ももいろクローバーZの歴史を紐解く 第4回:国立競技場ライブ~ソロ活動の活発化

国立競技場でのライブでアイドル界の頂点に

 『ももクリ2013』で、2014年3月に国立競技場でのライブ開催がサプライズ発表された。国立競技場での単独公演は、SMAP、DREAMS COME TRUE、嵐、L’Arc~en~Cielに次ぐ史上5組目。女性アイドルグループとしては初だ(AKB48とのにらみ合いもあったが、本稿では省く)。また、2020年東京五輪開催に向けて新国立競技場建設が決定していたため、当時の国立競技場は2014年7月から解体工事がスタート。そういった意味でも歴史的な出来事となった。

 グループのギアもあがっていた。1月に佐々木彩夏が左足骨折のピンチを迎えたが、5人は以前よりもタフになっていた。2月にアコースティックの生バンド編成『ももいろ夜ばなし第二夜「玄冬」』、歌やダンスの担当パートをシャッフルさせた『おしいろマンハッタン♡~なんてこったパンナコッタ~』ほか、いかなる状況でも各自が実力をフルに発揮できるまでに成長。

 3月15日、16日『ももクロ春の一大事2014 国立競技場大会~NEVER ENDING ADVENTURE 夢の向こうへ~』は2日間で計11万人を動員、さらにライブビューイングでも4万人を集客。1964年東京五輪を想起させる聖火点灯、聖火台から会場までトロッコで急降下した冒頭からラストまでハイライトの連続。このトロッコ演出は、「アドベンチャーといえば『インディ・ジョーンズ』」とメンバーが公演タイトルから連想して実践。ほかにも5人の意見を取り入れてステージを作り上げた。公演2日目のラストで5人は、オトナに用意されたMCの台本ではなく自分の言葉で気持ちをあらわした。高城れには「モノノフとずっと一緒にいたい」、佐々木は「ももクロに人生をかける」有安は「一緒に一歩ずつゆっくり進んで行こう」、百田は「笑顔を届けることにゴールはない」と宣言した。

 予算が足りなくてもおもしろいものを制作してきたアイデア力。奇抜な企画にも体当たりでチャレンジする精神。それらから磨かれたメンバーの自主性と、歌やダンスの成長。国立までたどり着いた感動以上に、グループの実力を感じ取れた公演だった。5月8日にリリースした『泣いてもいいんだよ』がシングルとして初のオリコン週間1位に輝いたことも、そういった成果の賜物ではないか。ももいろクローバーZは、アイドルという枠を飛び越えて日本屈指のアーティストとなった。

 以降は国外との接点が増えていく。2014年8月14日にはレディ・ガガのオープニングアクトに抜擢。2015年1月にはKISSとコラボしたシングル『夢の浮世に咲いてみな』がリリースされ、3月3日のKISSのジャパンツアー東京ドーム公演にはスペシャルゲストとして参戦。7月にロサンゼルスで開催『Anime Expo』で単独ライブをひらいた。2016年は3月にベトナム、7月に上海、11月には初のアメリカツアー『アメリカ横断ウルトラライブ』でハワイ、ロサンゼルス、ニューヨークをまわった。

 ちなみにスケール感を拡大させながら、2015年7月『ももいろクローバーZ 桃神祭2015 エコパスタジアム大会 ~御額様ご来臨~』では、ももクロの初期楽曲を多数手がけ、一時期から仕事に関連したわだかまりにより溝ができていた前山田健一と川上マネージャーの内輪揉めなプロレス試合を織り交ぜるなど(和解決着)、相変わらず緩急のある楽しませ方を見せた。

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