玉置浩二、ソロや安全地帯で2000年代以降に生み出した名曲たち 時代と共に進化するソングライティングの妙

玉置浩二、2000年代以降の名曲解説

 安全地帯がデビューしてから40周年、玉置浩二がソロ活動を始めてから35周年を迎えた。この期間は紆余曲折あったとはいえ、玉置浩二は常に日本の音楽シーンにおけるバンド及びボーカリストの最高峰として第一線を歩み続けてきた。ソロはもちろんだが、安全地帯としても精力的にリリースやコンサートを行っているだけに、そのファン層も年々広がり続けている。昨今では若手のミュージシャンからリスペクトされることも多く、先日放送された音楽バラエティ番組『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)でも川崎鷹也のような若手が熱く玉置浩二について語るなど、その影響力は多岐に渡っている。

安全地帯

 1958年に北海道の旭川で生まれ育った玉置浩二が、中学校の同級生とロックバンド、安全地帯を結成したのは1973年。1981年に井上陽水のバックバンドに抜擢され、翌1982年にメジャーデビュー。「ワインレッドの心」や「恋の予感」、「悲しみにさよなら」といった特大ヒットを何曲も生み出したのはもはや説明不要だろう。バンド絶頂期の1987年にはソロ活動をスタートし、俳優としても映画やテレビドラマに出演するようになった。1996年には名曲「メロディー」に続き、「田園」を発表。主演ドラマの主題歌ということもあって90万枚以上のヒットとなる。名曲とヒット曲、そして『カリント工場の煙突の上に』(1993年)や『JUNK LAND』(1997年)といった傑作アルバムを続々と生み出してきた90年代は、彼の音楽キャリアにおいてひとつのピークを迎えた時期といってもいいだろう。

 とはいえ、2000年代以降、40代後半から現在に至る円熟期ともいえる20数年の充実ぶりこそ、アーティスト 玉置浩二の真価を発揮したといっていいのではないだろうか。特に8作目のアルバム『ニセモノ』(2000年)や9作目のアルバム『♠スペード』(2001年)の頃は、作曲だけでなく全曲の作詞も自ら手掛け、なおかつほぼすべての楽器を演奏するセルフレコーディングスタイルをとっており、ソロ活動を始めてから培ってきたマルチミュージシャンとしてのセンスと才能が完成形を見せた。安全地帯でのデビュー以来しばしば作り出してきたフォークロックサウンドをじっくりと練り上げた「常夜灯」や、郷愁感に満ちたメロディを切なく歌い上げるバラード「aibo」など、シンガーとしてのふり幅の広さには舌を巻く。

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