栗山夕璃『Anaphylaxie Bee』インタビュー
栗山夕璃が明かす、“蜂屋ななし”との別れを決意した理由 リスナーへの感謝の想いも
2020年8月、ネットからの卒業を表明し、ボカロPとしての活動を終えた蜂屋ななし。今年2月、栗山夕璃名義でシンガーソングライターとしての道を歩き出した彼が、蜂屋ななし名義での最後の作品となるフルアルバム『Anaphylaxie Bee』をリリースした。
この作品には、新たにミックス/マスタリングした蜂屋ななし名義での過去の楽曲群に加えて、未発表のまま眠っていた音源を改めて仕上げたトラックや、このアルバムのために書き下ろした新曲なども収録。ディスク2には宮下遊、luz、メガテラ・ゼロ、島爺といった歌い手も参加し、絶望の中で音楽をはじめたひとりの青年が様々な人と出会い、徐々に変化していく期間だったという自身のこれまでの活動をすべて詰め込んだものとなっている。
今だからこそ言える蜂屋ななしへの思いや、アルバムの制作秘話を本人に聞いた。(杉山仁)
「許さない」という負の感情から生まれた音楽
ーー今回のアルバム『Anaphylaxie Bee』は、蜂屋ななし名義での最後の作品として制作されたフルアルバムですね。まずは、昨年8月に蜂屋ななしとしての活動を休止する、という決断をした経緯を教えてもらえますか?
栗山夕璃(以下、栗山):僕の中では、ボカロならではの表現という意味では「オペ」が完成した時点で、歌詞やメッセージ的には「ディジーディジー」が完成した時点で、蜂屋ななしという人物や名前で表現したいこと、言いたいことはすべて言い終えたように感じたんですよね。
ーーなるほど。活動休止前の最後の曲「ディジーディジー」が完成したときに、「もうやりきった」という感覚があったんですね。
栗山:蜂屋ななしという名前で表現したいことが、そこで完全に終わった、という感覚でした。このまま続けても、表現方法やアプローチが変わるだけで、伝えたいメッセージのようなものは変わらないな、と思ったんです。というのも、蜂屋ななしの音楽で一貫していたのは、当時の僕が海外の大学に合格したものの病気で行くことができなくて、病室で音楽を作りはじめたときの「許さないからな」という負の感情でした。僕は蜂屋ななしとして、その気持ちや、当時の心情を濁らせて曲にしていたんです。
ーーそもそも、最初は「人を不快にしてやろう」という気持ちで曲を作りはじめたという話も聞きました。
栗山:本当にうっぷん晴らしがきっかけでした。今みたいに音楽活動をするつもりはなくて。だから「ななし」という名前で曲を投稿していたんです。「ななし」と「蜂屋ななし」での活動は、ずっとそういうネガティブな気持ちを音楽で表現していました。でも、そうやって作った音楽を皆さんが「いい!」と言ってくれて、視聴者さんも増えていき、その過程で僕が問題を抱えていた家族と離れることもできて。そんなふうに、「どん底にいた自分が曲を聴いてくれる人たちと出会って、だんだん更生して終わる」というエンドを迎えたんだと思います。
ーーネガティブな感情からはじまったものが、ポジティブなエンドを迎えたんですね。
栗山:だからこそ、蜂屋ななしの活動を終えたときは「やりきった!」という気持ちですっきりしていました。やっぱり、視聴者さんたちと出会って僕自身が変わっていったからこそ、活動の後半は、僕の気持ちと蜂屋ななしとして表現できることの乖離を感じはじめていたんです。僕の気持ちはいい方向に変わってきているのに、ずっと「許さないからな」という気持ちの曲を作り続けるのは、自分に嘘をつくことになると思ったので。
ーーなるほど。活動休止期間中、音楽は作っていたんですか?
栗山:最初の1カ月間は温泉に行ったりゆっくり休んでいました。思い出したんですけど、蜂屋ななしでの最後の活動のひとつが、『にゃ〜じっくすてーしょん』(ハライチの岩井勇気らがMCを務めるネット配信音楽バラエティ)への出演で、そのときも温泉にいたんです(笑)。僕的には「ゴール」という感覚でしたね。「ボカロではできなかった生歌の表現がしたい」「バンド活動やライブをしたい」「ボカロ自体に偏見がある層に楽曲を届けて、ボカロにも素晴らしい曲があると知って欲しい」「視聴者とした約束を果たしたい」ーーそれらを形にするために、再活動を決めました。もともと蜂屋ななしとして活動しているときから、「これは蜂屋ではやれないな」と思うことがいくつもあったんです。制作中に「ここは自分で歌うならこうするな」とか、「人の声だったらこういうこともできるな」とか。「そういうことを試してみたい」という気持ちもずっとあったと思います。
ーーそれで、今年2月に栗山夕璃名義で活動を再開したのですね。リスナーの皆さんの反応はどうでしたか?
