菊地成孔「徹底した個人主義こそが集団主義を活性化させる」 AI・サブスク時代に根付いた“クリシェ”への姿勢

菊地成孔、ペペ・トルメント・アスカラールの20年

 菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールから、結成20周年記念アルバム『Pubis Angelical』(「天使乃恥部」)が届けられた。

菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール「天使乃恥部」MV

 スペイン語で「色男/拷問/砂糖漬け」の連結語である「ペペ・トルメント・アスカラール」は、菊地がサックス&ボーカル&コンダクツを担い、2パーカッション、ハープ、弦楽四重、ピアノ、ベース、バンドネオンで構成されたフルアコースティックのオルケスタだ。

 前作『戦前と戦後』(2014年)から約10年ぶりとなる本作には、現在のメンバーによるセルフカバー(「京マチ子の夜」「キリング・タイム」「ルぺ・ベレスの葬儀」)、新音楽制作工房メンバー丹羽武史による書き下ろし曲(「Henri Lefebvre/アンリ・ルフェーブル」)、菊地が高く評価しているアルメニア出身の作曲家ヴァルダン・オヴセピアンの書き下ろし曲(「MY chosen ode to you/私が選んだ貴方への頌歌」)、菊地成孔自身の新曲(「天使の恥部」)などを収録。

 またフィジカル商品には、楽曲データのほか、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールをイメージして制作された香水「とても清らかで淫らな声」「甘い混乱」、さらに特典USB(菊地成孔によるライナーノーツ、香水制作に関する調香師との対談、AI制作のデジタル・ジャケット、菊地撮影 / 編集の2004年ブエノスアイレス&2005年モロッコ・ドキュメンタリー映像、レコーディング風景、ライブ動画、等々を収録)も収められる。

 菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールが成立した経緯、20周年を迎えた現在の状況、そしてニューアルバムについて、菊地自身に語ってもらった。(森朋之)

ペペ・トルメント・アスカラールが20年間続いた理由

菊地成孔インタビュー写真
菊地成孔

ーー菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールは、菊地さんの2ndソロアルバム『南米のエリザベス・テイラー』をきっかけに結成されました。その経緯を改めて教えていただけますか?

菊地成孔(以下、菊地):1stソロアルバム『DEGUSTATION A JAZZ』(2004年)は、Pro Toolsがスタジオに標準装備され始めた時期のアルバムなんです。それは現在の音楽制作AIに近い印象で、オーディオトラックの波形編集に関するスペックが飛躍的に上がり、それをフルに使い倒して制作したのが『DEGUSTATION A JAZZ』でした。それを踏まえて、2ndアルバムは、ラテン音楽のオルタナティヴを、オルケスタで合奏する、というスタイルを計画していたのですが、それと連動して『エスクァイア日本版』(2005年1月号)でラテン音楽の特集があり、ジャーナリストとしてブエノスアイレスに行くことになったんですよ。

 当時はフェルナンド・カブサッキ、フアナ・モリーナに代表されるアルゼンチン音響派が注目を集めていて、その取材がメインだったのに、僕はむしろオーセンティックなアルゼンチンタンゴに感銘を受けた。取材にはカメラマンの在本彌生さんが同行していて、世界三大劇場の一つであるコロン劇場のバルコニー席(天井桟敷)で撮影した写真をアルバムジャケットに使っています。こうして『南米のエリザベス・テイラー』が生まれたわけです。

ーーアルゼンチンタンゴ、アフロビート、現代音楽を交えた編成はきわめて斬新でした。

菊地:もともとはレコ発ライブのための、一夜限りのオルケスタだったんですが、ライブを観た人たちから「ぜひ続けてくれ」という声がすごく多かったんですよ。ただ、ハープやバンドネオン、グランドピアノ、パーカッション、ストリングスが含まれるバンドをマネージメントできるわけがない。さすがに「パーマネントな活動は無理だよ」と。それなのに、気がつくと僕のキャリアのなかでもいちばん長くやっているバンドになっていたという。

ーーペペ・トルメント・アスカラールを継続するために、音楽性やコンセプトなどに関して新たに加えたものはあるのでしょうか?

