中村佳穂、君島大空らサポートする西田修大が振り返る、ギターとの出会いから音楽家としての目覚めまで

中村佳穂、君島大空らサポートする西田修大が振り返る、ギターとの出会いから音楽家としての目覚めまで

 中村佳穂、石若駿、君島大空、角銅真実……現在日本の音楽シーンを面白くしている気鋭の音楽家のライブを観に行くと、そこには必ずギタリスト・西田修大の姿がある。吉田ヨウヘイgroupのメンバーとして本格的なキャリアをスタートさせ、休止期間を挟む約7年の活動を経て、2019年2月バンドを脱退。現在は前述した名前をはじめとした様々なアーティストのライブやレコーディングに参加し、精力的に活動を続けている。ジャズを軸としたクロスオーバーがここ日本でも徐々に広がり、優れたプレイヤーたちがコレクティブな動きを見せる中にあって、西田のギターヒーロー然とした佇まいは確かな存在感を放ち、彼に対する注目度は日増しに高まっていると言えよう。今回はそんな西田が初めてこれまでのキャリアを振り返り、今後の展望までを語ったロングインタビューを前後編に分けてお届けする。(金子厚武)

「ジョン・フルシアンテはまさにヒーロー」

――最初にギターを手にしたきっかけから教えてください。

西田:高校まではテニス部で、結構真剣にやってたんですけど、最後の夏の大会で肩を壊しちゃって、これから受験ってタイミングで、鬱屈としてた時期があって。で、もともと親父の影響でエリック・クラプトンが好きだったんですけど、地元の広島にクラプトンが来ることになって、観に行ったんです。そうしたら、なんかもう嬉しすぎて、1時間半くらいずっと泣いちゃって。それで親父にお願いして、ギターを買ってもらったのが最初です。大学はもともと東京に出るつもりだったから、「東京行ったらバンドやりてえ」って思いながら、家でずっと「Crossroads」の練習をしてました(笑)。

――海外のブルージーなロックが入口だったわけですか?

西田:クラプトンから派生して、スティーヴィー・レイ・ヴォーンとかジミ・ヘンドリックスとか、いわゆるギターヒーローが好きでした。高校の同級生の中にバンドをやってるやつらがいて、高3くらいでレッチリ(Red Hot Chili Peppers)とかレイジ(Rage Against the Machine)も好きになったんですけど、それまではひたすらブルースロックと、あとはR&Bですね。母がダンスの先生で、振り付けのためにブラックミュージックをよく家で流していて、そういうのを聴くことが多かったです。

――で、実際に上京して、大学の軽音サークルに入ったと。

西田:一緒に上京したやつと一緒に音楽サークルを見て回って、自分が入ることになるBEAT POPS研究会の部室にいたときに、たまたまOBのboboさんが来たんですよ。そのときはまだスネアが何かもわかってないような状態だったけど、初めてboboさんのプレイを間近で見て……眩しかったり、風が強いと、目が開かなくなるじゃないですか? ずっとああいう感じで、「すげえ!」と思って。なので、あの人に憧れたのがミュージシャンになろうと思った最初のきっかけだった気がします。それからは地下の部室に籠って、みんなで音楽を聴いて、練習して、あのサークルは自分にとってデカかったですね。

――当時はそれこそレッチリやレイジのようなミクスチャーをやってたわけですか?

西田:レッチリとレイジは「もういいだろ」ってくらいやりました(笑)。あとサークルの2個上の先輩の代がいわゆるオルタナ、Sonic Youth、At The Drive-In、Fugazi、Dinosaur Jr.とかが好きな人が多くて、自分も好きになったり。NATSUMENもめちゃくちゃ好きで、AxSxEさんも大学の先輩なんですけど、ベースの山本さんがサークルのOBで、大学1年のときに一緒にレッチリをやってもらったり、すごく影響を受けました。

――ギタリストとしての影響源で言うと、まずはやっぱりジョン・フルシアンテ?

西田:ですね。レッチリはホント大好きで、ブートを500~600枚持ってて、「『LIVE AT BERLIN』の「Scar Tissue」のソロが好き」とか言ってコピーしてて(笑)。当時はただただかっこいいと思って聴いてたんですけど、何でそんなに好きだったのかを今考えてみると、あの人めちゃくちゃギターヒーローで、めちゃくちゃ弾けるけど、全然動かずに何も弾かないときもあるじゃないですか。それが全部、その音楽に求められてることをしてるというか、あそこまで徹底してやってる人は他にいないなって。しかも、結構気分でそれをやってるんですよね。「今日はテンション高いから弾きまくっちゃおう」みたいな、それも正解な気がするんです。そういう自分が思うロックギターのかっこいい要素が詰まってる人だったので、ジョンはまさにヒーローですね。

――トム・モレロに関してはどうですか?

