。そこに自分自身の人生を重ねたファンも多かっただろう。
本編最後のMCで、竹内が「声が続く限り歌いたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします」と語ると、ピアノが響いた。「駅」だ。「駅」とともに多くの人々の心をつかんできた竹内の歌声に酔いしれていると、彼女はアウトロで拍手を浴びながらステージから去っていった。
ファンのアンコールを受けて、竹内とバンドが再登場。山下から最近発売されたアイテムの紹介もあり、それを聞いた竹内が「『サンソン』(『山下達郎のサンデー・ソングブック』/JFN系)聞いてるみたい」と笑うと、山下が「同じ声だからしょうがない(笑)」と返す一幕も。そんな竹内と山下によって、『Precious Days』に収録されているThe Everly Brothersのカバー「All I Have To Do Is Dream」がデュエットで歌われた。

続いて20代当時にリリースされた楽曲が歌われることになり、「SEPTEMBER」では、着席していたファンたちがついに立ち上がり始めた。スクリーンには、当時の竹内の映像が。「SEPTEMBER」は松本隆作詞、林哲司作編曲による1979年の楽曲だが、この時からすでに竹内はエバーグリーンの名のもとにいたのだ。安井かずみ作詞、加藤和彦作曲による「不思議なピーチパイ」も、今なお色褪せることのないエバーグリーンの魔法を見せつけるかのようだった。
再度メンバー紹介をしてアンコールが終わるかと思いきや、拍手を受けて竹内とメンバーが再登場。ファンと家族への感謝を込めて、最後の最後に歌われたのは「いのちの歌」。命への感謝を歌い上げ、竹内は「みなさん、どうぞお元気で。いつかまたお会いしましょう」と言ってステージを去っていった。
竹内まりやほどの高い人気と知名度を誇りながら、めったにライブやツアーをしないというアーティストは珍しい。それでいて、11年ぶりの全国ツアーをするとなれば、50万人もの人々が応募するのだ。11年の歳月を経て再会した竹内とファンの交歓は一瞬であるがゆえの強い輝きを放ち、それは生命の輝きによく似ていた。その日にしか見ることができないものを体験したと痛感させられたのが、『大和証券グループ Presents souvenir2025 mariya takeuchi live supported by エアウィーヴ』の横浜アリーナ公演の一夜だったのだ。

























