嵐ら手がける梨本威温、ハイブリッドな感覚から生まれる親しみやすい振付 ダンスの重要性に変化も

嵐ら手がける振付師 梨本威温インタビュー

 J-POPにおけるダンスや振付の重要性が注目されている昨今、アイドルやアーティストを“踊らせる”というよりもその作品やアーティストらしい“佇まいを見せる”という演出的要素も込みで注目される振付師が梨本威温だ。嵐をはじめとするアーティストの振付や、話題のYouTubeチャンネル『+81 DANCE STUDIO』のディレクションなどで知られているが、ファッションや演劇といったダンス以外のキーワードも含め、彼の魅力的な振付がどのような発想のもとに生みだされているのかを探った。(古知屋ジュン)

ゲーム感覚でダンスを始めてから、振付の楽しさに目覚めるまで

――梨本さんがダンスを始めたきっかけを教えていただけますか。

梨本威温(以下、梨本):4つ上の兄の影響です。中学校に上がって色気づき始めると、ファッションも音楽も誰が新しいトピックを同級生コミュニティに持ってくるか競い合っていたので、僕は兄の部屋からファッション誌や音楽ビデオ、ダボダボの洋服をいつも漁っていました。その流れで兄の持っていたビデオからストリートダンスというものを初めて見て、自分でもやってみたいと思い真似し始めたのが中学2年生くらいです。

――最初に注目していたアーティストやグループというと?

梨本:兄が繰り返し観ていた、マイケル・ジャクソンの「Remenber the time」のミュージックビデオやマライア・キャリーの『Daydream World Tour』(1996年)日本公演のライブビデオで、この2つは、踊っているダンサーが一緒なんです。MVを含めて、アーティストというよりはそのElite Forceというダンスチームを映像で追いかける感じでした。

――ヒップホップの神様的な存在ですよね。梨本さんは同級生の中では早熟だったりマニアック派だったんですか?

梨本:そんなこともないです。当時は雑誌の『Woofin’』や『Fine』でダンサー特集が組まれることもあって、ニューヨークのElite Forceのことも同世代の男の子たちは割と知っていたと思うし、僕らにとってはダンスだけじゃなく彼らが着ているものや踊っている曲まで調べる追っかけアイドル的な存在でした。当時はゲームで遊ぶような感覚で彼らのダンスをコピーして楽しんでいたので、それを人に見せるとか発表するとかはまったく考えていませんでした。

――ダンスだけでなく、ファッションを含めたカルチャーそのものが憧れの存在だったと。その後、有名な話ですが梨本さんはジャニーズ事務所に入所されてジャニーズJr.として活躍されていた時期もあって、この発想の切り替え方も面白いですね。

梨本:同級生の女子はやっぱりジャニーズが好きだったし、今と同じようにどこにいても当時SMAPやTOKIO、V6は目や耳にする身近なものとして捉えていたんです。ストリートダンスを始めたのも、ジャニーズに入ったのも、当時の自分にとっては同世代の子たちが意識する割とミーハーな興味だったと思います。

――ダンスをゲーム感覚で楽しむところからスタートして、自分で振りを作ることを面白いと感じるようになったのはいつ頃なんですか?

梨本:ジャニーズJr.の時に普段は振付師の方がいて、振りを移してくれていたんです。でもある歌番組ではJr.が代わる代わるダンスをリレーしていくようなコーナーがあって、1グループで8小節のルーティーン(一連の動き)を自分たちで作ることになっていたんですね。そうなるとみんな、ジャニーズでは習っていないダンスを外から取り入れたりして、そこで新しいものを仲間に見せたいわけですよね。そこで自分たちでダンスって作れるんだと知ってから、当時のものすごく少ない体の文法を使って頑張って作ったダンスの評判が良かったりするとすごく嬉しくて……というのがたぶん原体験ですね。15、16歳くらいの時です。

――Jr.時代に振付の楽しさに出会って、退所後は大学に進学されて学業と並行してアパレルのお店を運営されたり、卒業後にPRエージェントで働いたりと様々なキャリアを積まれてきて、その中で好きなダンスの形もどんどん変わっていったんじゃないかと思います。その後サポートされていたWORLD ORDER(後述)や、ユニットを組まれていたHIDALIのパフォーマンスを拝見すると、アニメーションダンス(筋肉を弾くようなポップダンスの派生ジャンル)の影響が強いのかなと思ったんですが。

梨本:おっしゃる通りで、スタートはElite Forceでヒップホップから入ったんですけど、その後にロックダンスやポッピン、いわゆるオールドスクールと呼ばれるダンスのジャンルをなぞるようになった10代後半くらいの頃に、アニメーションダンスを知ったんですよ。「あれはどうやってやるんだ!?」みたいな感じで注目されて、僕ら世代以降のダンサーの多くは、ジャンルを問わずアニメーションやポッピンのテクニックから自然と影響を受けている印象はあります。

――WORLD ORDERのパフォーマンスは一度見たら忘れられない独特さがあると思うんですが、どういう流れで手伝うようになったんですか?

WORLD ORDER "HAVE A NICE DAY"

梨本:WORLD ORDERの須藤元気さんからアートグループのGRINDER-MANにライブ演出の依頼があったんです。そこで演出チームのアシスタントとしてGRINDER-MANに呼んでいただきチームinしたのがきっかけです。

――そこでのちにグループを組むことになるHIDALIのメンバーと知り合われて。

左 #1「残暑お見舞い」/HIDALI #1 "LATE-SUMMER GREETINGS"

梨本:WORLD ORDERのチーフコレオグラファー兼メンバーとして野口量がいて、出会った当初から密かに量さんには自分と近い感性を感じていました。10代を共に過ごしていたわけじゃないのに、知らない兄貴に会うような不思議な気分でした(笑)。一年ほど経った日に彼から「世界最強の振付師集団を作りたい」と言われ、量さんとなら是非やりたいと即答しました。

――HIDALIも記憶に残る個性的な作品が多くて、“世界最強の振付師集団”という表現はよくわかります。そこから独立されて自分一人でやってみようと思われたきっかけは何だったんでしょうか?

梨本:HIDALIを立ち上げてちょうど3年経っていたので、また新しいことをするために一度リセットしようと考えて、2016年から一人で動き始めた感じです。

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