西寺郷太が語る、“手書きノート”本がもたらす創作の楽しさ「変化があっても目的地にたどり着ける」

西寺郷太、“手書きノート”本の魅力

 NONA REEVESの西寺郷太が新刊『伝わるノートマジック』を発売する。これまでに『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』『プリンス論』などの著書を発表、80’s音楽研究家としても知られる西寺。『伝わるノートマジック』は、取材、講義、ラジオでのトークのために準備したレジュメ、自らの勉強のために作ったノートをまとめた“手書きノート”本だ。

 早稲田大学オープンカレッジの講義「ポップ先生の80’s音楽戦国史」のレジュメ、西寺がNegiccoに書き下ろした「愛のタワー・オブ・ラヴ」の制作ノートから高校時代の世界のノートまで、彼のルーツと創作に対する強い思いを(鉛筆で書かれた肉筆を通して)体感できることも本作の魅力。稀代のポップクリエイターの創作の源、仕事論、“伝える”ことに対する意志などが込められた『伝わるノートマジック』について、西寺自身に語ってもらった。(森朋之)

“手書きノート”本はいわば秘密兵器 

ーー『伝わるノートマジック』、じっくり読ませていただきました。私、西寺さんとリチャード・カーペンター(Carpenters)さんの対談にも立ち会わせてもらったのですが、あのときに西寺さんが用意していたノートも掲載されていて。

西寺郷太(以下、西寺):インタビューに誘われたのが、確か5日前で。下調べにめちゃくちゃ慌てましたが楽しかったですね。その時の「カーペンターズ・ノート」は今回、本の帯にも使われていて。

ーーリチャードさん、「そのノート、何? 自分で書いたの?」って興味津々でしたよね。まず、“手書きノート”本が出版に至った経緯を教えてもらえますか?

西寺:はい。これまでにマイケル・ジャクソンに関する本を2冊出していて、プリンス本も出してるんですが、“手書きノート”本はいわば秘密兵器というか(笑)、可能性があるんだったら、いつか本にまとめたいと思っていたんです。版元のスモール出版は宇多丸さんの『ウィークエンド・シャッフル』のトークや特集をまとめた本(『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル “神回”傑作選』)なども出していて、僕も色々お世話になってたんですね。で、別の本の取材の時、代表の中村孝司さんから「郷太さん、アイデアがあればウチにどんな企画でもいいからぶつけてください」と言われてたんです。それを覚えていて、一年ほど前ですかね、“手書きノート”本を提案した、と。結局、年末のリチャード・カーペンターの取材で火が着いたというか、そこから取材やミーティングを重ねて突っ走ってきた感じです。音楽とまったく同じで、大きな出版社の良さもあるけど、インディペンデントな会社にしかできないことがあるというか。スモール出版って名前も小さそうですしね(笑)。結果、デザインも最高だし、夢が叶って嬉しいです。

ーー巻末には高校時代の世界史のノートも掲載されていて。その緻密さにも驚きましたが、もともとノートを作るのが好きだったんですか?

西寺:そうですね。小学生の頃に、夢を叶えるためのプランを年表みたいに書くと叶うみたいな本を読んで。実際、小5の頃に書いてみたんですね。ミュージシャンになる、みたいな夢で。その頃には作曲をはじめてプリンスに憧れていたんですけど、自分のバンドをやりながら、他のアーティストにプロデュースや楽曲提供をするみたいな。「〇年にデビューして……」と年表に書いたことが、その後の実際に起きたこととほぼ合っていて。思い描いていたことに比べて、実際のスケールは今のところだいぶ小さいんですけど(笑)。

ーー考えていること、調べたことを手で書いて、可視化することが大事だと。

西寺:それは信じてますね。高校二年生の時に作った世界史のノートは学生時代のノートの「決定版」というか。捨てずに大切にしてましたね。高校に入ってから英語や国語、社会などは得意だし好きだったんですが、理数系の科目がまったくわからなくなって(笑)。理数系の授業中ヒマだからイラストを必死に書いてたっていうのもあるんですけど(笑)。今、振り返ってみると、綺麗に字やイラストを書くことに最初にハマったのは小学生時代のカセット・レーベルかもしれないですね。洋楽を好きになって、エアチェックした曲のタイトルをきれいにアルファベットでレタリングしたり。

ーーやっぱりマメというか、情報を整理してきれいに残すことが得意だったんですね。

西寺:このノート本を見るとすごくしっかりした人間のような感じがしますけど、実際の僕を知ってると極端なんで笑うと思いますよ。普段は注意散漫で忘れ物とか、落し物、ほぼ毎回ですし、人としてヤバいくらいテキトーなんですけど(笑)。ただ、何かを作るときと、伝える時だけは真剣に準備するんですよ。超集中して。その結晶ですね、今回の“手書きノート”本は。

ーー『伝わるノートマジック』には、ラジオのトーク、講義、取材などのために書かれたものを中心に構成されていますが、デビュー当初から、こういう丁寧にレジュメを作っていたんですか?

