南野陽子、音楽番組『ザ・ベストテン』を振り返る 昭和ならでは驚きの制作秘話や黒柳徹子との交流も

南野陽子、『ザ・ベストテン』の思い出

名司会者 黒柳徹子へのリスペクト

――黒柳徹子さんトークも『ザ・ベストテン』の見どころです。「あら失恋したの?」とかしれっと聞けてしまうのは徹子さんだからこそだなと。あの話術によって、引き出されてしまったことも多いのだろうと思います。

南野:いろいろストレートに聞かれましたけど、徹子さんご自身が茶目っ気のある方だから、何を聞かれても嫌な気持ちにはなりませんでした。オンエアのときはもちろん、リハーサルのときからいろんな話をさせていただいて、衣装のことを言ってくださったり体調のことですごく親身になってくださったり。私だけじゃなく、皆さんにとても気を配られているという印象でした。

――徹子さんは南野さんにとってどういう存在ですか?

南野:リスペクトの気持ちは最初のころから今も変わりません。今思ったことをきちんと言葉にして伝えることの大切さとか、それをどういう言葉でどういう表情で言うかなど、黒柳さんと接する中で学ぶところはあったように思います。でも、徹子さんに限らず、裏方のスタッフさんたちもみんなかっこ良かったんですよ。当時は30代〜40代が中心で、みんな「自分が抜けたら回らない」という覚悟と責任を持った人しかいない時代でした。たぶん今の1/3くらいの人数しかスタッフがいなくて、プロデューサーがディレクターも兼任して、それどころか制作進行までやっているくらい。ロケ場所に連絡を取って、アーティストとのコミュニケーションも取って。「失敗したら自分が責任を取ります」くらいの覚悟が、カメラさん、美術さん、照明さん、全てのスタッフさんから感じられて。だから30代の方でもすごく大人に見えたし、「自分も早くああいう大人にならなきゃな」とも思いました。でもみんなユーモアがあって、「よーし次はこういうセットでびっくりさせよう」と、つねにいろんなチャレンジをしていたなって。

――実際にびっくりしたセットや演出はあったのですか?

南野:私のときは、そこまでヤンチャなセットはなかったですけど。ベンチとかベッドとか、座って歌うことが多かったです。

――白いゴンドラで、空中で歌ったときもありました。

南野:歌っている途中で、立ったり座ったりするのはあまり好きじゃないんです。白いゴンドラのときも、足がブラブラしているのが歌いづらくて(笑)。振り付けとかダンスがしっかりあれば座って歌うという演出もできないんですけど、私はサビで手振りをする程度だったので、歩きながらセットを移動して歌うとか、セットに座って歌うといった演出が多かったかもしれません。

――ポニーの馬車に乗って歌うシーンも。

南野:特番のときだったと思いますけど、私がステッキを振ると枯れ葉が人間になって動き出すみたいな演出だったんです。私が振るのが早かったのか、枯れ葉の動き出しが早かったのか、ちょっとおかしなことになってしまいました(笑)。私の歌の世界観とは関係ないときもあって、キョンシーが出てきて踊ったりとか。そこも含めて面白かったです。

――初登場したときの2ndシングル「さよならのめまい」から、「はいからさんが通る」「吐息でネット。」、16枚目シングル「フィルムの向こう側」まで、南野さんがリリースしたシングル表題曲の8割が収録されています。特に聴いてほしい曲はありますか?

