西寺郷太が伝えたい少年隊と錦織一清の功績 ポッドキャストでは語りつくせなかった、それぞれの偉大さ

西寺郷太が伝えたい少年隊と錦織一清の功績 ポッドキャストでは語りつくせなかった、それぞれの偉大さ

 NONA REEVESの西寺郷太がMCを務めるAmazon Music独占配信のポッドキャスト番組『西寺郷太の最高!ファンクラブ』(毎週火曜更新)が、5月11日よりスタートした。

 同番組は、毎回様々な音楽ジャンルやアーティストの熱狂的なファンをゲストに迎え、ゲスト自身がMCである西寺にその熱を直接プレゼンテーションしていくというもの。初回は番組開始を記念した特別編として、少年隊のリーダーであり、俳優・演出家として活動する錦織一清氏がゲストとして登場。西寺自身が大ファンである“少年隊”、そして錦織氏の魅力について熱弁している。

 リアルサウンドでは、同番組のスタートに合わせ西寺郷太へインタビュー。番組内では本人を前にしていたからこそ言えなかったであろうエピソードを、大いに語ってもらった。(編集部)

「音楽好き」である以上に「天才が好き」

ーー5月11日からAmazon Musicでスタートした西寺さんの新しいポッドキャスト番組『西寺郷太の最高!ファンクラブ』――その記念すべき第一回のゲストは、錦織一清さんでした。近年、公私にわたって仲良くされているようですが、そもそものきっかけは何だったんですか?

西寺郷太(以下、西寺):番組でも少し話しましたけど、錦織さんと初めて会ったのは21年前、2000年のことで……僕が虎ノ門のスタジオであるラジオ番組にゲスト出演していたときに、自分の出番が終わってブースの扉を開けたら、そこにレギュラー番組の収録の合間にスタッフと談笑されていた錦織さんがいらっしゃったんです。僕はもともと少年隊の大ファンで、そのとき本当に偶然なんですがちょうどそのラジオで少年隊の「stripe blue」を選曲して流させてもらった直後で。「西寺郷太君の好きな曲、少年隊の『stripe blue』を最後に聴きながらお別れしましょう。ありがとうございました!」「ありがとうございましたー!」なんて言って、防音ドアを開けた瞬間、錦織さんの姿が(笑)。急に自分たちの曲が鳴り響いて、ギョッとされるのも当然ですよね(笑)。僕のほうからお声掛けして、ミュージシャンでファンだということを伝えながらお話させていただいて意気投合したのが、一番最初ですね。

ーーいろいろな偶然が(笑)。

西寺:今思うとすごいですよね(笑)。僕は26、7歳だったと思います。錦織さんにとって、当時若いバンドマンが少年隊へのリスペクトを熱く語る姿が珍しかったようで、その後、ラジオ番組に呼んでいただいて。「プリマヴェラ~灼熱の女神~」という少年隊の舞台『PLAYZONE 2001 “新世紀”EMOTION』のテーマ曲の作詞を担当させてもらう流れになったんですけど、そのあと、パタッと会えてなくなってしまって……2013年に雑誌『SPA!』の対談で久しぶりにお会いすることができたんですけど、そこで再会したとき、錦織さんから「郷太、あんなに『連絡しろよ!』と言っていたのに、よこさないんだもんなー」と言われて。「いやいや何回も留守電にいれましたよ!」と。その場で確認したら、そもそも僕が教えていただいた電話番号を入れ間違えていたという(笑)。

ーーあらら……(笑)。

西寺:そのメッセージ聞いてた人、わけわかんなかっただろうな、と(笑)。なので、そのことをお詫びしつつ、そこから頻繁に連絡を取るようになって……この8年ぐらいは、週一ペースで濃密な時間を過ごさせてもらっています。一緒に舞台を作っているときなどはほぼ毎日話していましたね。

ーーそんなに頻繁に連絡を取り合う関係なんですね。

西寺:日々、学ばせていただいています。だから今回、錦織さんにゲストで出ていただいたからといって、特にかしこまるようなところもなく……むしろ、錦織さんはいわゆるラジオっぽいしゃべりというか、型にはまったトークはあんまり好きじゃないとおっしゃっていて。であれば、普段交わしているコミュニケーションと同じような感じで話したいし、そっちのほうが面白いんじゃないかと。今回のポッドキャスト番組は「好きなものについて、高い熱量でプレゼンテーションする」というのがコンセプトですが、初回はもうちょっとナチュラルに、その人柄も含めてまずは錦織さんがどれだけトークの達人であるかを、改めて皆さんにわかってもらえたらいいなと。

