追悼 オリビア・ニュートン=ジョン 可憐な妖精は人々に勇気を与える存在へ、日本で果たした役割と影響

 オリビア・ニュートン=ジョンが亡くなった。享年73歳。50代の我々世代からすると、物心ついて初めて好きになった、外国の女性シンガーの代表的存在といっても過言ではない。グローバルの功績もさることながら、日本において彼女の果たした役割、影響もはかりしれなく、そのため昨年、旭日小綬章を受賞した時も、妙に納得がいったものである。

 そんな彼女のオンリーワンな軌跡を追悼の気持ちをこめて、辿りたい。

金髪の妖精として可憐に登場

 イギリス生まれオーストラリア育ちのオリビアはオーディション優勝をきっかけに、母国イギリスに戻りデビュー。その金髪の妖精とも言うべき清楚なルックスとカントリーテイストの素朴な楽曲で着実に成功の階段を上がっていく。アメリカでは、「レット・ミー・ビー・ゼア」という楽曲が初のトップ10入りを果たし、1974年の『第16回グラミー賞』において最優秀女性カントリー・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞するが、日本では同名アルバム収録曲である、ジョン・デンバーのカバー「カントリー・ロード」で一躍スターになった。

 当時TBSの朝の情報番組『おはよう700』で使用され、1976年にシングル盤がリリース。ロングヒットを記録し、オリコン洋楽チャート15週連続1位、総合チャートでも6位に輝いた。

 それから約20年後の1995年には、スタジオジブリ制作のアニメ映画『耳をすませば』のテーマソングともなり、本名陽子バージョンがスマッシュヒット。日本人にとっての故郷への哀愁を綴るメロディ、楽曲として「カントリー・ロード」は今でも不朽のものとして存在している。

 また、1978年には、杏里が「オリビアを聴きながら」というシングル曲でデビューを飾る。歌詞の中の〈お気に入りの唄〉〈淋しい心 なぐさめてくれる〉歌として象徴されるのがオリビア・ニュートン=ジョンの楽曲であり、当時女性にも彼女の歌が失恋の心に寄り添う歌として認知されていたことがわかる。

映画『グリース』を地で行くーーパブリックイメージの脱却に成功

 銀幕でも彼女は大スターとなった。話題のミュージカル映画『グリース』に出演。サントラ的にも興行的にも世界的に大成功をおさめる。『サタデー・ナイト・フィーバー』の大ヒットで世にディスコブームを巻き起こした、ジョン・トラボルタとの共演となる本作はブロードウェイの大ヒットミュージカルの映画化。不良の彼氏を振り向かせるために清純なキャラクターをかなぐり捨て、セクシーでクールなスタイルにイメチェンするという主人公のサンディを好演。清楚だけでない彼女の魅力がスクリーンから溢れ出ていた。続く映画『ザナドゥ』ではロックバンド、エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)とコラボし、往年のミュージカルスター、ジーン・ケリーとも競演。サントラ盤が大ヒットを飾る。

 そんな『グリース』や『ザナドゥ』の成功を受けた1981年、自身のアーティストイメージとサウンドを大きく変化させた『フィジカル』を発表。当時のフィットネスブームに寄り添い、レオタード姿に身を包んだ衝撃的なビジュアルのミュージックビデオを制作し、ビルボード10週連続第1位、1982年度年間チャート第1位を獲得。80年代を代表する不動のグローバルヒットとなった。

 まさに、『グリース』におけるサンディのように、今までのパブリックイメージを華麗に変化させ、新たなステージへと駆けあがることに成功したのだ。

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