南野:特にというのはありませんけど、どの曲も本当に好きです。歌わされているという意識で歌った曲は、一つもありませんでした。「トラブルメーカー」は自分で作詞も担当しましたし。

――「トラブルメーカー」で出演されたときは、作詞メモが公開されていました。箸袋とか紙ナプキンとか、何かの紙の切れ端とか。今ならみんなスマホ一つなので、ああいう“物”が残るのはいいなと思いました。

南野:あの時代はまだ携帯電話もなかったですから。糸電話までは言わないけど(笑)、家に帰って固定電話でかけないと人とつながれなかったし。もしあのころ携帯やスマホがあったら、なにも箸袋なんかに書く必要はなかったんです。

――なかったが故の創意工夫ですよね。

南野:そうです。ないなかで情報も発信していたし、皆さんの工夫もいっぱいあった。むしろアナログの時代のほうが、人間はしっかりするんじゃないかと思います。待ち合わせにしても「5分遅れます」って連絡もできないわけだから、時間はちゃんと守るようになるし、そもそもできる約束しかしないんです。電話で何度も行き違ってしまって「この人とはご縁がないのかな」と思ったこともあったり(笑)、そこでいろんな感情が生まれて自分が進むべき道が決まっていった部分もあります。今はみんな、何でも自分で決めすぎじゃないかって思います(笑)。

――最後に、今後についてお聞かせください。来年がデビュー40周年とのことですが、どんなお気持ちでしょうか。

南野:お芝居だけをやっていると、あまり周年って関係ないのですが、若いときに歌を歌わせていただいていたおかげで、そういうお祭りごとができるアニバーサリーイヤーを迎えることができています。でも、もともと40年は続けられるとは思っていなくて。そもそも10年やれるとも思っていなかった。当時のアイドルは20代前半で結婚して引退する方が多く、10年やったら「すごい」と言われていた時代でした。そんな私が40年続けられたのは、つねに後悔があったからです。どこかできちんと演じられていたら、上手に歌えていたら、私はそこで満足して、すぐ別のところへ行ってしまっていたと思います。でも、いつまでたっても「また下手なお芝居をして」とか「また歌詞を間違えた」とかがあるので、「次こそは!」というリベンジの気持ちでやっていたら40周年を迎えるまでになっていました。そう思うと、死ぬまでこの仕事をやっている気がします。

――また、7月には『南野陽子 To Love Again Ⅲ ~GAUCHE』を開催します。

南野:コロナ禍にスタートしたライブシリーズです。そのころは、応援してくれるファンの皆さんのお手紙などの内容が、暗めのものが多くて。仕事がなくなったとか。それで「みんな、今どうしているんだろう?」と思って、お互いの“生存確認”の意味も含めて、「また会いたいね」って始まりました。今回のBOXに収録されているような自分の曲が半分。もう半分は、幼いときに影響を受けた曲に新たな歌詞を付けるなどして、その曲の思い出をお話ししながら歌います。あと若いころの曲からお世話になっている、編曲家の萩田光雄さんがサウンドプロデューサーとして関わってくださっているので、“萩田アレンジ曲メドレー”みたいなこともやります。自分の曲だけにこだわらず、去年だと「異邦人」や「木綿のハンカチーフ」、山口百恵さんの曲などをピックアップしました。昭和の歌謡曲がお好きな方なら、楽しんでいただけると思います。年齢を重ねて体力的な不安もありますけど、“今”の私を届けられたらと思っています。

――来年は、40周年のコンサートツアーも考えていますか?

南野:まだ具体的なものは決まっていませんけど、より多くのみんなに喜んでもらうことがしたいと思っています。7月のライブが“今の南野陽子”だとしたら、40周年で何かやるとしたら“あのころの南野陽子祭り”みたいな感じになると思います(笑)。でもこういう「正解本」(『南野陽子 ザ・ベストテン Collection』Blu-ray BOX)みたいなものが出たので、今から歌詞や振り付けなど確認しないといけないので大変です(笑)!

■リリース情報
商品名  :南野陽子 ザ・ベストテンCollection
仕様  :Blu-ray Disc 3枚組/三方背BOX付き豪華デジパック・ケース仕様/南野陽子インタビューブック(50P) 
品番  : MHXL 138~40
価格  : ¥16,500(税込) ¥15,000 (税抜)
発売日 : 2024年6月26日(水)
発売元 : TBSテレビ
発売協力:TBSグロウディア 
販売元 :株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ
購入リンク:https://lgp.lnk.to/9jgydC

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