デフスターレコーズ座談会 レーベル関係者4氏が語り合う、忘れがたい日々【評伝:伝説のA&Rマン 吉田敬 第3回】
二つに分かれた道、それぞれが辿った道
2003年8月1日、敬さんはワーナーミュージック・ジャパン代表取締役社長に就任した。
この4人で敬さんを支えた日々は、結果3年にも満たなかったともいえるし、太く短い栄光の日々だったともいえる。
「いろいろな独立方法を模索した結果、現実的なものはなく、すぐにでも辞めたいという意思もありワーナー移籍を選択したんだと思う。具体的な報酬というのも(決断した原因に)あったのかもしれない」(大堀氏)
洋楽のコンテンツが充実する一方、邦楽アーティストの継続的なヒットが実現できず、売上的にも利益的にも不振にあえでいたワーナーを立ち直らせるカンフル剤として、敬さんに白羽の矢が立ったのかもしれない。
敬さんがCBS・ソニーに入社した頃、配属された国内販売促進部を統括する立場にあった当時、雲の上の存在だった稲垣博司氏から熱心に口説かれたのも、決断につながったのではないか。
その後のデフスターは、藤原氏が2代目社長に就任。大谷氏は宣伝をみることとなった。
二つに分かれた道。それぞれが辿った道。
「ワーナー入社後は最初のヒットが出るまで必死だった。リストラが終わったと聞いて入ったのに、最初にした仕事が追加のリストラだった。敬さんとともに社員集会で説明したが、怒号渦巻く中、吊し上げを食らった。話が違うと思った」(大堀氏)
大堀氏は、社長補佐~執行役員制作本部長として、ワーナーでも敬さんの補佐役に徹し続けた。
毎年忙しかった年末も、ワーナーに入社した年は『NHK紅白歌合戦』の出演者は0。会心のヒットが1曲も出ない日々がしばらく続いた。場末の居酒屋で流れる有線放送では、「瞳をとじて」(平井 堅)、「雪の華」(中島美嘉)と連続して、その年を代表するソニーミュージックのヒット曲が流れていた。ただひたすら悔しさを噛み締めたのを覚えている。
そんな中、ワーナーに入社3年目、僕は敬さんから、異動を言い渡された。
「持ち味が出てない。好きなことをやってみろ」
以前からやりたかった、タイアップに特化した社長直轄の特命部隊を作ることとなった。
ほどなく、コブクロが「ここにしか咲かない花」(2005年シングル)でブレイクのきっかけをつかみはじめる。
「コブクロ、絢香、Superflyと、立て続けにヒットを出した。さすが敬さんだと思った」(大谷氏)
その後、大谷氏は、ソニーミュージックの別レーベル、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズの代表に就任。CHEMISTRYは“アソシ”所属となり活動を再開する。
藤原氏は、ソニーミュージックが完全子会社化したBMG JAPANに出向し、アリオラジャパンの立ち上げに参加後、代表に就任。平井 堅は“アリオラ”所属となる。
レーベルとしてのデフスターは、その後もしばらくは存続した。主要アーティスト、スタッフが他レーベルや他部門に社内異動する中、形を変えつつも、僕らのスピリットを引き継ぐスタッフ達が生き残りを必死に図っていたのかもしれない。
そうして、数年が過ぎ、2010年を迎えた。
大谷氏は、大阪のFM局が主催するゴルフコンペで、突然、敬さんに声をかけられたという。ちゃんと会話するのは、敬さんがデフスターを辞めた時以来だったそうだ。
「それまではバッタリ遭遇しても避けられることが多かったので、意外な気がした」(大谷氏)
敬さんはちょっと、はにかんで照れてはいたけれど、元部下との久々の会話を楽しんでいたという。
しかし、大谷氏にとって、この日が敬さんと話した最後の会話になった。
敬さんが亡くなって、何年か経ったある日、当時のデフスターのメンバーが、赤坂の鮨屋に集結した。この4人が集まるのも、僕と大堀氏がデフスターを去ってから、初めてのことだった。
デフスター時代、敬さんとともに何かにつけてはこの鮨屋に集まり打ち合わせをした、僕らにとっては思い出の場所だった。
「今日集まったのは、あの鮨屋以来かもしれませんね」(大堀氏)
冒頭の大谷氏の問いに、大堀氏は呼応した。もう僕らの間には、何のわだかまりもない。
大堀氏は、その後ワーナーを去り、トイズファクトリーの専務に就任。ここでもきっと、補佐役に徹してるのだろう。
「敬さんを止めましょう!」と招集した以来となった僕の呼び掛けに、3人共、快く時間調整してくれた。感謝しかない。
ここから先は、僕の仕事だ。(続く)
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