南野陽子、音楽番組『ザ・ベストテン』を振り返る 昭和ならでは驚きの制作秘話や黒柳徹子との交流も

南野陽子、『ザ・ベストテン』の思い出

 来年デビュー40周年を迎える南野陽子が、伝説の音楽番組『ザ・ベストテン』(1978年〜1989年)出演シーン(4回の特番同窓会放送も含む)を集めたBlu-ray BOX『南野陽子 ザ・ベストテン Collection』をリリース。『ザ・ベストテン』は豪華なセットや演出、海外からの中継などによってヒット曲をランキング形式で紹介した番組で、毎週生放送であったことから多くの名場面とハプニングを生んだ。『南野陽子 ザ・ベストテン Collection』では、そのなかから南野が出演した全69回(歌唱66回)をコンプリート。ボーナス映像や当時のエピソードを語った50ページのブックレットも同梱される。

 トップアイドルとしての時代を共に過ごした『ザ・ベストテン』は、南野陽子にとってどんな番組だったのか。思い出やエピソード、番組に寄せる思いを語る。(榑林史章)

「アイドルらしくない」と思ってたデビュー当時

――南野さんがまだ視聴者だった時代、『ザ・ベストテン』はどういう存在でしたか?

南野陽子(以下、南野):小学校くらいのときからずっと観ていた憧れの番組でした。1時間の番組のなかに流行が凝縮されていて、次の日のお友達との話題のためという部分もあって。小学生のときはピンク・レディーさんの振り付けを覚えたし、中学生の頃になるとロック系も気になったし、でも演歌/歌謡曲も覚えちゃう。いろんなジャンルの人が出ていらして、そういう番組は他にもあったけれど、“今日の流行り”がリアルタイムで観られるのが楽しかったです。それに普通の番組は一回、二回出たら終わりだけれど、売れてランクインし続けている人は毎週出るので、よりその曲を覚えていくという感じでした。また、歌前の黒柳徹子さんとのやりとりなかで、いろんなアーティストさんの個性が出るちょっとしたゲームがあったり、今気になっていることなどをお話してくださったり、そういうところも楽しみだった覚えがあります。

――南野さんの時は、日記も公開されていましたね。

南野:番組で公開したのは構成作家さんのアイデアだったのですが、ドラマなどの現場にまで『ザ・ベストテン』だけじゃなく、『夜のヒットスタジオ』や『歌のトップテン』など音楽番組の構成作家さんがネタ集めのためにつねにいらっしゃっていて。「最近何かない?」と聞かれて、「日記を書いてます」とポロッと言ったら、すぐその話が使われて。「ちょっとこういうことがしてみたい」と話せば、すぐ番組で実現してもらえたり、徹子さんが「あなた○○したいんですって?」って話を振ってくださったり。

――最初は、10位外で注目の歌手が出られる「今週のスポットライト」で、「さよならのめまい」を歌いました。

南野:初めて出演させていただいたときは「テレビのブラウン管の中の世界に私も行っていいの!」という感じで、とてもうれしかったです。当時はいくつも音楽番組があったのですが、その中でも『ザ・ベストテン』はとっておきで、当時のアーティストや歌手の誰もが目標とする場所でした。そんな番組に初めてランクインしたときは、私もそうだしスタッフさん、家族、お友達、私に関わるすべての人がよろこんでくれました。

――18歳で初出演されてから、23歳くらいまでほぼ毎週のように出演されていました。女の子が一番変わる時期ですから、今回のBlu-ray BOXは、ある種の成長記録のようにも感じます。

南野:結果的に、そういうものになったかもしれません。だからDisc1とDisc3では、だいぶ佇まいも違います。それこそスッピンで、髪をブラシで数回といただけで出ていた私もいれば、ちゃんとヘアメイクをしていただいて豪華な衣装を着た私もいます。後半はずいぶん雰囲気にも慣れ、番組名物のうしろのソファに座っていてもいいんだと思えるようになりました。最初は「これがあのソファだ!」って、ミーハー感覚でしたけど。

南野陽子 ザ・ベストテン Collection(2024年6月26日発売)Disc1 ダイジェスト映像

――回を重ねていくごとにより輝いていく南野さんが見られるわけですね。

南野:どうでしょうね(笑)。

――そういう自分をご覧になって、やはり「あのころは若かったな」って?

南野:若いとは思いますけど、不器用なりに頑張っていたなって思う部分もあるし、「もうちょっと頑張れたんじゃないの?」と思う部分もあります。でも、とにかく懐かしいです。40年くらい前のことですから。でも、それにしてはわりと鮮明に覚えていることも多くて、セットとかいろんなところで歌ったこととか、チャレンジしていた姿勢はキラキラしていて、とても新鮮に感じますし、そこまで古く感じないのが不思議です。もちろん80年代という時代の一部を切り取ったものですけど、その80年代自体が、これからバブルに向かうというエネルギーにあふれた、豪華でキラキラした時代であったことも、このBlu-ray BOXから伝わるのではないでしょうか。

――当時はトップアイドルとして君臨していたわけですけど、そのころを振り返るとどんなことが浮かびますか?

南野:よくアイドルのど真ん中にいたみたいに言われますけど、私の周りにいた同期などのアイドルは、みんなキャピキャピしていたので、私は浮いていたんです。みんな松田聖子さんカットで、ミニスカートでしたし。

――南野さんはほとんどロングスカートでしたね。

南野:そんな人、私くらいしかいませんでした。中森明菜さんは別格で、いろんなファッションをしていらっしゃったけど。

――そのロングスカートと、黒髪のロングヘアというところから、清楚・お嬢様系アイドルというイメージが付いたのでしょうね。

南野:結果、そう観てくださった方がたくさんいらっしゃったけど、私としては、「アイドルらしくない」と自分で思っていました。「アイドルだからこうしなさい」みたいなことは、事務所やレコード会社から言われたことがないですし。自分の意見も言うほうでした。そもそも18歳でデビューというのも、当時のアイドルのなかではとても遅かったんです。昔は大体、15〜16歳でデビューでしたから。それもあって浮いていたし、周りからもわりと野放しでした(笑)。

――衣装のロングスカートはご自身で? それとも誰かから「これを着なさい」って?

南野:「これを着なさい」とか、言われたことはないです。言われたら、きっとその人を睨んでいたと思います(笑)。ソニーさんに入るときの偉い方との面接で「レコード会社対抗の運動会や水泳大会に出なきゃいけないのなら、やりません」と言ったくらい、そういう(アイドル的な)ことが得意ではなくて。こういう歌の仕事をやることも考えていなかったし、そもそもどうして東京に出てきたのか未だに不思議(笑)。思えば「夏休みに東京に行ったよ」って、友だちにちょっと自慢したかっただけ。ディズニーランドでお土産を買いたかっただけ。そんな曖昧な動機だったし、同期も年下ばかりで、みんなみたいなミニスカートは恥ずかしいなって。そういう私を理解してくださる方が、マネージャーさんなど周りにたくさんいて。「そのままでいいんじゃない?」って。だから髪型も『スケバン刑事』(フジテレビ系)のハーフアップとかポニーテールのままで、いいんじゃないかって。

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