BTS、ファンと共に歩んだ10年史 世界的グループへの発展を楽曲の歴史から紐解く

 BTSのデビュー日である6月13日は、毎年「BTS FESTA」と題して1週間ほどの期間にわたって、ファンのための様々な企画やライブイベントが行われてきた。デビュー10周年を迎えた今年は、6月17日に韓国 ソウルの汝矣島漢江公園の一帯で『BTS 10th Anniversary FESTA @汝矣島(Yeouido)』が開催された。BTSのデビュー10周年を記念した同イベントには、世界中から40万人のARMY(ファンの呼称)が来場。各種イベントや体験ブースの他、リーダーのRMによるラジオ『午後5時、キム・ナムジュンです。』も行われ、花火ショーでフィナーレを飾った。6月9日には、新曲「Take Two」をデジタルシングルでサプライズリリースし、他にも人気チェーン店とのコラボなど、メンバー全員での活動ができない中で迎えた10年目を都市全体で祝った。今回は楽曲を通して、BTSの10年間を振り返ってみたい。

 BTSが防弾少年団を名乗り、楽曲「No More Dream」でデビューした当時を今から楽曲だけで振り返ると、“アイドルなのに社会派を歌ったHIPHOP”という印象を持つ人は多いかもしれない。しかし、これには当時の韓国のアイドル業界の時代背景が関係していると思われる。BTSがデビューした2013年の前年2012年は、アイドル本人が楽曲を直接制作する“自作ドル”の先駆者であるBIGBANGの大ヒット曲「FANTASTIC BABY」がリリースされ、のちに大衆的HIPHOPブームを起こすラッパーサバイバルプログラム『SHOW ME THE MONEY』がスタートした年だ。アンダーグラウンドのラッパー出身で楽曲制作に参加していたバン・ヨングクがリーダーのボーイズグループ B.A.Pがデビューし、ラッパーのチョPDが“韓国のエミネムプロジェクトの創造”を謳って誕生した、やはりアンダーグラウンドでラッパーとしても活動していたZICOがリーダーのBlock Bが注目を受けていた時期でもある。

BTS (防弾少年団) 'NO MORE DREAM -Japanese Ver.-' Official MV

 つまり、2011年頃から生まれ始めていた韓国内での“HIPHOPジャンルの大衆化”の萌芽と同時に、HIPHOP、R&B系のアーティストの事務所から自作でデビューした“アイドル”であるBIGBANGの大きな成功によって、「曲を自ら制作し、HIPHOP的な音楽をやるアイドルグループ」というトレンドの雰囲気が存在した時期に制作されたのがBTSだったということだ。デビューしてまもなく、Warren GやCoolioといったHIPHOPアーティストやプロデューサーとともにアメリカ ロサンゼルスで「HIPHOP修行」をする『防弾少年団のアメリカンハッスルライフ』(Mnet)というBTSのリアリティ番組が放送されたことは、その時代の空気感をよく表しているだろう。グループの始まりも、それぞれ地元でラッパーとして活動し始めていたRM、トラックメイクもしており最初は制作側としての採用を希望していたSUGA、ストリートダンサーとして活躍していたJ-HOPEの3人は、“HIPHOPをやるグループとしてのリアリティ”をクリエーションの中に補填するために選ばれたと思われる。「学校3部作」と呼ばれた「No More Dream」から「상남자 (Boy in Luv)」までは「若い世代に向けられる社会的偏見や抑圧を防ぎ、自分たちの音楽を守り抜く」という意味でつけられた「防弾少年団」のグループ名の通り、主に若者をとりまく社会的問題に切り込んだ歌詞が多く見られた。そこには、韓国アイドル史の中で90年代の最初に社会現象と呼べるほどの人気と大衆性を得たソテジワアイドゥル(Seo Taiji and Boys/ソ・テジと子供たち)の曲に込められた若者らしい社会的メッセージや、“SMP=SM PERFORMANCE”と呼ばれた、SMエンタテインメントが最初に取り入れた、アイドルの曲にティーンの悩みや不満といった社会的な内容の歌詞を盛り込んだパフォーマンスで人気を博したアイドルグループ H.O.T.の 「전사의 후예」(戦士の末裔)、H.O.T.と90年代末に人気を二分したSECHSKIESの「학원별곡」(學園別曲)の存在など、韓国の大衆音楽の歴史ならではの背景が存在する。

 「アイドルとHIPHOP」というトレンドにおいて最も悩ましい問題のひとつに、ラッパー自身の生身のリアリティが求められるHIPHOPという文化と、一方でアイドルとなると、事務所が制作し、心情や思想のすべてをリアルにさらけ出すことが難しいという矛盾があった。そのギャップを最大限埋めようと誕生したのが、90年代末のアイドルたちの多くが歌った“学校や社会への反抗”というメッセージを、2010年代のトレンドを混ぜて更新するスタイルだったのだろう。BTSが、デビュー当時に「ギャングスタラップ」を標榜していたのは、反体制やアンチテーゼを歌うそのジャンルを韓国で初めて紹介したと言われている、ソテジワアイドゥルの4集と関連づけられるだろうし(2017年にBTSはこのアルバムのタイトル曲「Come Back Home」をカバーしている)、「No More Dream」のイントロを聴いて「戦士の末裔」を思い出した一定年齢以上の韓国のリスナーは少なくないはずだ。韓国アイドル界のトレンドと大衆音楽史に沿ったリファレンスのもとに生まれた曲たちが、のちに韓国の音楽史には明るくないであろう欧米圏での注目において“アイドルだが社会派”というポジティブな印象をもたらした効果はあるだろう。

 デビューした2013年はデビューしたアイドルの数自体が比較的に少なく、所属事務所のBig Hit Entertainment(現HYBE)には、当時JYPエンターテインメントのバックアップも受けて大人気グループになっていた2AMが先輩として存在していたため、同期の中でもデビュー時から注目と人気を受け、新人賞も総ナメしていたものの、韓国内での人気グループのバロメーターのひとつともされる音楽番組での1位が、リリースのタイミングが大物歌手やグループと被ることも多く、なかなか獲ることができなかった。

[MV] BTS(방탄소년단) _ I NEED U

 また、日本では全国ツアーを行い、デビュー後すぐアメリカでのショーケースツアーの開催や、アメリカで開催される『KCON』にもまめに出演し、当時まだ大きくはなかったアメリカでのK-POPファンダムの中で高い注目を受けるなど、どちらかといえば国内より海外での人気が高いグループとみなされていた部分もある。その苦悩やジレンマまでもを彼ら自身のリアリティとしてコンセプトの中に織り込んで誕生したのが、次の「花様年華」である。このコンセプトでの最初のリリースとなった「I NEED U」で初めて音楽番組での1位を獲り、韓国でも名実ともに人気グループの仲間入りを果たした。「厳しい現実の中で傷つきもがきながらも、片割れのような仲間を見つけ共闘していく少年たち」という、フィクションとノンフィクションのあいだで生まれた物語は、現在まで続いている。その物語に沿って生まれた「I NEED U」「Run」「Save ME」といった曲たちはエモーショナルで切ないEDMに全振りしていたが、一方で「DOPE (쩔어)」「FIRE (불타오르네)」といった、当時のHIPHOPのトレンドの雰囲気を織り込んだようなアッパーな曲もリリースしている。アイドルとしてのトレンドを抑えた部分と、「防弾少年団といえばHIPHOP」というイメージを壊すことなく、理想的なバランスの中で楽曲づくりをしていたと言えるだろう。

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