菊地成孔が語り尽くす、Q/N/Kとオーニソロジーの同時制作 ラディカルな意志のスタイルズ始動の経緯も

菊地成孔、Q/N/Kとオーニソロジーの制作

 菊地成孔の活動が奔放に広がっている。昨年11月には、オーニソロジー(シンガーソングライター・辻村泰彦による音楽ユニット)の新作『食卓』をプロデュース。さらに元SIMI LABのQNとユニット・Q/N/Kを結成し、シングル「TOLD ME」を発表。近々アルバムのリリースも予定されている。そのほかにも新バンド・ラディカルな意志のスタイルズの始動、菊地が主宰する「新音楽制作工房」の活動、モダンジャズのカルテットでの新作のレコーディングも終えているという。

 大きな転換の時期を迎えている菊地に、同時に制作が進められたというオーニソロジー、Q/N/Kを軸に、現在の活動について語ってもらった。(森朋之)

QNとの出会いからQ/N/Kが動き出すまで

——まずは菊地さんと元SIMI LABのQNさんがQ/N/Kを結成した経緯から教えてもらえますか?

菊地成孔(以下、菊地):SIMI LABを知ったのは「WALKMAN」(2009年)のMVをYouTubeで見たのが最初ですね。SIMI LABに対するオールドスクーラーというか(笑)。「これはヤバい。絶対なんか一緒にやろう」と思っていたところ、DC/PRG(菊地主宰のビッグバンド。現在は解散)が米国の<Impulse!レコード>と契約した際に、「アメリカのラッパーとコラボしないか」と打診があったんです。そのとき名前が出ていたのはOMARやMC Solaarなどのオーバーグラウンダーだったんですが、僕は全然やる気がなくて。そのときにこちらから提案したのが、SIMI LABとのコラボだったんです。日本人で、しかもデビューしたばかりで無名に近かったんですが、押し通してしまいました。

 結局『SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA』(2012年)で2曲コラボしましたが、それがQNとの最初の仕事ですね。もう10年か。その後もSIMI LAB勢との交流はずっと続いていて。QNに限定して言えば、TABOOレーベルからリリースした菊地凛子さん(Rinbjö名義)のアルバム(『戒厳令』/2014年)のタイトルチューンにフィーチャーしましたね。ある日、路上で突然、改まった口調で「菊地さん、俺、“菊地一谷”って名乗っていいですか?」と言われて(笑)。「いや、菊地姓の©️オレが持ってるわけじゃないから(笑)」とか言って、彼とは響き合うものがあったしーーお互い、背が低くて細いとか(笑)ーーその頃から何か一緒にやれたらいいなと思ってたんですよ。その後、「SONG-XX」という、僕の中では短命に終わってしまったバンドなんですが、「ジャズバンドに、ft.ではなくメンバーとしてラッパーがいる」という試みをした時にもメンバーとして入ってもらいました。でもコロナとかでわけわかんなくなっている間に活動を終えてしまって。なので、がっつりアルバム1枚作りたいな、とはずっと思っていました。

——最初のタッグは10年以上前なんですね。

菊地:彼は座間で僕は新宿だから頻繁に会えるわけではないし、コロナ等々も含め、いろいろありましたからね。結果的にSIMI LABからQNが脱退することになり、その後QNは量産型のラッパーになって、ものすごい数の曲をリリースしはじめるんですよ。

 これは「天才あるある」なんですけど、玉石混交で、神がかってる曲と危なっかしい曲が並んでたりする(笑)。それも含めて、すごく魅力があるラッパーなんですよね。っていうか、僕は結局、天才が好きなんですよ。僕自身も天才ホイホイみたいなところがあって(笑)、倉地久美夫とか、今堀恒雄とか、大谷能生とか、まあ偶然、全部「お」で韻踏んでますけど(笑)、多くの人は天才といると苦しいんですけど、僕は天才といると解放されるんです。これは僕にしかわからない開放感で、まあ、キチガイが好きと言っても良いでしょうね。だからQNにはずっと「二人でアルバム出さない?」と言ってたし、彼も「ああいいっすね。やりましょう」という感じだったから、あとはいつやるかということだけで。

——Q/N/Kが動き出した直接のきっかけは何だったんですか?

菊地:まずはコロナですね。あらゆるミュージシャン活動が緩慢化するなかで、「そろそろやろうか」と。僕は良くも悪くも、ですが、世相とか時代とがっつりリンクするところがあって、コロナの直前夜である2018年に『粋な夜電波』(菊地がパーソナリティーを務めていたラジオ番組『菊地成孔の粋な夜電波』)とTABOOレーベルが大企業に止められて(笑)、今から思えば、コロナに向けて待機した格好になるんですが、それがあくまで僕の中では、ですが、一通り終わって、DC/PRGも解散して、よっしゃあまたいろいろ始めよう、と思ったら戦争が始まって。後から出てくる「ラディカルな意志のスタイルズ」の初演の前夜に(ジャン=リュック・)ゴダールが亡くなって。世の中に動かされてるところがあります。

 QNとの作品は、生バンドの演奏による曲が半分、「新音楽制作工房」のトラックを使った曲が半分という、まあヴァイナルのAB面ですね。最初に座組だけ決めて。バンドセットの曲はQNのビートを僕が採譜、編曲しました。座間のQNの家に行って、PCにパンパンに入ってる曲を片っ端から聴いて、そのなかから4曲選んで。QNはその頃、歌うことに興味が移ってたんですよ。ドレイクの『Honestly, Nevermind』に代表される、ラッパーが歌うトレンドがあって、QNもその流れにあったんじゃないかなと思います。ラップするだけだったら無調的でアブストラクトなトラックでもいいんだけど、QNが作っていたトップライン(=メロディ)がメロウな美メロばっかだったんで、それだったらジャジーな和声進行がないと、という感じで、彼の部屋のPCの前で、その場でコードを付けながら「こんなのどう?」とか言うとーーこれぞコラボという場面ですがーー「うおーやべえなあ。やばいっすねえ」といった(笑)。その後アレンジを整理して、譜面に起こして。流れ的には次は当然レコーディングなんだけど、その頃ちょうど、オーニソロジーの制作も並行していたんです。

——ここでQ/N/Kとオーニソロジーが並走しはじめるんですね。

菊地:そうです、そうです。オーニソロジーの『101』(2018年)はTABOOレーベルの最後の作品なんですよ。辻村くんはTABOOレーベル以前から飛び込みでデモ音源を送ってきたんですけど、そのときからものすごい才能だと思っていたし、『101』を出した後も「どんどん作品を作ろう」と話してたんですが、なかなか実を結ばなくて、彼のことはずっと気にしていたんだけど、いろいろなトライ&エラーを続けながら、結局3年間できなかった。それでも辻村くんは他のプロデューサーと組むこともなく、自分で少しずつ曲を作ったり、ライブをやりながら自分なりに活動していたんですね。

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