ずっと真夜中でいいのに。が音楽で作り出す“心を解放する場所” 豊かな表現を味わえるライブならではのメッセージ

ずとまよ、ライブならではのメッセージ

 歌詞表現における特有の言い回しを含め、ずっと真夜中でいいのに。は私たちにとって掴みどころのない存在であり続けた。しかし、その表現の中には確かに本心が含まれていて、 ファンと対面するライブという場所ではその心で以って観客と向き合おうとしている気がする。ライブという場に辿り着いた人にこそ伝えたい切実なメッセージが感じられるのだ。2020年以降も新型コロナウイルス感染対策を十分に行いつつ精力的にライブを行っていたのは、ずとまよの活動においてライブがそれだけ重要だったからであろう。

 本稿では、直近のライブ活動を振り返っていきたい。まず、17都市21公演を回ったずとまよ初の全国ホールツアー『果羅火羅武〜TOUR』のうち、2月9日に行われたツアーファイナルの愛知・センチュリーホール公演。ひとたび会場に踏み入れれば、そこは異空間だった。ステージセットは全体的に中華モチーフで、中国語で書かれたネオンサインなどが飾られている。中央には陰陽太極図のオブジェ。下手側にはゲームセンター「果羅火遊技場」。上手側には小籠包が名物の「永遠深夜飯店」。「永遠深夜飯店」の2階はアパートなのか、洗濯物が干されていて、ライブは、洗濯物を取り込んだホーン隊(トランペット&トロンボーン)が窓からベルを出し、オープニングフレーズを吹いたところから始まった。

 ギター、ベース、ドラム、キーボードというバンドセットや、DJ的にも弦楽器的にも機能するOpen Reel Ensemble、和のエッセンスを足す津軽三味線といったずとまよのライブではお馴染みとなりつつある楽器群に加え、ホーンセクションも導入した今回のツアー。ネオソウル/ジャズに接近した編成で鳴らすサウンドは、「こんなサウンド、ずとまよのライブでしか聴けない」と言いたくなる新奇性を相変わらず伴いながらも、アレンジ含め、人間の根源的快楽を呼び起こすような、ある種原始的なものでもあった。

 つまり、文脈や物語よりも、シンプルに音楽でぶち上がれる快楽・幸福感にスポットを当てたツアーであり、ツアーファイナルでは最終日特有の高揚感に身を任せるテンションも加わった。「バカになろう」、あるいは「“恥”な思い出を作ろう」といった呼びかけが頻繁にあったのもそういうことだろう。『果羅火羅武〜TOUR』というツアータイトルは重罪の者が流される国・果羅国(火羅国)を連想させるが、「馴染めない人の居場所としてここにも果羅国を作った」という言及があったのはライブ序盤のMC。個の尊厳を守る場所として存在した『CLEANING LABO「温れ落ち度」』を経て、はぐれ者たちのダンスパーティが誕生したイメージだろうか。そう考えると、ライブ終盤、「サターン」での光景にはずとまよの目指す理想郷が表れていたように思えてならない。ACAねたちが演奏するなか、袖からたくさんの人が出てきて、ステージ上でわいわいと踊るも、曲が終わると彼らは何事もなかったように去っていき、その後のMCでも、彼らが何者だったのかは明かされなかった。出自や背景など関係なく、誰にでも開かれている音楽の素晴らしさを表現する演出だ。

 そしてツアー終了後の2月16日にミニアルバム『伸び仕草懲りて暇乞い』がリリースされた。先ほどネオソウル/ジャズへの接近と書いたが、新曲群から読み取れたのはまさにそういったモードで、『果羅火羅武〜TOUR』と『伸び仕草懲りて暇乞い』、さらに言うとその後開催された『「ZUTOMAYO PLUGLESS」at. ビルボードライブ』までが一本の道で繋がっていたのではないかと今になって思う。また、ライブ開催の報が私たちに届けられた時のACAねの「ビルボードはだいすきなChris Daveのライブみたぶり」というツイートは彼女の音楽的背景を感じさせるものだった(※1)。

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