鞘師里保が見つけた”鞘師里保としての生き方” グループ卒業、留学、活動再開へと至る5年半を振り返る

鞘師里保、グループ卒業など5年半を振り返る

 5年半ぶりに音楽活動を再開した鞘師里保が、設立した自主レーベル<Savo-r>より1st EP『DAYBREAK』をリリースした。本作には、自らを育ててくれたグループや環境から離れ、自身と向き合い続けた鞘師里保の5年半が凝縮されていると同時に、この先「こんな自分になりたい」という強い向上心も込められている。

 様々な経験と知識、そして人との出会いを経た鞘師は、今何を考え、今後どんなアーティストへと成長していくのか。5年半の間に見てきた景色を語ってくれた。(編集部)【インタビュー最後にプレゼント情報あり】

「今から新メンバーになれたら良いのに」と思うことが何度もあった

ーーラジオ『鞘師里保と○○と』(MBSラジオ)を毎回楽しく拝聴してます。

鞘師里保(以下、鞘師):嬉しいです! 意外と聴いてくださっている方が多いんですよね。

ーー特に、倖田來未さんの回は面白かったです。

鞘師:幼稚園の頃から倖田さんのファンなので、スタジオでお会いしたときには自然と涙が出てきましたね。「あまりに興奮して、喋りすぎちゃったかな?」と心配していたんですけど「面白かった」と言っていただけて良かったです。

ーーラジオの中で倖田さんが鞘師さんに「(世間のことを)何もわからないときからモーニング娘。にいて、10代のタイミングで留学へ行ったのは意味があると思うのよ。振り返ったときに『あのときに行ったことが今に活きているな』と思う日がきっとくるから」とお話しされてましたよね。まさに今回の1st EP『DAYBREAK』は、留学での経験が楽曲にかなり反映されているんじゃないかなと思いました。

鞘師:そうですね。もしモーニング娘。に在籍しながら書いたとしたら、自分のことを冷静に見られていない歌詞になっていたと思うんですよ。衝動的すぎる言葉というか。でも、結果的に『DAYBREAK』は衝動的な気持ちも入りつつ、自分を俯瞰して見たときに感じたことも歌詞に落とし込むことができた。それはグループ卒業後に留学をしたり、5年半の間ゆっくり時間をかけて自分を見つめ直せたのが楽曲に活きていると思います。

ーー留学は17歳のときに決断されたんですよね。

鞘師:はい。きっかけは自分のパーソナリティとか、将来の展望について考えたときにすごく焦りがあって。今の自分がダメなわけじゃないけど、人生の幅として色々なものを見て大人にならなければいけないんじゃないかなと思ったんですよね。もっと自発的に動いて、自由な時間を過ごしたり行動に移さないと、自分の脳や心が固まっちゃうような強迫観念にかられていたんです。そういう意味で全部自分で決めないといけない状況を作ろうと思い、17歳でグループを卒業してニューヨークへ留学することを決意しました。

ーー当時「モーニング娘。の鞘師里保としてはすごく良い状況なのに、どうして今なんだろう?」と思ったんですよ。

鞘師:道重さゆみさんが卒業されて、私がグループを引っ張る立場にいさせてもらっていたし、パフォーマンスの面でも良い環境をいただいていたんですけど……そのときは個人的な悩みが多すぎて。気づいたら、自分の落ち込んでいる気持ちを人前でカバーできなくなっていたんですよね。それは自分にとってもいけないし、周りにとってもいけない。なぜなら、自分はグループを引っ張る立場でいなきゃいけないのに、今後私がモーニング娘。の印象になってしまったらいけないなって、負い目を感じていたりして。

ーー何がそこまで鞘師さんを苦しめていたんですか。

鞘師:決定的な何かがあったわけではなくて。様々な要因が重なったのが17歳の時期だったんです。すごく贅沢な話ではあるんですけど、あの環境の中で自分なりに葛藤してましたね。

