森 大翔、J-POPに一石投じる1stアルバムを語る ギターキッズとして歩み、自分らしい感情表現を見出すまで

森 大翔、一石投じる1stアルバム

 シンガーソングライターでギタリストの森 大翔が10代最初にして最後となる1stアルバム『69 Jewel Beetle』を完成させた。ロンドンで行われた、16歳以下のギタリストによるエレキギターの世界大会(『Young Guitarist of the Year 2019 powered by Ernie Ball』)で優勝した経歴を持つ彼は、2010年代的なSNS発のギタリストとしてのバックグラウンドを持ちながら、自ら歌ってJ-POPの世界へと歩みを進め始めたアーティストと言ってもいい。故郷である北海道・知床でギターインストにハマり、“ここではないどこか”を夢想していた学生時代から、上京して歌や言葉と向き合い、現実世界で生きていくことを等身大の歌詞で綴るようになった成長の記録を、テクニカルで多彩なギターワークとともに詰め込んだ『69 Jewel Beetle』は、まさに宝石箱のようなきらめきに満ちている。(金子厚武)

がむしゃらに弾いていた日々から世界大会優勝へ

――大翔さんは小6のときに従兄弟のお兄さんからTHE CRYING STARを譲り受けて、GALNERYUSのコピーからギターを始めて、Dream Theaterだったり、ハードロック/ヘビーメタルを練習する日々を過ごしていたそうですね。

森 大翔(以下、森):「ギタリストになるぞ」っていう気持ちで、ひたすら速弾きをしてました。バンドは組んでなかったので、YouTubeとかで音源を流して、一日に同じ曲を何回も弾いて……今考えればすごいですね(笑)。とにかくソロが弾きたかったので、コードとかをちゃんと覚えたのはここ数年、自分で曲を作るようになってからなんです。とにかく弾いて、録音したものを聴いて、「ミスってるじゃん。もう一回頑張ろう」っていうのをひたすらやってた時代がありました。

――その後はPolyphiaとかCHONとか、2010年代のギターインストを聴くようになって、影響も受けたそうですね。

森:中2くらいまではハードロックやメタルをよく聴いてたんですけど、そこから線が引かれたというか。ギターインストがすごく盛り上がってたんですよね。ギターインストって、ジャンルがバラバラじゃないですか? ギターにフィーチャーしてるんですけど、ヒップホップだったり、マスロックだったり、ジャズだったり、いろんなジャンルがそこに入ってきてる。彼らが影響を受けたアーティストを調べると、エレクトロニカだったり、ギターミュージックではないジャンルからの影響も多くて、そこからギターミュージック以外の音楽も好きなんだなって気づいて、聴く幅がどんどん広がっていきました。

――2010年代以降のギターカルチャーにとってはInstagramの存在が大きいと思うんですけど、そこに関してはいかがですか?

森:まさに僕もインスタに投稿し始めて、Pickup Jazzみたいなアカウントにピックアップしてもらいたくて、タグをつけてみたりとかして。そうすると国内だけじゃなくて、海外のフォロワーとか知り合いもたくさんできて、たまにすごい人に観てもらえるのもすごい嬉しかったんです。一回、ジェイムス・アーサーが僕の動画をストーリーに上げてくれたんですよ。ジョン・メイヤーのギターソロを弾いてる動画をPickup Jazzが取り上げてくれたのを観てくれて、すごくびっくりしたのを覚えてます。どこでも届くんだなって。

森 大翔「台風の目」Music Video / Yamato Mori - “Taifu no me”

――最近の日本だとIchikaさんがSNS発のギタリストとして有名ですが、彼のような両手タッピング奏法には行かなかったんですか?

森:めちゃめちゃやってました。Ichikaさんが超大好きで、中学生のときに憧れて、僕もクリーンでタッピングめっちゃやってましたし、そういう曲を作ったりもしてました。でも、どれだけやってもIchikaさんにはなれないっていうのは気づいていたし、僕以外にも影響を受けてる人がたくさんいたから、自分のスタイルを探していた中で、歌を始めたっていうのもあって。それが自分のアイデンティティというか、ギターも弾けて、歌も歌って、曲も作れるんだっていう、自分の個性が少しずつ見えてきたんです。

――16歳のときに、16歳以下のギタリストによるエレキギターの世界大会に出場し、オリジナル曲で優勝したそうですが、DTMはいつからやってたんですか?