ーー確かに、錦織さんの人柄がすごく伝わってくるような内容でした(笑)。

西寺:やっぱりマイクの前だと、錦織さんがいつもよりフルスロットルで勢いがすさまじいですね(笑)。ともかく、早いタイミングでこれまでのポッドキャストに来ていただく可能性も考えたんですが、せっかく錦織さんに出ていただけるなら、新しく始める番組『最高!ファンクラブ』の初回ゲストとして出てもらったほうがインパクトもあるなと。なおかつ錦織さんのファンクラブ「Uncle Cinnamon Club」が4月末に始動したので、このタイミングがベストと判断しました。僕としても今か今かと待ち望んでいた機会だったんですよね。

ーーまさしく、満を持しての登場だったと。

西寺:はい。第二回の放送(5月18日配信)では、引き続き錦織さんに出演していただいて、今度は錦織さんが大好きな矢沢永吉さんについてトークしていただくのですが、そのあともまた機会があったら出演してもらいたいなと思っています。ジャニー喜多川さんやつかこうへいさんの話だったり、あるいは錦織さんが影響を受けたアーティストの話だったり、日本のエンターテインメント史を最前線で駆け抜けてこられ、演出家としてもキャリアを重ねられてきた錦織さんに聞きたい話、伝承して欲しいエピソードはいくらでもあるので。

ーー先ほど「もともと少年隊の大ファンだった」と言っていましたが、西寺さんの中で少年隊はどういう位置付けのグループになるのでしょう?

西寺:うーん。僕はホントに“熱し難く冷め難い”やつで、一度好きになったり、この人すごいと思ったら、ホントにのめり込んでずっと追いかけるタイプなんですよね。それを小学生の頃から続けていたら今に至る、というか……で、気づいたんですよね。僕は「音楽好き」である以上に、「天才が好き」なんだと。マイケル・ジャクソンとプリンス、ジョージ・マイケル、そして錦織一清という人にリアルタイムで出会い夢中になってしまったという。

ーーあ、その並びに入るんですね。

西寺:入ります。僕はこの4人のことを「四天王」と言っていて……もっと大きい意味でいうと、マイケルにはJacksons、ジョージ・マイケルにはWham!、プリンスだったらThe RevolutionやJam & Lewisもひっくるめた地元のミネアポリスファミリーがいて、錦織さんには少年隊が、という大きいくくり全てを含んで「四天王」なわけですが。結局、僕は手塚治虫さんを中心とした「トキワ荘」のような、「才能がある人たちが若い頃に同じ場所に集ってバチバチ本気で切磋琢磨し、ライバル関係の中からそれぞれの輝きを見つけてゆく感じ」がすごい好きなんだと思います。今も夢中になって読んでる本は『証言 羽生世代』(講談社現代新書)という大川慎太郎さんが書かれた本で、羽生善治さんを中心に将棋界に旋風を巻き起こし、今もなお凌ぎを削る同世代の棋士の物語なんですが、そういう観点が大好物なんです。

 だから、例えば僕が「マイケル・ジャクソンが好きだ」というときは、彼が所属したJacksonsも好きだし、Jackson 5のメンバー全員、妹のジャネットや家族全員との関係性が好きということと直結しているんです。“マイケルだけ”じゃない、同じレーベル<モータウン>の先輩ダイアナ・ロスやマーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダーも好き、ベリー・ゴーディ・ジュニア社長を中心とする「モータウンファミリー」全体とその歴史が好き、The Temptationsやスモーキー・ロビンソンが好きってことなんです。それと同じように、僕が錦織さんを好きになったのも、東山紀之さん、植草克秀さんという魅力的な3人によって生まれる少年隊というグループ自体のきらめきと、少年隊を頂点とするジャニーズ舞台の後輩たち、登場人物の持つ勢いそのもの全てが好きだということなんですよね。

ーーそんな少年隊の音楽と、西寺さんが初めて出会ったのは?

西寺:少年隊が「仮面舞踏会」でデビューしたのが1985年の12月なんですけど、僕は小学校6年生でした。低学年の頃は『ザ・ベストテン』(TBS系)などの歌番組で聴けるアイドル歌謡に夢中だったんですが、小4になった1983年の初夏にマイケル・ジャクソンの『スリラー』に衝撃的に出会って。そこからは本当に洋楽オタク一辺倒の子供、という感じでした。Wham!だったりCulture Club、Tears for Fears、Scritti Polittiなどが大好きで。1985年になると夏に大規模イベント『ライヴエイド』があったり、「ウィ・アー・ザ・ワールド」もこの年の春に発表された感じ。その年末に、満を持して少年隊が登場したわけです。

ーーそれが少年隊のデビューシングル「仮面舞踏会」だったと。

西寺:そうです。もちろん、その1年以上前から、少年隊の3人はテレビやCMに出ていて、もう人気者ではあったんですけど、僕は「仮面舞踏会」を聴いて「あ、これこそが自分が一番求めているものかもしれない」と思ったんですよね。まず曲がとてつもなく良い。ダンスパフォーマンスのクオリティとボーカルのレベル。海外のアーティストでも、当時あんなにアクロバティックでグルーヴィなダンスを踊れて歌える人たちはいなかったと思うんです。歌番組ごとに振り付けやアレンジも演出も違うことも多かったですし。

ーーちなみに「仮面舞踏会」は、ちあき哲也さんが作詞、筒美京平さんが作曲、そして船山
基紀さんが編曲した楽曲でした。

西寺:編曲家の船山基紀さんも含め、日本歌謡史を彩る錚々たるレジェンドたちで。当時の少年隊のディレクター・鎌田俊哉さんを先日、錦織さん、植草さんに紹介していただき直接話を聞かせてもらったんですが、あの筒美京平さんが少年隊のデビュー準備のために60曲も作りトライ&エラーを繰り返した、という……少年隊プロジェクトのヒットする、すごみのある音楽、パフォーマンスを生み出すために極限を目指したクレイジーさが半端なくて。時間の掛け方や予算の糸目のつけなさ、匠のスキルが詰まった「狂気の録音芸術」としては、The Beach Boysの『ペット・サウンズ』や、Steely Danの『ガウチョ』みたいなパワーをレコード盤だけで放ってると僕は思っています。その上で、あのとてつもないダンスとボーカルですからね。だから僕は、いわゆる「アイドル音楽が好き」というのとも違っているんですよね。少年隊をプロデュースし、育てたジャニー喜多川さんを頂点とする「エンターテインメントへの執念、構造」、そのものが好きと言いますか。少年隊のあとに出てきた光GENJIの1stアルバムもとんでもないクオリティでしたし、あの時期は男闘呼組から何から、全てベクトルが違ったけれど全部好きだったというか。そういう意味では「ジャニーさん推し」みたいなところもあるのかもしれません(笑)。

ーーそれこそ、かつてのモータウンのような。

西寺:まさに(笑)。ジャニーさんは、ある意味日本のベリー・ゴーディ・ジュニアだと思ってるんです。だから、2000年代前半までに登場したジャニーズアイドルは、どれも注目して見ていたんですけど、その主軸には、やっぱり少年隊という大きな存在があって。少年隊が毎年続けていた舞台『PLAYZONE』を観たり、出演しながら、後輩たちはジャニーズの「伝統」を肌で感じてきたというか。錦織さん、東山さん、植草さんへの尊敬は所属していたジャニーズJr.、後にデビューし成功されたジャニーズメンバー含めた全ての心にあると思うんですよね。

ーー2008年に、今、話にも出てきた舞台『PLAYZONE』に一旦区切りをつけたあと、錦織さんは演出家としての活動も精力的にやられるようになって。西寺さんも、何度かご一緒されていますよね?

西寺:そうですね。先ほども話しましたが2013年に再会して、そこからまた仲良くさせてもらうようになったんですけど、そのとき錦織さんが、「もし俺が舞台やったら、音楽やってくれる?」と言ってきて。「もちろん、やりますよ!」と言ったら、それが結局『JAM TOWN』っていう舞台になっていって。

ーーそれが2016年でしたか?

西寺:あの舞台はちょっと変わっていて、2016年の本公演の前に、トライアウト公演っていうのを2014年にやっているんですよね。だから、かなり長い時間を掛けて作っていった舞台で、錦織さんがオーディションでイチから出演者を選び、時間を掛けながら、若者たちを育てていったんです。錦織さんは、振付とダンスにYOSHIEちゃんというナンバーワンダンサーを指名し、僕が音楽を担当したんです。僕にとっては初めての体験ですごく思い出深い舞台になったんですけど、錦織さんご自身もやりたいことがやれた、と相当楽しかったらしいんですよね。そのあと、2016年の秋に錦織さんが演出されたA.B.C-Zの舞台『株式会社応援屋!!~OH & YEAH!!~』でまたご一緒させていただきました。そのときには音楽だけでなく脚本も任せてもらいました。

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