EXILE MAKIDAI連載「EXILE MUSIC HISTORY」第7回 T.Kuraが明かす、日本語R&Bの進化

「EXILE MUSIC HISTORY」第7回

 EXILE MAKIDAIによる「EXILE MUSIC HISTORY」は、EXILEが2021年9月にデビュー20周年を迎えたことを受けて、その音楽的な進化の軌跡を振り返る連載だ。

 最新のストリートカルチャーやダンスミュージックのエッセンスを、メロディアスで口ずさみやすいJ-POPに注入し、ダンスパフォーマンスによる視覚的な表現を掛け合わせることで、日本の音楽シーンに一時代を築いてきたEXILE。そのクリエイションには一体どんなイノベーションがあったのだろうか。日本の音楽シーンを代表するクリエイターたちの肉声に、MAKIDAIが迫る。

 第7回のゲストには、EXILE、三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE、安室奈美恵、三浦大知、Crystal Kay、AI、E-girlsなどの楽曲を手がけてきたプロデューサーのT.Kuraが登場。名曲「I Wish For You」の誕生秘話はもちろん、海外のR&Bのエッセンスをどのように注入してきたのかなど、00年代以降のダンスミュージック史の核心に迫る話を語ってもらった。(編集部)

EXILEのメンバーは、とにかく気合がすごかった

MAKIDAI:はじめてKuraさんとお会いしたのは、僕らがEXILEとして活動を開始する前でしたよね。

T.Kura:そうですね。初代J SOUL BROTHERSの時に、HIRO君やMAKIDAI君、まっちゃん(松本利夫)と中目黒のスタジオで会いました。まだどんな人かも分からずに曲を作り出したんです。そうしたら、みんなレコーディングスタジオの外のスペースで踊っていて驚きました(笑)。日本でそういう風景を見たことがなくて「この人たち、根っからのダンサーやん」と。ステージでのダンスもバキバキで「日本もこういう時代になったんだな」と。あれが“ダンサー主導のグループ”を初めて見た瞬間じゃないかな。

MAKIDAI:僕らは歌を録る訳ではないのにスタジオに行って、音を聴きながら踊っていたので、邪魔だったかもしれません(笑)。

T.Kura:EXILEになってからも、録音の時にみなさんでスタジオに来てくれたじゃないですか。「声が必要だったら言ってください」と言われて、やる気とプレッシャーを後ろに感じていました(笑)。〈HEY!〉みたいなパートをお願いすると、みんな全力でやってくれて。

MAKIDAI:ガヤ的な。

T.Kura:EXILEのメンバーは、とにかく気合がすごかった。

MAKIDAI:J SOUL BROTHERS時代、HIROさんがリハーサルで「Kuraさんは1音1音を計算研究していてすごい」と話していたんです。僕が印象的だったのは「Fly away (Giant Swing Mix)」(2000年)でした。あの時のことは覚えていますか?

T.Kura:覚えてますよ。原曲は縦ノリの曲でしたが、どうせリミックスするなら違う方向性に変えたかったんです。当時はDJだけでなく僕みたいなプロデューサーも含めて、リミックスでいかにリスナーを驚かせられるかを競っていました。あの時は、世界的にアトランタのサウンドが流行っていましたね。

MAKIDAI:アナログであのリミックスをいただいて、家のターンテーブルで針を落としたんです。そうしたら雨の音から始まって、メロディが入ってきて……「なんじゃこりゃあ!」と驚きました。

T.Kura:原曲と全然違うから、そりゃあ驚くよね(笑)。リミックスは僕みたいな人間にとっては勉強になる作業なんですよ。1から組み立てるような作曲に対して、リミックスは素材をどう活かすかが勝負で、建築でいうとリフォームみたいな感じ。壊さないような加減で完成品を作らなくてはいけないから、その制約がむしろ面白かったですね。

Fly away (Giant Swing Mix)

日本のシンガーに歌ってもらうと「何か違うな」と思うことが多かった

MAKIDAI:そもそもKuraさんが音楽制作をスタートしたきっかけは何だったのでしょう。

T.Kura:子供の時からヤマハでエレクトーンを習っていて、曲を作って発表しなきゃいけなかったんです。当時はフュージョンが好きで、CASIOPEAみたいなテクニカルな曲を作っていました。でも楽器用の曲ばかりで、歌のための曲ではありませんでしたね。

 プロになってからは世界的なDJの大会・DMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPSの日本支部をやっていた会社に入社して、ジュリアナ東京のCDをavexからの依頼で作ったり、ダンスミュージックやレゲエのコンピレーションを作ったりしていました。「TOKYO GO」を歌っていたジョン・ロビンソンも所属してましたし、DJ Hondaさんともお会いしたり。

MAKIDAI:そうだったんですね。

T.Kura:あと会社に出入りしていたDJがスクラッチをする方々ばかりで、レコードがそこらじゅうに転がっていたから、そのなかにあった音源からヒップホップを始めて聴いたんです。DMCでは、スクラッチを演奏としてパフォーマンスし、組み合わせてフレーズやビートを作っていく。その世界大会のビデオを見たり、日本大会の現場を手伝ったりしてましたね。その時に自然と色々な音楽を聴く癖もついたし、作って分析する・組み立てるということのトレーニングになったと思います。90年代初期の話ですね。

MAKIDAI:当時はまだまだ音楽の情報も巷に少なかったと思いますが。

T.Kura:そうですね。ブラックミュージックを表現する時に、トラックは分析して作れても日本の上手いシンガーに歌ってもらっても、「何か違うな」と思うことが多かったです。会社でコンピレーションを作っている時は、福生とか米軍ベースの歌える人を呼んできて、歌ってもらってました。カバー曲が多かったですが、2年くらいやりましたね。観察してると、どこに気を付けて歌っているかとか、ハーモニーの入れ方とかが見えてくるんです。

MAKIDAI:なるほど。

T.Kura:その後にavexからUKのエリーシャ・ラヴァーンをデビューさせたいからプロデュースしてほしいという話をもらったんですよ。それで楽曲を作って、UKで何度もレコーディングしました。エリーシャの親戚のマキシ・プリーストをはじめ、レゲエのアーティストもスタジオに出入りしてて、みんなUK訛りのパトワ語、僕は日本語訛りのよくわからない英語みたいな(笑)。会話が通じなくて大変でしたが、それでも頑張って色々とディレクションして何とかできたのがアルバム『Her Name Is...』。あれは本当に勉強になりました。

MAKIDAI:言葉が通じない中で、どうやってコミュニケーションを取ったんですか?

T.Kura:音で納得してもらって、相手から音が返ってくる。そのボーカルにフィットするようにリアレンジを繰り返しました。若かったから何でもできたし、時間を無限に使ってやったんですね。

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