西寺:そんなことはなくて。NONA REEVESがデビューした90年代は、レコード会社の方針で、バンドマンで俺みたいにおしゃべりなヤツはけっこうすぐにラジオ番組を持たせてもらったりできたんですね。で、デビューして即、山梨や石川のFM局で冠番組をやらせてもらってたんですけど、その頃は単に好きなようにしゃべっていただけだったんですね。ノーナのCDや楽曲の話が中心だったから、自分の頭のなかに情報が入っていれば大丈夫だったんですよね。しばらくして、尊敬するアーティスト、例えばマイケルのことだったり、プリンスのことだったり、あとは歴史や政治、宗教のことを人前で話すようになって。それからですね、レジュメを作るようになったのは。2000年代になって、LOFT PLUS ONEなどのトークイベントにも人が集まってくれるようになってから。ノートをお客さんに配るのがルーティンになって。

ーーお客さんは手書きのノートを見ながら話を聞くわけですね。

西寺:そうそう。あと、宇多丸さんの『ウィークエンド・シャッフル』に呼ばれたこともひとつのきっかけですね。『ウィークエンド・シャッフル』は最初、2007年かな? 宇多丸さんがずっと熱く話したいと思ってたことを話されて半年放送されたんですけどーーPerfumeとか? たとえば、銃とかーーそれをしばらくやったあと、「変わったことを話せる仲間を呼んで、聞く側に回ろう」という感じになったタイミングだったらしくて。2007年秋に最初に呼んでもらったときに話したのが、「マイケル・ジャクソン、小沢一郎、ほぼ同一人物説」でした(笑)。トークイベントとかで、自分のお客さんの前で話すのには慣れてたけど、公共の電波に乗ると誰が聴くかわからないじゃないですか。もしかしたら政治家が聞くかもしれないし、間違いがあっちゃいけないから、細かくレジュメを作ったんですけど。宇多丸さんもスタッフもみなさんも「何それ?」っておもしろがってくれて。その後、この時の放送は政治記者とかの間でも流行ったみたいで。小林信彦さんも、連載で取り上げてくださいましたし。水道橋博士や大瀧詠一さんも、そのタイミングから僕のラジオ語りに興味を持ってくれて。

ーー大瀧詠一さん、「俺に似たヤツがいる」と思ったのかも。

西寺:めちゃくちゃデータを調べるという意味で、ポイントは近いのかもしれないですね。いきなり大瀧さんから「僕は小沢一郎と同じ岩手出身ですよ」と僕にメッセージが届いた時はびっくりしました(笑)。『伝わるノートマジック』には政治のことを調べたときのノートも載ってるんですけど、自分で書いた政治家の細かい関連図を久々に見て、忘れてたんでゾッとしましたね(笑)。「こいつ、なんやねん、気持ち悪っー」と(笑)。

ーーとんでもなく詳細な関連図ですよね。もちろん音楽もそうですが、時系列に沿って情報をまとめることで、全体像が明確になることも多いのでは?

西寺:そうですね。一度作れば、何度でも見直せるので。あと、今の時代、いろんなところでしゃべったり書いたりしてると、「おまえ、たいして知らないだろ」、ちょっとでも年号とか言い間違えると「ここが間違ってる! アホだバカだ」という人たちが無数に登場するご時世じゃないですか。ま、僕も他人が間違えてた時は、調べろよとか思いますけど(笑)。ちょっとでも間違えると、一斉に叩かれて発言権を失ってしまう時代というか。でも、僕は相当いろんな音楽について話したり、伝えてきたつもりですが、僕のトークや文章、切り口に対する好き嫌いはもちろんあるとは思うんですが、事実の間違いは指摘されたことはほぼないんです。それはノートのおかげもあると思うんですよね。このノートを見たら、「相当資料を読み、まとめて準備してラジオや講義に臨んでいる、本を書いているんだな」ということがわかると思うんです。瞬間的に見せれるじゃないですか。それは、自分の防御にもなるのかなと。