ーー留学は2年ほどされていたんですよね。

鞘師:英語を話せなかったので最初に語学留学をして、ダンス留学をする頃には基本的なコミュニケーションができるようになっていました。

ーー向こうでは4つのダンススクールに通われていたとか。

鞘師:私の好きなHIPHOPとかストリートジャズというジャンルがあるんですけど、先生によって踊り方や吸収できる技術が全然違うので「この人のレッスンにも行きたいし、あの人のレッスンにも行きたい」と思って、スケジュールを考えていくと「この4つのスクールに通わないと間に合わない」という感じで選びましたね。

ーー先日、DJ KOOさんのYouTubeチャンネルにハロプロの振付師をされているYOSHIKO先生が出演されて「歴代のハロプロメンバーで1番ダンスがすごいのは鞘師里保」と言ってましたよね。

鞘師:ふふ、そうみたいですね(笑)。まさか私が選ばれるとは思わなかったです。

ーー日本だと鞘師さんのダンススキルは高く評価されていましたが、海外ではどうでした?

鞘師:もちろん上には上がいるんですけど、嬉しいことに褒められる機会は多かったですね。音の感じ方とか体の表現の仕方を褒めてもらえたり。文化や言語が違ってもちゃんと届くものは一緒なんだなと感じました。

ーー2018年に出版された『モーニング娘。 20周年記念オフィシャルブック』のインタビューを読むと、当時はダンスの指導者になろうと考えていたそうですね?

鞘師:あのときは身を隠したい気持ちが強かったです。将来のことを考えたときに、ダンスを活かして教室を開くとか、海外で仕事をするのが現実的かなと思ったんですよね。

ーーちなみに、留学されて一番学んだことって何でしたか。

鞘師:自分はなんて狭い世界で生きていたんだ、ということですね。それは環境のことを言いたいわけではなくて、精神的なことや考え方の話で。ニューヨークには本当に色々な人がいて、知り合いに誘われてタップダンサーの方や現地でヘアスタイリストをされている方ともお話しさせていただいたんですが、皆さんすごく自分の仕事に誇りを持っていて、かつ自分のファッションスタイルもすごく自由なんです。髪の毛は真っピンクで、お腹も出して、タトゥーも入っている感じでも、本当にピュアで自分の好きなことに一生懸命。そういう人たちと触れ合ったことで、私はずっと偏見を持って生きていたんだなって痛感したんですよ。他人に対しても偏見を持っていたし、自分にもうがった見方をしていた。ニューヨークで色々な人に会って、勝手にリミットをかけていたんだと気付かされました。自分自身の人生にも、人との関わり方にも。

ーーEPの1曲目「Find Me Out」にも繋がる話ですね。〈らしくないなんてまた決めつけて 暗黙ルールのレールに乗って ずっと奥に隠していた〉という歌詞がまさにそうだし、この曲は「自分らしく生きる」がテーマじゃないですか。

鞘師:そうですね。昔は、自分の人生を考えることに時間を割けなかったので、ちゃんと1つずつ丁寧に向き合えたのが良かったのかなと思います。確かに、留学の経験は今の生き方や音楽にも活きてますね。

ーー帰国後、2019年3月には『Hello! Project 20th Anniversary!! Hello! Project ひなフェス 2019』に出演されましたね。

鞘師:実家で過ごしていたら、ある日「ハロプロの20周年記念ライブに出ませんか」という連絡をいただいて。「現役の子たちが頑張っているところに、私が出ていくのはどうなんだろう」と最初は悩みました。だけど同期の譜久村聖ちゃんが「一緒に出たい」と言ってくれて、思い切って出演することに決めました。ありがたいことに『ひなフェス』のおかげで声をかけていただく機会も増えて、私自身も復帰に向けて前向きになれましたね。

ーーそして去年9月には、ジャパン・ミュージックエンターテインメントに所属することを発表されました。

鞘師:今の事務所に声をかけていただいたとき、最初に「どういう仕事をしたいですか?」と聞いてくださったんですよ。私の中でパッと浮かんだのが「歌いたい、踊りたい」でした。ただ、事務所自体は俳優さんやタレントさんが多いイメージがあって。

ーー篠原涼子さん、芳根京子さん、千葉雄大さんなどが所属していて、俳優事務所としての側面が強いですもんね。

鞘師:「事務所に入れてもらうとして、私は音楽をやっても良いですか?」と打診したら「私たちはあなたの人生を精一杯サポートしたい。音楽をやりたいのなら、その方向で行きましょう」とすごく親身になってくださって。そこから本格的に動き出しました。

