矢部達哉が語る“指揮者不在”の「トリトン晴れた海のオーケストラ」 その意義と演奏家としての矜恃
コンサートマスターの矢部達哉が2015年に結成した、指揮者のいないオーケストラ「晴れオケ」こと「トリトン晴れた海のオーケストラ」が、拠点である第一生命ホールにて昨年11月に演奏したベートーヴェンの「第九」を収めたライブアルバム『熱狂ライヴ! ベートーヴェン:交響曲第九番《合唱付》』をリリースした。
もともとこのライブは2020年6月、東京オリンピックに合わせて開催される予定だったもの。今や日本では年末の風物詩と化した「第九」だが、本来は世界中で「平和」を祈るために演奏され続けてきた楽曲であり、コロナ禍で人々の対立や分断が加速し、さらにロシア軍によるウクライナへの武力行使が世界の均衡を大きく揺るがしている今こそ、その本質が見直されるべきではないだろうか。
もちろん、指揮者不在のオーケストラが織りなす有機的かつダイナミックなアンサンブルには、ただただ純粋に圧倒される。これまでの「第九」のイメージを覆す本作について、矢部に話を聞いた。(黒田隆憲)
演奏家のコミュニケーションで成り立たせるオーケストラ
ーーまずは矢部さんが「トリトン晴れた海のオーケストラ」、通称「晴れオケ」のコンサートマスターに抜擢された経緯をお聞かせいただけますか?
矢部達哉(以下、矢部):トリトン・アーツ・ネットワーク(第一生命ホールを拠点にしたNPO法人)のプロデューサーを務める田中玲子さんには、彼女が青葉台のフィリアホール(横浜市青葉区民文化センター フィリアホール)に在籍していた頃から何度かオファーをいただいていて。今回、第一生命ホールのオーケストラを結成するにあたっては、その時からのご縁でお声がけいただきました。僕の記憶では、その時点ですでに指揮者なしのオーケストラが結成され、モーツァルトの交響曲を手始めにやってみることになったのが始まりですね。
ーー第一生命ホールの特徴については、どのように捉えていらっしゃいますか?
矢部:室内楽をやるのにうってつけの、とても美しい響きを持つホールだと思っています。「晴れオケ」の編成が、このホールが持つ音響にふさわしいかどうか最初は懸念があったんですよ。でも、自分たちがこのホールの特性を的確に把握し、飽和しないようきちんとバランスを整えながら演奏してみたとき、ものすごくしっくりくるなと全員が感じたんです。それ以来、変わらず「相性の良いホール」という認識でいますね。
ーー資料によれば、「地域に密着した最高峰の室内オーケストラ」とありました。「地域密着」とは具体的にどのような活動をされているのですか?
矢部:「晴れオケ」はその名のとおり、「晴海のオーケストラ」という意識が僕の中ではとても強く、地元に暮らす人たちに愛されたいと思っておりますし、もっと多くの方にご覧いただきたいと願っております。なので演奏会が開催されるたびに地元の方々に、タウン誌などのインタビューを通して呼びかけていますね。コロナ禍が落ち着いたらアウトリーチ活動も積極的に行いたい。地元の学校や幼稚園、病院などを回れるようになったらいいなと思っています。
ーー「晴れオケ」を、指揮者を持たないオーケストラにしたのはどんな理由からですか?
矢部:モーツァルトやベートーヴェンの交響曲を、指揮者なしでやること自体はさほど珍しくないですし、最近は多くの楽団がやっていることです。「第九」をやるところまではまだ前例はない気がしますけれども。ただ僕にとって大事なのは、「指揮者がいなくてもみんなで呼吸を合わせて最初から最後までつつがなく、気持ちよく演奏できました」というところではなくて。モーツァルトやベートーヴェンの楽譜から演奏者それぞれが受け取ったメッセージを、一つの演奏の中でどのように調和させるかが重要なんです。
ーー指揮者がいる場合といない場合とでは、どのような違いがあるのでしょうか。
矢部:指揮者がいると、指揮台に立っている人の動きに意識が向いてしまうのは避けられないですし、指揮者が素晴らしければ素晴らしいほどそれに魅入られてしまうのは当然ですよね。それが、その楽曲に対する解釈の「全て」になってしまいがちです。指揮者に対し、そのように依存することなく私たち演奏者がまず楽曲を解釈すること、要するにその楽譜から何を感じてどのように演奏したいのか、演奏家どうしのコミュニケーションで成り立たせるのが「指揮者なしのオーケストラ」の特徴といえるでしょう。
僕はいつも、この指揮者のいない演奏について「クラスメートが放課後に校庭で遊んでいるイメージ」というふうに例えています。つまり教師が教壇に立つ授業中のような、統制は取れているがつまらない時間ではなく(笑)、生徒みんなが思い思いの楽しみを自由に味わっている時間、それが「晴れオケ」の特徴だと。その例えでいうと、コンサートマスターである僕は、引率の先生というよりは学級委員みたいな感じ。「あ、そっちに行ったら危ないよ」「そこは立ち入り禁止だよ」みたいな注意の仕方はするけど、校庭内で遊んでいる分には自由にしてもらう。みんなやりたいことはそれぞれあるし、みんなが見えているベートーヴェンはそれぞれ違う。だったらとりあえず自由に出してみようと。それを一つの方向性に導けるとしたら、それが自分の役割なのかなと思っていますね。
ーーメンバーはどのように集めたのですか?
矢部:メンバーの中には、実際にお会いしたこともある親しい方もいれば、面識は全くなかったのですが以前からずっと気になっていた方、あるいはスタッフから「この方の演奏はいかがですか?」と推薦していただいた方まで多種多様です。何にせよ僕自身が「この人と一緒に演奏したい」と思える方を、様々な世代の優秀な音楽家から選んでお声がけさせていただきました。あえてバラバラに選んだつもりはなかったのですが、気がついたら本当にいろいろな楽団から引っ張ってきていましたね(笑)。
様々なオーケストラから抜擢したメンバーたちは、それぞれ違う指揮者から教えを受け育ってきたので、背負っている伝統や様式も全く違う。そのため、同じベートーヴェンの楽譜に目を通しても、全く違う音楽として聴こえている可能性があるんですよ。コンサートマスターである私としては、とにかくその曲を「今から初めて弾く」くらいの気持ちから演奏を始めましょう、とメンバー全員に伝えましたし、それを実現できたのは本当に良かったと思っていますね。ベートーヴェンを「再発見」することができたといいますか、今まで気づかなかった新たな発見がたくさんありましたから。
ーーそのくらい、ベートーヴェンの楽譜に書かれている情報量が凄まじいということですね。
矢部:その通りです。有名な主旋律にとらわれてしまってはダメですね(笑)。かれこれ30年、100回以上ベートーヴェンを演奏していると、もう自分はこの曲を知り尽くしているのだと勘違いしていました。何のためにこの音符をここに置いたのか、なぜこの言葉をこのメロディに乗せたのか、そういうところまで意識を持っていかないと、本当に理解したことにはならないのだなと痛感しました。