菊地:基本的な世界観はずっと同じです。最新アルバム(『天使乃恥部』)のタイトルにはマニエル・プイグの小説(『天使の恥部』)のイメージ的な癒着がありますが、それは『南米のエリザベス・テイラー』からすでにはじまっていました。ペペ・トルメント・アスカラール名義のアルバムは、『野生の思考』(2006年)、『記憶喪失学』(2008年)、『ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ』(2009年)、『戦前と戦後』(2014年)、という流れの中、生演奏のデトロイト・テクノ、奇数拍子のサルサ、戦前歌謡のリモデル、等々、ボキャブラリーは拡張してきましたが、詰まるところ、映画と文学と音楽が夢というフィールドで液状化する、というのがこのバンドのブランディングであり、それは今も揺るぎなく続いています。

 『南米のエリザベス・テイラー』は糊代みたいなもので、僕のソロアルバムであると同時に、ペペ・トルメント・アスカラールの方向性がすべて入っていると言っていい。あのアルバムに収録されていた「京マチ子の夜」「ルぺ・ベレスの葬儀」は20年間ライブで演奏し続けており、『天使乃恥部』では現在のメンバーでセルフカバーしています。『南米のエリザベス・テイラー』にこのバンドのすべてがあるのだ、ということですね。

ーー20周年を迎えた今年は、5月に『結成20周年記念巡回公演「香水」』を開催、結成以来初の『FUJI ROCK FESTIVAL』への出演、新宿BLAZEでのオールスタンディング公演『ダンスフロアのペペ・トルメント・アスカラール』を行いました。どのステージも素晴らしく、演奏のクオリティに関しては、現在がもっとも高いのではないでしょうか。

菊地:そうですね。結成時から在籍しているのはハープ奏者の堀米綾、パーカッションの大儀見元だけで、他のメンバーはすべて変わっています。ピアノの林正樹、バンドネオンの早川純は2代目。DC/PRGのようにしょっちゅう変わっているわけではないですが、確かに今の状態がいちばんいいと思います。ただ、全員が売れっ子になってしまってスケジューリングが大変なんですよ。“バンドメンバーが忙しくなり、スケジュールが取れなくなる”のは、僕のバンドにいつも起きることで。トランペットの類家心平は、(菊地成孔)ダブ・セクステットに入ってもらったとき「暇なんでいつでも呼んでください」と言っていましたが、今や日本のジャズ界を代表するプレイヤーです。ペペの林正樹、ベースの鳥越啓介も、椎名林檎さんのツアーを筆頭に、常に引っ張りだこです。

菊地成孔インタビュー写真

ーー菊地さんはよく「才能のあるミュージシャンが勝手に集まってくる」と仰ってますね。

菊地:鵜の目鷹の目で才能のあるミュージシャンを探しているわけではないんですよ。SNSやYouTubeなどで新人ミュージシャンを探したこともなく、人の紹介とか、「やりたいです」という人がいて、やってみると「こんなに上手い人が暇ってどういうこと?」と思っていると、瞬く間に売れっ子になっちゃうんで。優秀な音楽家と早めに出会う才能があると思っています。

ーーでは、アルバム『天使乃恥部』について聞かせてください。セルフカバーと新曲で構成されていますが、菊地さんのなかではどんなコンセプトがあったのでしょうか?

菊地:まずは現在のメンバーの演奏力で、ライブの定番曲を改めて録り直すということですね。結局、演奏がすべてだと思っています。この20年間、音楽業界を取り巻く状況は激変し、サブスクの時代になり、音楽プロダクツそのものの経済的な価値が下がってしまった。ミュージシャンは実入りが減り、そのぶんグッズだの握手券だのが発達したわけですが、演奏行為の説得力というものは不動ですし、幸いなことに、フロアの新陳代謝も激しいほど進んでいます。

 ペペをはじめたのは僕が40歳の頃ですが、20年もやっていたら、若い人はなかなか聴いてくれないです。90年代初めから僕の音楽に興味を持ってくださって、「お前が新宿ピットインの昼の部に出ている頃から知ってるぞ」というオーラが出ているベテランのお客様も、ありがたいことに、途切れません。しかし若いリスナーにとっては古代の話です。ただ、ペペは、僕の活動の中で最も、若い皆さんにも届いています。

 その理由の一つは、僕が『ルパン三世』のスピンオフ(『LUPIN the Third -峰不二子という女-』)、『機動戦士ガンダム』のスピンオフ(『機動戦士ガンダム サンダーボルト』)、『ジョジョの奇妙な冒険』のスピンオフ(『岸辺露伴は動かない』)の劇伴を担当したこと。つまり“ジャパンクール”と組んだということですね。特に『岸辺露伴は動かない』は、もともと「ペペ・トルメント・アスカラールでお願いしたい」という依頼だったんです。

ーードラマ『岸辺露伴は動かない』のメインテーマ「大空位時代」は、ペペ・トルメント・アスカラールのライブでも演奏されていますね。

菊地:ジャズやラテン音楽等々、ジャンル・ミュージックのオルタナティヴ、そのさらにオルタナティヴであること、そもそも映画の記憶との癒着があること等々の理由からでしょうか、映像クリエイターに求められたことが幸いし、多層的な観客層の支持を頂いているのではないかと思います。結成当時からの悲願のようなものであった『フジロック』出演も果たせましたし。ハープを山の上に運ぶのは大変でしたが。

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