栗山:色々な人たちが喜んでくれて、「みんなやさしいな」「ただいま!」という気持ちでした。これまで約束していたのにできなかったことも実現できますし、今は「一段落して新しいことがはじまれば」という気持ちです。なので、今回の蜂屋ななしとしての活動の最後にあたるフルアルバム『Anaphylaxie Bee』は、最初に音楽をはじめたときのぐつぐつとした感情を経て、僕がどんなことを経験して、どんなことを思いながら今の自分になったのかという、現在に至るまでの感情をすべて表現した作品になっています。すでに発表していた曲も新たにミックスし直していて、まずはその作業が本当に大変でしたね。
ーーアルバムの発売を告知したYouTubeでの生配信「第一回蜂屋組同窓会」でも、「寝る時間がなくなってしまった」と話していましたね。
栗山:収録曲数をかなり増やしてしまったので……(笑)。本当はもっと少ない曲数になるはずだったんですけど、蜂屋の集大成的なアルバムなので。しかも最後に作りかけていたものがあったかデータを見返してみたら、そういう曲が結構あって、どれも「今なら完成させられる」と思えるようなものばかりだったんです。当時は実力が足りなくて納得のいく形にはできなかったけど、今ならいいものにできる、と。それで曲数が増えていきました。
ーーでは、今回のアルバムに際しての新曲や、既発曲を新たにミックス/マスタリングし直していく作業について詳しく教えてください。まず1曲目「アナフィラキシー」は新曲ですが、どんなアイデアで作った曲だったんでしょう?
栗山:この曲はアルバムの曲順としては1曲目ですけど、蜂屋ななしとしては最後に作った曲で、これまでの色々な曲の要素を入れています。例えば、イントロの部分から(VAN DE SHOP feat. 初音ミク,GUMI名義の)「ONE OFF MIND」と同じフレーズが入っていますし、コードの展開も前半は「ONE OFF MIND」と一緒です。AメロからBメロで3拍子に変わって、サビで4拍子に戻る、という展開。あと編曲自体のアプローチは〈弾けろheartbeat/切望のライムライト〉という形で歌詞にも入れている「ライムライト」に寄せていますし、最後の転調の部分は「閃光花火」をイメージしています。そんなふうに、これまで発表した曲の要素が色々と入った楽曲になっています。
ーー最後の曲だからこそ、これまでの楽曲の要素も入れていったんですね。
栗山:そうです。あと、これは本当に隠しているんですけど、実は僕のこれからの作品に出てくるワードも入っているんです。しっかり聴いてもらっていれば、そう遠くない未来に「あっ」となるんじゃないかなと(笑)。蜂屋ななしの最後の曲であり、これからに向けてのはじまりの曲でもある、という感覚です。「今までの曲を乗り越えていく」というテーマの曲なので、制作中は一番頭を使いましたし、苦しかったです。
ーー2曲目の「綴目」(とじめ)はどうですか?
栗山:「綴目」は「縫口」を出した頃にはすでにあった曲で、ニコニコ生放送で来てくれていた方にインストを聴いてもらったりしていた曲ですが、作っているときから、「この曲は宮下遊さんに歌ってもらいたい!」と思っていました。ボカロの場合、ロックでもバラードでも、無機質なものがすごく合ったりして、それはボカロにしかできないことだと思うんです。一方で、どれだけ調声しても絶対に人間の声にはならない。人間の声って、歌が上手い人でも下手な人でも、声に感情が乗っていると思うんです。電話越しに感じる声の存在感のようなものが、人の歌にはあるというか。「綴目」の場合は、「宮下さんに歌ってもらいたい」と思いつつ、だからといってボカロで曲を投稿して宮下さんが歌ってくれることを願うのは違うな、と思って。なので、今回アルバムを制作するタイミングで正式に依頼して歌っていただきました。実際歌ってもらったら思った通りで、「最高だ」という感覚です。特にCメロの部分は、ボカロだと間がのびてしまうところを表現でねじ込んでいて、宮下さんが曲を掌握してくれているみたいに感じました。日常的に聴いている方ですし、和音を表現する世界観もとても素晴らしい方だと思います。