ーーソロアーティスト・鞘師里保としての音楽性は、どのタイミングで固まったんですか。

鞘師:最初は、どうしようかなと迷っていたんですよ。なんでかと言うと、私はどんなジャンルの音楽も好きだし、どんな曲調でも自分が歌っている姿を想像しやすかったので、1つに絞るのが難しくて。ただ今回の楽曲ができていくうちに、良い意味で色々なことをやりたい自分の気持ちと、伝えたいことのバランスが取れているんじゃないかなと思ったんです。そういう意味で、今は音楽ジャンルを絞らないようにしようと。曲の芯にちゃんと自分がいれば、意味のある音楽になると思いました。

ーー前にラジオで「こういう層にこう言われるかもとか、そういうことを考えて作られた作品は結局誰の心にも刺さらない」と話してましたよね。まさに、今作はその言葉が集約された一枚というか。逃げも隠れもしない、鞘師里保の心の内をさらけ出した作品に感じました。

鞘師:本当にそう思いながら作ったし、それが伝わったのであればすごく嬉しいです。12歳からこの世界にいるので、「この歌詞を書いたらこう思われるかも」とか周りの反応をつい考えてしまうんです。だけど、それって守りでしかない。せっかく復帰させてもらえるんだから、真っ直ぐ自分の信じたことをやろうと思いました。

ーー「自分でこの道で選んだのならやり切るしかない」というのは2曲目「BUTAI」を聴いて強く感じました。

鞘師:何かをやる上で失敗する恐怖もありますけど、それ以上にやらない恐怖の方が強かったです。何かをやって失敗することと、やらないで失敗することを天秤にかけたときに、やっぱり挑戦した方が自分に納得できるというか。保守的な方があとで後悔するなと気づいたんですよね。

ーーどこでその覚悟ができたんですか。

鞘師:私1人ではできなかったです。それは今のチームでやってくださっている人たちに、励まされながらやってきたおかげですね。出会うべくして出会った人たちと音楽をやれているのが大きいです。

ーー「BUTAI」に〈過去のトラウマ記憶刻み続けてる 戻れたらいいな 何も怖くなかった かつての私みたく〉という歌詞がありますけど、これはいつのことを表しているんですか。

鞘師:ダンススクールに通っていた小学生の頃は「歌とダンスが好き」という気持ちだけで生きていたんです。だけど、この世界に入って反響をもらうようになると、良い反響だけでなく色々な意見をいただいて。多感な時期だったので、そういう言葉にかなり影響されたんですよね。ステージで失敗することがあったりとか、緊張がパフォーマンスに表れてしまったりすると、ただでさえ自分で自分を責めている上に他人からも責められるような気がして。その傷が深かったからこそ、何も知らなかったピュアなときに戻って、今の自分の実力を100%出せたら良いのに、と思うことがすごくありました。

ーー現在の状態でタイムリープしたいと。

鞘師:今から新メンバーになれたら良いのにとか、今からオーディションを受けられたら良いのにと思うことが何度もあったんです。人間関係も昔は「パパ〜、ママ〜、○○ちゃん好き〜」みたいにシンプルなテンションでいられたのに、誰かと喧嘩したり関係がこじれちゃったり、そういう経験があると新しく友達を作ろうとか、仲良くすることに対して勇気が必要になるじゃないですか。

ーー人と関わるのが億劫になりますよね。

鞘師:それが「大人になっていく」ということだと思うんですけど、子供の頃はそんなことを考えなくても良かったのになって。そういう気持ちで書いた歌詞でした。

ーーその後に続く〈つまり見たいんでしょ だからここにいるんでしょ〉という歌詞は、そんな自分に対するアンサーですよね。

鞘師:そうですね。何で悩んでいるのかって、結局思うようにやれてないから。大人になると色々な概念や考え方が身につくけど、最終的には「やりたいことをやる」に尽きる。本当に大事なことはそこだなと、歌詞を書きながら自分の気持ちを知っていきましたね。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる