由薫、ONE OK ROCK・Toruとの共作で手にした“J-POP”としてのあり方 EP『Sunshade』から始まる第2章
Toruとの会話を経て広げた歌詞の世界観
――先ほど触れた「ツライクライ」については、ウェットなサウンドでしっとりと聴かせながらも、激しい感情の起伏を感じる楽曲でした。
由薫:この曲はToruさんがデモを持ってきてくれて、それをもとにふたりで制作していきました。もともとのかけらをToruさんが提案してくださり、そこから歌詞の世界観を広げていくのが私の作業。でも、「ツライクライ」はどういう気持ちなんだろうって――歌詞に落とし込むまでにも時間かかったし、悩んだんです。そこでToruさんに「『ツライクライ』の感情がわからないです」と正直にお伝えして、一緒に考えてもらって。「そもそも人ってどういう時に恋に落ちるんだろうね?」とか「どんな経験をしたらそういう気持ちになるんだろうね」とか、そういう話をたくさん交わしました。最初は自分の実体験とあんまり結びつかない感じもしたんですけど、実はそんなことないのかもとも思って。
――どういうことですか?
由薫:サビで歌っていることって、まっすぐすぎて、青すぎて眩しくて、正直恥ずかしいと思うんですよ。でも、いわゆる初恋の時を思い返したりすると、若いからこそのキラキラ感とか、未熟だからこそ全力で思いをまっすぐ言えちゃう感じとか。“世界”とか“愛”とか大きいワードを使っているのが、逆にまだ大きい世界を知らないっていう感じもして。
――初恋をしてる時って、1の出来事が100の感情に膨れ上がったりして、先ほどとは違う意味でSFチックですよね。
由薫:そうなんですよね。そういうキラキラと眩しい感情は自分の思い出のなかにもあるし、それを経験していてもしていなかったとしても、誰でも感じることかなと思って。大人になってから眩しい青春モノを見た時に、自分はその経験をしていなかったとしても、自分の根本にあるキラキラした部分が蘇ることもある。そういう意味で、自分の経験にも結びついてきたんですけど、歌詞を書くのに悩むところがあって、喫茶店へ行って連日考えていたんです。喫茶店の帰り道にすごくいい道があって、私はそこを歩くのが好きで。ある日、雨が降っていたので傘を差しながら歩いていた時に、歌詞がまだ乗っていない「ツライクライ」を聴いていたんです。その時に、「あ、こういう感じなんじゃないかな」とひらめいて。
――「こういう感じ」っていうのは?
由薫:天気には晴れとか曇りとか雨とかいろいろありますけど、晴れている時は思い出さないのに、雨になって傘を手にした時に、ふわっと「この傘を一緒に分け合った人がいたな」と思い出したり……そういうものを描きたいと思ったんです。この曲を聴いているあいだだけは、過去にあった出来事が現在進行形として受け取れる――それが音楽の素晴らしいところだと思っていて。私も傘を差して帰りながら「ツライクライ」のデモを聴いているあいだは、一気にエモーショナルな時間にワープさせてもらえたので、この曲を聴いてる時だけはすべてが現在進行形になる。聴き終わると日常に戻るけれど、しばらくして再びこの曲を聴いた時には、またふわっと戻る、みたいな。消えかかっていた香りがあるところに雨が降って、それが一気に生々しく蘇る。そういうことを描きたいなと思って書きました。
――まさに日本人的な情緒というか、奥ゆかしさですね。淡白に言えば単なる傘だけど、そこにドラマを乗せることで、ただの傘じゃなくなるっていう。
由薫:傘というモチーフを使って、傘の下に一人でいる時や二人でいる状況を描くことで生まれるコントラスト。これって、とてもポップス的だと思うんです。そこをしっかりと描ききり、伝わるように書くのも強く意識していたことですね。
――江國香織さん原作の『東京タワー』という映画がありまして。家庭を持っている40代の女性・浅野詩史(黒木瞳)と、21歳の医大生・小島透(岡田准一)が恋仲になる話なんですね。そのなかで、透が「理屈とかじゃない、もっと甘やかで逆らえない感じ。きっと恋はするものじゃなくて、落ちるものなんだ」と言う場面があるんです。「まっすぐすぎて恥ずかしくなる」と言っていましたけど、「ツライクライ」で描かれているキラキラした感情も、そういう理性とは遠いところにあって。気づいたら深く潜っているものなんでしょうね。
由薫:自分はずっと19歳ぐらいの気持ちでいたのに、気づいたら24歳になっていて。「大人になるってどういうことなんだろう?」と考えていたんですけど、それって何事も冷静に考えることだと思ったんですよ。今までだったら突っ走れたものを、さまざまな角度から考えて思い留まる。これって非常に大人な行動だと思っていて。今「恋に落ちる」というセリフについておっしゃっていましたが、本当は恋って落ちるものなんですけど、大人になればなるほど落ちづらくなる。それは邪念というか、形ばかり見てしまう恋愛もあるのかもしれないし、「これはこうだからダメなんだ」と恋に落ちていく自分にストップをかけてしまったり。それが大人になっていくことなのかな、と思うんです。〈きっと愛を知らずに済んだのに/君をツライクライ愛する人になっていた〉という、ここまでまっすぐな落ち方は大人になるとできなくなっていくかもしれない。だからこそ、そういう気持ちを思い出した時に、人ってすごくキラキラした気持ちになるんじゃないかな。
――人間は隣の芝生だけじゃなくて、遠い過去の芝生も青く見えますからね。
由薫:その感情は自分にもあったよなと思う反面、今までの私は大人びた人間になろうとしていたとも思うんです。あえて概念とか大きいものについて歌ったりとか、まっすぐよりは曖昧にすることを楽しんでいたんですけど、まっすぐ伝えるよさもあるよなと思って。今、恋に落ちる話を聞いて、その時に考えていた感情が蘇ってきました。「勿忘草」も、まっすぐな歌詞だったりとか曖昧さではなく、ちゃんと伝わるものを意識しているので、そういう部分もこのEPの裏テーマだったのかもしれないなって、お話ししながら思いましたね。
――わかりやすさもありつつ、余韻や余白も残している印象があるんですけど、その点はいかがですか?
由薫:そうですね。どうしても私は私なので、何かをやろうとしても私らしさが残ると思っていて。わかりやすい方向に行こうと決めても、根本的な私の好き嫌いや傾向は変わらないので。バランスよく余白が残っているのかなって。あくまで由薫の範疇で作っているからこそ、いいバランスになったんじゃないかなと思います。
――うん、バランスがいいんですよね。楽曲を聴き終わっても、曲中の登場人物たちが歩いてる感じがするし、物語が続いてる気もするんですよ。
由薫:私もそう思っていました。同じものを感じてくださっているから、そこをより感じ取っていただけたんでしょうね。
――1stアルバム『Brighter』に収録されている「Crystals」や「brighter」の時は、余韻や余白を作ることに重きを置いていましたよね。今作は余韻や余白もありつつ、そこにわかりやすさも加わっているからこそ、ソングライターとしての進化を感じました。
由薫:私自身も、自分が変わってきてるなと感じていて。それはアルバムを作ったり、アルバム作るまでにコライトや環境の変化があったりしたからこそだなって。アルバムを1枚リリースしたあとに、しっかりといい意味で変わっていくのが大事だと思っていたので、自分なりに変化を感じられてよかったです。
――それとEPのなかでは、「ツライクライ」が最もJ-POP的だなと思って。
由薫:私もそう思います! 今までの曲がかなり大人びていたからこそ、若い子もすごく共感してくれているけど、年齢を重ねた方にも響いてるという感覚がありました。24歳だからこその若々しさも、曲に残していきたい気持ちがあったんです。今まで作ってきたなかでもあまりないタイプの曲だと思うし、そういう意味で今後の自分を助けてくれる楽曲になると思っています。
――「勿忘草」はアレンジも面白いですよね。ピアノでしっとり聴かせるだけでも成立するけど、あえて歪んだ音を入れている意外性が魅力的だなと思いました。
由薫:この曲にはネイチャーっぽさを感じていて。私は、いつもリリースや何か目的があったうえで曲を書くことが多いんですけど、「勿忘草」は違っていて。作曲の共作と編曲をしていただいた野村陽一郎さんには、日頃からギターのレッスンを受けていたり、音楽のやり取りをよくしていて。私の人生の点と点を知ってくれている方と、遊び感覚でデモを作り始めたんです。野村さんはピアノを弾いて、そこに私がメロディを入れてデモを作っていった。それが「勿忘草」です。その時は、心とメロディと歌詞が直結して出てきた――それぐらい自然な作り方だったし、浮かんでくる情景も自然物な感じがして。この曲はリリースしたいと思っていたので、「ツライクライ」と抱き合わせてリリースできるのはすごくうれしいです。
――セッションに近いというか、感覚的に曲が出てきたんですね。そういうアプローチで曲を作ろうと思ったのは、何かきっかけはあったんですか?
由薫:陽一郎さんとは、レッスンが終わったあとや何気ない時間によくセッションをしていて。そのスタジオは陽一郎さんのご自宅のなかにあるんですけど、娘さんとか息子さんも普通にそこで生活をしている。そういうご家族の日常のなかにスタジオがあるのは、私にとってもかなりインスパイアリングで。「勿忘草」は、陽一郎さんのスタジオの環境に影響を受けたからこそ、ナチュラルにできたんだと思います。
――ただ音楽を作るだけの環境じゃないからこそ生まれた?
由薫:そうですね。子供たちが「ただいまー!」と学校から帰ってきて、私にも挨拶をしてくれて、たまに遊ぶこともあるんです。そういう延長に音楽があることで、自然に曲ができたのかなと思います。