ーーこの本にも書いてありますが、2ページのノートを作るのに約5時間くらいかかるわけですからね。ちゃんと時間も費やしているし、体を使って書いているっていう。

西寺:知っていることでも確認しながらなんで、疲れますけどね(笑)。でも、ノートを作る意味はちゃんとあって、たとえば講義をやるにしても、時間内にきちんと終わらせられるんです。ラジオなんかでは予測不可能な、やりとりが大切なんで言い忘れることもありますけどね。ただ、その場合もあとで何を言い忘れたかがわかるし。何ていうか、いまって、なんでもかんでも「5分でまとめて」とか言われがちじゃないですか。三行で簡潔に、みたいな。俺はそうじゃなくて、40分とか45分かけて話すこと、それも違う角度から結果的に繋がる話を延々続けているんですよ。例えばミュージシャン、ロックスターの話をする場合、今の人はちょっと表テーマと違う場所からスタートすると「全然違うやん」「早く主人公登場させてよ」ってよく言うんですけど、そうじゃない、根っこが繋がるから、と。ある程度長い話にならざるを得ないんです。

ーージャンルもスタイルも違うように見えるアーティストが、じつはつながっていると。

西寺:そうです。先日、80年代 The Rolling Stonesの話を『アフター6ジャンクション』でしたんですけど、じつはストーンズ自体のことよりも、80年代のリズムがテーマで。ミック・ジャガーは、大ブレイク前にプリンスを高く評価していました。1981年秋にストーンズのライブの前座に出たプリンスがブーイングされた事件はよく知られていますが、その時の悔しい想いは必ずプリンスの映画『パープル・レイン』での成功につながってます。そして、ブーイングした自分のファンに対して「プリンスの凄さはオマエらにはわからないだろう」と激怒したミックのその後の活動にも影響があったと考えてます。今の若い人に、プリンスとストーンズに関係があった、と言っても「名前と存在自体は知っているけど、果たしてどっちが年上なんだろう」とか、そういう感じなんですよね。なので当たり前、一般常識と決めない姿勢は忘れないようにはしてます。たまに忘れますけど(笑)。

ーー時系列に沿って事実を丁寧につなげることで、新たな発見がある。

西寺:ホントにそう。僕はジャーナリストでも評論家でもないですし。意外と僕ってレジェンド・アーティストを語る時「自分の意見」は言ってないんです。これが好きだ、とは言いますけどね。僕は「自分の意見」は、NONA REEVESや、自分の作る音楽で表現しています。なので、例えばマイケルやプリンスについて書いたり話したりする時大切にしているのは、どちらかというと「考古学者的な感覚」に近いかもしれないですね。何より客観的な歴史。まず時系列に並べる。その上で、埋まっているものをきれいな形で発掘する。できるだけピュアな状態で若い世代にバトンを渡すために、余分な砂をどける作業をしているというか。もちろん、実際に音楽を作るミュージシャンじゃないとわからないことについては、感覚的な間違いに対して、意見を言うこともありますけどね。ドラムのレコーディング、エンジニアリングや、たとえばミックス、マスタリングをやり直すときの気持ちだったり、バンド間の人間関係、マネージャーやスタッフとのコミュニケーション、レコード会社と契約が切れたとき、自分でレーベルを立ち上げたこととか。規模は別として、音楽づくりやリリース自体は、実際に経験しないとわからないこともあるので。

ーー“考古学者”というのは言い得て妙ですね。確かに西寺さんは、自分の意見を表明するというより、「本当に起きたこと」を丁寧に示しているというか……。

西寺:そうですね。たとえば年齢的に先輩の音楽マニアの方から、「おまえはすでに知っていることばかり書く」という指摘を受けることがあって。でも、事実を正確に並べて1冊の本にすることで初めてわかることもある。若い世代や、入り口がわからなくて迷っている人には、知らない町の地図看板のようなものが必要なんです。地元の人が「地図なんていらない。この町のことは皆、住んでいる人は知っている」って、新規参入者の邪魔することが音楽ファンを狭めてしまう。リチャード・カーペンターさんに取材したときも事実から感じた自分なりの見立てを伝えました。なぜカーペンターズは、今も、いやむしろ70年代当時よりも若者たちから支持されているのか。それは、ボーカルのカレン・カーペンターさんが優れたドラマーだからではないか、と。「カレンさんはドラマーだから、カーペンターズのバラードはリズムの『画素』が細かくグルーヴィー。だからヒップホップ世代以降からも支持されていると思うんです」と伝えたら、リチャードに喜んでもらえた。

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