西田:あの人はとにかくプレイに思想が強い気がしてて、あの人の足元って、結構シンプルなんですよね。ブースター、イコライザー、ワウ、ワーミー、ディレイ、フェイザーくらい。「それらをいかに柔軟に使って、どれだけのサウンドを作れるかだ」っていうことを彼は常に言ってて、だから、「これ一発踏んだら変な音になります」みたいなのって、彼のプレイにはほぼなくて。彼のプレイには思想があって、実践があって、そこには層があるから、安易に近づけない強度がある。エフェクターを使うことは全然悪いことじゃないし、僕も大好きですけど、エフェクターともちゃんと楽器として向き合って、そこに自分のフィジカルと思想を合わせてアウトプットしてる。そういうところが好きなんですよね。

――吉田ヨウヘイgroupの吉田くんもサークルの先輩で、西田くんが大学4年生の頃から一緒に活動を始めたそうですね。吉田ヨウヘイgroupに参加することで、プレイスタイルにはどのような変化がありましたか?

西田:吉田ヨウヘイgroupは管楽器もコーラスも分厚くあるものを最初から目指していて、リズムも隙間の多いシンプルなものよりは、複雑に構成しようとしていた曲が多くて、それこそレッチリやレイジはギターが中心にあることが多い音楽ですけど、吉田ヨウヘイgroupは特に初期において、ギターはアンサンブルの中心ではなかったんですよね。言ったら、なくても成立する、余剰ではあるんだけど、でもあった方が絶対にいいっていうものを目指して、アプローチをいろいろ考えるようになりました。それはずっと自分の核になっています。

――吉田ヨウヘイgroupには「ジャズ」というキーワードもあったわけですが、西田くんはいつ頃からジャズに興味を持つようになったのでしょうか?

西田:それまではあまり意識して聴いてなかったんですけど、吉田さんに教えてもらったり、ほぼ同時期に柳樂さん(ジャズ評論家の柳樂光隆)にも会ったので、いろいろ教えてもらったりして。ただ、未だに結構そうなんですけど、「ジャズを聴いてる」って感覚では聴いてなかったかもしれない。教えてもらったのも、いわゆる最近のジャズというか、当時インプットしたのはよりフォーキーだったり、よりR&Bの解釈が入ってたりするもので、単純に新しい音楽を聴いたときのワクワクがあったんですよね。今思うと、当時は何を聴きたいかよくわからなくなってて、「何か面白いのないかな?」って思ってたときに、すごく新鮮で、刺激になったんです。

――ギタリストで言うと、影響が大きいのはやはりWilcoのネルス・クライン?

西田:ネルスがめちゃくちゃ好きになったのはその時期ですね。もともと大学生の頃はそんなにピンと来てなかったんです。でも、吉田ヨウヘイgroupをやり始めて、「こんなギターが弾けたらベストだ」って思うギターを弾いてたのがネルスだったんですよね。なので、「あの人からもっと影響を受けたい」と思って、いっぱい聴いて、ライブも観に行って、とにかくそのスタイルを追いかけました。

――ジャズマスターを使うようになったのも、ネルスがきっかけだったんですよね?

西田:完全にそうです(笑)。今日も持ってきてるジャズマスターは、吉田ヨウヘイgroupでフジのルーキーに出るちょっと前に見つけて、「フジ決まったら買う」って言ってて、ホントに出れることになったから、5年ローンで買って。去年君島(君島大空合奏形態)とまたルーキーに出た時に、払い終わりました(笑)。

――改めて、ネルスのどんな部分に特に惹かれたのでしょうか?

西田:ネルスもWilcoの中ではいないと音楽の骨格が成立しない人ではないと思うんです。でも、それがないとかなり寂しいし、それがあるから曲が輝く。例えば、ノイズがうるせえから、逆に歌詞に耳がフォーカスされちゃうとか、そういうアプローチがものすごくできる人だと思ったんですよね。ジョンもそういうところはあると思うけど、ネルスは自分にとってよりわかりやすくそうだった。「歌を生かすギター」とか「曲を生かすギター」みたいなのってあるじゃないですか。それってイメージ的には間引いた感じになると思うんですけど、ノイズがめちゃくちゃ鳴ってて、その中でボーカルが一節だけフッと聴こえて、めっちゃいいなって思ったり、「何でこんな盛り上がってるところでそんな盛り上がんないの?」みたいなのにウワって思ったりもして。頭で考えると、「歌を生かす」「曲を生かす」って、ついスマートな感じになっちゃうけど、そのイメージを大きく変えてくれたんです。

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