the band apart 木暮栄一「HIPHOP Memories to Go」第13回 ドラマーとしての転機に出会ったクラシック J DIlla『Donuts』

バンアパ木暮、J DIlla『Donuts』を語る

 the band apartのドラマー・木暮栄一が、20年以上にわたるバンドの歴史を振り返りながら、その時々で愛聴していたり、音楽性に影響を与えたヒップホップ作品について紹介していく本連載「HIPHOP Memories to Go」。第13回は、ドラマーとしての大きな転機を迎えた2007年、愛聴していたという名盤 J DIlla『Donuts』や、日本のアンダーグラウンド・ヒップホップについて語る。木暮による、同年リリースのthe band apart『fadeouts(for JUSTICE)』解説もお見逃しなく。(編集部)

デジタル化が促進された2007年に出会った『Donuts』、その初期衝動

 「the band apart、リリースツアー開催決定するもアルバム完成が間に合うか微妙」「the band apart、レコ発ツアーにアルバム完成間に合わず」「the band apart、アルバム未完成のままレコ発ツアー開幕」「the band apart、レコ発ツアーに間に合わなかったアルバム発売日がついに決定」……あ、この人たちは馬鹿なんだな。そう証明するには十分なニュースの見出しを経て、我々の9枚目のアルバム『Ninja of Four』は7月13日にようやくリリースに至ったのでありました。

 そのリリースの2日後に行われた豊洲PITでのワンマンライブ(『9th album release live “SMOOTH LIKE BUTTER TOUR”』セミファイナル)。演奏を終え、メンバーと楽屋でヘラヘラ談笑していた時に、ふと背後に感じる絶対零度の気配。

 「こ、こ、これは!?!?!?」

 恐る恐る振り向けば、楽屋入口のドアから顔を覗かせていたのは殺し屋……ではなく、このコラムの編集担当であるReal SoundのS氏。お互い真顔で視線を交わすこと数秒、S氏は唐突に「ニヤリ」と悪魔的な笑みをひとつ浮かべると、そのまま言葉を発することなく踵を返し、雨がそぼ降る場外へ足早に消えて行ったのでした……。

 そんな彼からの無言のメッセージーー締め切り守れ or Dieーーを胸に、生まれたての子鹿のように足元を震わせながら、謹んで前回の続きへと筆を進めて参りたい所存であります。

 『alfred and cavity』のリリースツアーを締めくくるライブが両国国技館で行われたことは前回書いた。それまでも『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』や『RUSH BALL』など、各地の大きな野外フェスに出演はしてきたものの、ワンマン公演としては過去最大の規模だった。

 しかし、その日のライブは個人的に決して良い出来とは言えず、自分の楽器演奏に対する向き合い方を変えた転機として記憶に刻まれている。端的に言うなら、僕だけ大会場の雰囲気にのまれたままガチガチの演奏をして、それを取り返せないままにライブは終わってしまったのだった。

 2007年にはそのライブを収めたDVD『Stanley on the 2nd floor』が発売されたが、内容確認の試写を除いて自発的に再生したことはほぼない。約2時間に渡って実力のなさを露呈し続ける自分の姿を目にしたなら、「ギギギ……」と言葉にならない呪詛を吐き出しながら枕を殴り続ける羽目になるのが目に見えているからである。そうした昔の自分の演奏を過去のいち場面として、少しは客観的に見られるようになってきたのはつい最近の話。

 中学の文化祭でドラムを叩いた経験はあったものの、その延長で始まったバンドが幸運の追い風に吹かれるままに3枚のアルバムをリリースし、音楽だけで生活ができるようになった。

 そんな恵まれた環境にありながら、当時の僕はバンドのリハーサル以外でドラムを叩くことはほとんどない生活を送っていた。昼に仕事をしていないのだから、やろうと思えば毎日でも練習できたにも関わらずである。

 個人的な音楽体験として大きな影響を受けたPavementのようなバンドは、オーセンティックな演奏技術や音楽理論とは対極の構造と価値観で成立していたから、正統的な演奏を身に付けることを軽視していた部分もある。その頃はバンドで平均週2回くらいリハーサルスタジオに入っていたこともあり、それで十分だと感じていたのかもしれない。

 さらに言えば、20代で自分たちの作る音楽が認められ、音楽雑誌などでもなぜか「技巧派」のような扱いを受けていたから、そういった実を伴わない過大評価に接するうちに、心のどこかに傲りが生まれていたのだろう。そうした虚像のようなものが、内的にも外的にも一気に打ち砕かれた日。それが僕にとっての両国国技館だった。

 ……が、しかし。

 落ち込んだ自分を励ますために、プレイステーションの電源を入れてバーチャル後漢時代に逃避、中国全土を何回統一したところでドラムは上手くならない。一念発起して、僕は基礎の基礎からドラムを学び直すことにした。

 いくつかのドラムレッスンを受けながら、スティックの持ち方に始まり、ルーディメンツから様々なリズムパターンの練習、それぞれの太鼓やシンバルにアプローチする時の身体の使い方、音の鳴らし方……一線で活躍するプロドラマーたちが十代のうちに学ぶようなことを日々勉強していくうちに、それまでの自分の浅はかさをさらに思い知ることにもなった(ので、『SLAM DUNK』の三井寿には読むたびに共感を禁じ得ません)。

 そうした自己鍛錬・個人練習は、時間が取れる限り現在も続けるようにしている。それで飯を食っているのだから当たり前の話でもある。

 そんな個人的な転機でもあった2007年は、音楽メディアのデジタル化がいよいよネクストステージに進んだ感があった年だった。YouTubeやMySpaceといったメディアが浸透し、そこでの再生回数が包括的な大ヒットにつながっていくという図式はこの辺りの時代に始まり、プラットフォームを変えながら現在にまで至っている。当時のヒップホップで言えばSoulja Boyのブレイクなどはその典型だったと思う。

 しかし、この時期の私的クラシックといえば、J DIlla『Donuts』に尽きる。

 カニエ・ウェストやティンバランド、ジェイ・ZにT.I.、50セント、さらにはWu-Tang Clanの再始動など、オーバーグラウンドのトピックには事欠かない時期だったが、2006年初頭にリリースされたこの作品ほど衝撃を受けたものは他にはなかった。

 ヒップホップがメイン・ストリームを席巻していく過程で零れ落ちていった初期衝動のようなもの……その塊でこのアルバムはできていた。

 極端な低音のブーストやコンプレッションで歪んだ音質、不思議なタイミングでチョップされたサンプル……音韻/音響の両面から見てもこのアルバムは全く整っていない。逆に言うなら、いわゆる既存の価値基準のようなものに全く囚われていない。ほとんどの曲が2分に満たないのも当時は圧倒的に新鮮だった。今聴いても奇跡的にマジカルな世界が記録されていると思う。

 Robert Glasper Experimentのドラマーだったクリス・デイヴが肉体性を与えてから、2000年代ドラマー界の一大トレンドとなった“よれたビート”も、元を辿ればJ Dillaによるビートプログラミングを生演奏に変換したものだ。

J Dilla - Last Donut of the Night (Donuts) Official Video

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