森:中1くらいからです。僕の地元にいる漁師の人で、倉庫を改造してライブハウスにしている一家がいて。矢沢永吉さんのコピバンを家族でやってて、車のナンバーも「830」だったり、かなりパンチが効いてるんですけど(笑)、その人たちが公民館で演奏してるのを観に行ったりして、町がすごく狭いから大体の人が知り合いっていうのもあって、よくしてもらっていて。その人からいろんな音楽やDTMを教えてもらいました。

――大会にエントリーした曲はどういうテイストだったんですか?

森 大翔
森:一言で表すのは難しいんですけど……豊かな感じです。ちょっとワイドな、知床感というか、ネイチャー感があるというか。

 ――サブスクでも聴ける「Frostbite (Feat. Bryan Segraves)」みたいな感じ?

森:まさにああいうテイストにギターをフィーチャーして、速弾きもしつつ、でもどっちかというとじんわり弾いているので、緩急もちゃんとつけて、ストーリーがあるような感じ。今思うと、すでにギターを弾くための曲じゃなくて、“曲のためのギター”になっていたなって。これは今すごく意識してることに繋がってるんですけど、あくまで伝えたいものがあって、それを表現するためにギターがあるっていう。そこを意識するようになったのは、大会に出たときからでした。

――最初は速く弾くことが一番大事だったけど、そこからまず自分の表現したいことがあって、そのためにどう最大限ギターを生かすかに考えが変わっていったと。

森:はい。地元が知床だったことも大きい気がしていて。身近に豊かな自然があって、海の匂いがして、インスピレーションが豊富だったんですよね。「これを表現したいな」っていうのは、たぶん高1の段階からあったと思います。

上京してから芽生えた“人生を俯瞰する視点”

――現在のメインギターであるテレキャスターはいつから使ってるんですか?

森:高3ぐらいからです。THE CRYING STARのあとに、「マヨネーズ」とも呼ばれるMayonesっていうポーランドの7弦ギターを中学生の頃に買ったんです。昆布漁の手伝いをしてもらったお金だったり、お年玉を貯めたり、おじいちゃんに借金をしたりして(笑)。

――やはりメタル好きのルーツが表れてますね(笑)。逆に言うと、そこからテレキャスっていうのは大きな変化ですよね。

森:今使ってるのはShikagawaっていう、北海道の恵庭市にある工房で作られてるものなんです。Twitterで北海道産のギターがあるっていうことを見つけて、シンパシーというか、ロマンを感じて、コンタクトを取ってみたら「一度会ってみましょう」って言ってくれて、それから結構何回も会いました。僕は恵庭に髪を切りに行ってたので、そのたびに「寄っていきなよ」みたいな感じで、ギターについていろいろ教えてもらって、そのうち「これ貸してあげる」と言われて、最初に貸してもらったテレキャスがこれ。それをいまだに借りたまま使い続けてるっていう(笑)。

――借りた状態のままアルバムのジャケット(『69 Jewel Beetle』に写っているもの)にまで登場してると(笑)。これまでのギターとの違いはどんな風に感じてますか?

森:今まで使っていたTHE CRYING STARとかMayonesよりは素直な音というか。見た目もめっちゃ木だし、シングルコイルだし、一周回ってギターらしい音を伝えるにはこれがいいんじゃないかなって。ギターのことをよく知らない人にもギターの面白さを届けたいっていう気持ちもあるので、難しいギターを使ってどうこうっていうよりは、“ザ・ギター”っていうギターを使うのがいいんじゃないかなって。

森 大翔「剣とパレット」Music Video / Yamato Mori - “Ken To Palette”

――アコースティックギターはいつから弾いてるんですか?

森:アコギは高2とか高3なので、わりかし最近です。JYOCHOのだいじろーさんに憧れて、ああいうギターを弾いてみたいなと思って。テクいけどパッションも味もあって、すごい素敵なんですよね。それで、だいじろーさんが好きなギタリストのピエール・ベンスーザンを知って。すごく変則チューニングなんですけど、やっぱりただギターを弾いてるだけじゃない、ちゃんと味を出して弾いてるのにすごく惹かれて、自分もアコギを弾いてみたいと思ったんです。

――指で弾くようになったのはアコギからですか?

森:いや、それはエレキからです。マテウス・アサトさんもめちゃめちゃ大好きで、あの人が指でソロギターを弾く動画をよく上げていて、僕はそれをよくカバーしてたので、そこから自然と指弾きができるようになりました。その前にタッピングをしてたから入りやすかったのか、あまり難しいと思った覚えはないですね。

――ずっとギターインストを作っていた大翔さんがデビューに向けて自ら歌い、作詞もするようになって、2021年のデビュー以来やってきたことの最初の集大成が今回のアルバムだと思うんですけど、ここまでの手応えをどのように感じていますか?

森:まず最初は言葉と全く仲が良くなくて。僕は本当にギターしか弾いてなかったので、ギター以外のインプットが全然なかったんですよ。映画も観ないし、本も読まないし、テレビも観ないし、本当にギターを弾くためだけに生きていたので(笑)。でも歌詞を書くようになってから、少しずつ映画を観たり、詩集を読んだり、いろんなアーティストの曲を聴いたりして、歌で伝える素晴らしさ、かっこよさ、美しさにどんどん惹かれるようになっていって。言葉ってすごく人間的じゃないですか? 僕が今まで聴いてきた音楽はどっちかというと異世界なんですよね。ギターだけのインストワールドで僕が感じていたのは、人間をちょっと飛び越えた感覚というか。

――違う世界に連れていってくれるような感覚?

森:知床がまさにそういうところで、ちょっと人の営みとは離れた場所にある遠い世界の感覚だったんです。でも言葉と触れ合うようになってから、自分と向き合うことも増えて。例えば、ノスタルジーがテーマだとしたら、「なぜ悲しいんだろう」みたいなことを考えて、自分の心を少し打ち明けてみたら、気持ちが温かくなったりもして。人としての成長だったり、思ったことだったり、外からの刺激がとてもよく出ている歌詞で、今回の曲はほとんど自分のことしか歌ってないんですよ。

森 大翔「君の目を見てると」Music Video / Yamato Mori - “Kimi No Me Wo Miteruto”

――社会に対する目線などもあるとは思いますけど、それもやっぱり自分から見た目線だったりするわけですよね。

森:そうですね。ほとんどパーソナルなところから出発している歌詞なので、このアルバムを通して自分自身の成長が見えるなって。このアルバムだと「台風の目」が最初にできた曲なんですけど、そのときは余裕もなくて、ただ自分のモヤモヤした気持ちだったり、辛い思いだったりをぶちまけることしかできなかったんです。でもだんだん、僕もいろんな人と出会ったり、恋をしたり、誰かの背中を見たりして、人としても成長して、自分自身に余裕ができてきて。それでも日々辛かったり、余裕がなくなっちゃうこともあるけど、そういう自分をもうちょっと俯瞰から見て歌詞を書いたりすることもできるようになって、その成長段階がすごく歌詞に出てると思います。

――去年の春に上京してきたことも大きかったでしょうね。人との関わりが明らかに増えただろうから、その中で感じたことも、歌詞に落とし込まれていっただろうなと。

森:めちゃくちゃ大きいです。このアルバムの曲は、ほとんど東京に出てきてから作った曲なんですけど、東京は人がめちゃくちゃ多いじゃないですか。知床はリスとか熊とかキツネとかしかいないけど(笑)、東京は本当に人が多いから、この街では自分がすごく小さく感じて、自分はただの人なんだなって思うんですよね。それはいい/悪いじゃなくて、それこそ俯瞰で見られるようになったってことなんですけど、そうすると自分はあくまで一人の人間で、自分が抱くような感情は、きっと誰かも抱えていると思うようになったんです。そこには誰かと繋がりたい自分と、ずっと一人でもいいんじゃないかと思う自分との揺れがあるんですけど、音楽はどちらも肯定してくれるというか。どういう感情も消化できるものが音楽だと思うので、そこは恐れずにさらけ出して書くようにしました。

森 大翔「すれ違ってしまった人達へ」Music Video / Yamato Mori - “Surechigatteshimattahitotachie”

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