Mr.Children 桜井和寿が描く“男”の手放せないものへの葛藤 『miss you』で剥き出しになった青さの正体
〈庇って叱って/祈って歯向かって/何が悲しくって/こんなん繰り返してる?/誰に聴いて欲しくて/こんな歌 歌ってる?/それが僕らしくて/殺したいくらい嫌いです〉
冒頭「I MISS YOU」からこの陰鬱さ。その後も後悔や諦念を滲ませた心情の吐露が続く。数十年分の膿を吐き出すかのように出てくる出てくる。
〈自由ってやつは/ティーンエイジャーにだけ/かかる魔法じゃないはずだろ?/バイクで闇蹴散らし/窓ガラス叩き割って/つまらぬルールを破壊しながら/昂る鼓動を感じれたなら/嗚呼〉(「Fifty's map ~おとなの地図」)
〈放った光さえ/歪んで闇に消えてった/取り戻せもしないで/また今日も立ち尽くしている/真っ直ぐな想いだって/捻じ曲がって伝わっていった/やり直せもしないで/また今日も立ち尽くしている〉(「LOST」)
〈過去に留まって/現在(いま)を御座成って/生きていくなんて 愚か者の愚行/もう席を立って帰ろう/でも何処へ向かえばいい?/燃え上がれもせずに/燻ってる炎を 感じるのに〉(「Party is over」)
この殺伐としていて儚げな様子は、あの90年代後半〜00年前半頃のミスチルのようである。そしてなんて青さ。あの頃のように真実の愛を渇望しているわけではないが、その代わりゴールを見失った喪失感や取り戻せないものに対する未練はこれまでよりはるかに強い。まっさらな青というより、くすんだ青。
青春への羨望、理解し合うことへの諦め、変わらない自分に対する嫌悪、失った時間と若さ。青年には青年の危機があるように、中年には中年の危機というものがあるのだろう。本作には、行儀よくまじめになんてできやしなかった青春期をとうに通過した中年男が、今でも手放せない何か(承認かやりがいか、はたまたその両方か)に葛藤しながらこの世を彷徨う姿がある。
極めつけは6曲目「アート=神の見えざる手」だ。
〈安直にセックスを匂わせて/倫理 道徳に波風を立てて/普遍的なものを嘲笑って/僕のアートは完成に近付く/大衆を安い刺激で釣って/国家権力に歯向かってみせて/半端もんの代弁者になる時/僕のアートは完成致します〉
若かりし頃のそれはすべて狙ってやっていたものだと突き放すようなことを言う。憎たらしいというかなんというか。でも他であんな弱っている姿を見せられたら、悔しいがやはり見放せないのも正直なところ。そもそもアルバムタイトルからして全てが裏返しのようにしか思えないのだが。
孤独屋で強がりだけどかまってほしい願望も人一倍。この男、いくつになってもどうしようもない。それでも聴いていると、なんだかんだ手を差し伸べたくなってしまうから不思議なもの。このほっとけなさは一体なんなのか。デビューから30年以上経っても桜井和寿が描く“男”の魅力は健在だった。
にしても、“かまってほしい”という男の叫びを20年以上ぶりに再び喰らう日が来るとは思わなかった。ひとまず今筆者は「つよがり」をこの男に歌いたい気持ちだ。
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