フォーリミ×オーラル×ブルエンによる『ONAKAMA 2021』初日公演レポ 三者三様のステージで届けたライブへの思い

『ONAKAMA 2021』初日公演レポ

 日本ガイシホールは名古屋のホールである。つまりは、フォーリミのホームグランド。というわけで、満を持してこの日のトリを務めることになったフォーリミ。元気よくステージに現れると、間髪入れずに披露したのは、5年前の『ONAKAMA』のトップ曲と同じく「monolith」。痛快なるツービートで展開されるこの楽曲で、客席から今にもモッシュが起きるんじゃないかと思うくらいに、強烈なエネルギーが満ち溢れる。どれだけ大きなステージでもライブハウスのような空気感を生み出してしまうのはフォーリミならではのすごさである。すでにイベントが開始されてから2時間ほど経過しているはずなのに、観客の熱気が衰えことなく、手拍子の響きや突き上げた拳の具合をみていると、むしろこの日一番ではないかと思わせるほど。

04 Limited Sazabys(写真=ヤオタケシ)

 フォーリミのサウンドはシンプルにロックバンドとしての気持ちよさが詰まりまくっている。サウンドに足し算をしたり、バンド以外の音を取り入れることで進化を示すバンドが多い中で、フォーリミは5年前と変わらず、パンクロックやパワーポップに軸足を置いて、自分たちの色を見せつける。また、楽曲と楽曲の間をなるべく削り、無駄な間は省くことで、畳み掛けるように持ち曲を披露していく。

写真=ヤオタケシ

 フォーリミの楽曲は、ダイブを喚起させるような高速テンポのツービートが多いが、単なるパンク一辺倒で押し切るわけでもない。軸はそこにありつつも微妙に揺さぶりをかけるところがあって、そこがまた絶妙なのだ。この日で言えば、「Galapagos」。この歌は1番のサビが終わったあとに、フリーセッションならぬフリートークに入る流れがあるのだが、そこで展開されるトークが、この日の開場中に流れていた告知映像に触れたものになっていた。というのも、ブルエンとオーラルは正統に自身のライブや作品の告知を行っているのに、なぜかフォーリミだけはRYU-TA(Gt)が出演して、“麺や おがた スタッフ募集”というフォーリミの実活動とは一切関係のないニセ告知を行っていたのだ。

 「Galapagos」のフリートークでは、GENがその告知の“時給440円で募集”の部分に食いつき、「いや、それはブラックすぎるだろう」と突っ込んだ。このパートのフォーリミらしいユーモアが炸裂していて、とにかく華麗。もちろん笑い声を押し殺しているものの、会場中で笑いが生まれているのを実感できるレベルだった。また、GENはこの場面に限らず、平場のMCでも他バンドのMCやモニターの映像、その日の服装などに細かいツッコミを入れていた。いかに、GENが細部まで見ているかがよくわかるし、ある種のサブカルっぽさがフォーリミの音楽に内在しているのは、こういう丁寧な気づきやユーモアをメンバーが持ち合わせているからこそだろう。

写真=ヤオタケシ

 ライブ後半、GENはMCで「大人になると一番最初になくなる感情は“悔しい”らしい。だから、俺たちはオーラル、ブルエンにいつまでも悔しいと思わせるライブをしたい」と語っていたが、これもライブ中に誰よりも丁寧に周りに目配せしているGENだからこそ言える台詞だと感じる。他の2バンドのかっこよさをしっかり理解した上で、自分はここは負けないぞと言える部分がわかっているからこそ言える台詞だ。実際、この日のフォーリミはこんなライブをされたら悔しいと思わざるを得ないよな……と思うほどに圧巻の連続で、畳み掛けるようなキラーチューン、ユーモアを交えて笑いを取る部分はもちろんのこと、泣かせる部分においても容赦がなかった。

写真=ヤオタケシ

 終盤で披露した「Squall」が特に印象的だった。こういうご時勢のライブだからこそ、〈何を考えているかに気付き、新しい自分に生まれ変れ〉というメッセージを宿した「Squall」の言葉と、凛としたGENの歌声と、切なさを宿したバンドサウンドが美しい光を放っていた。

 フォーリミのセットリストを終えると、最後はブルエン田邊、オーラル山中をステージに呼んで、フォーリミ屈指のキラーチューンである「swim」を披露するという流れ……だったのだが、ステージに登場した田邊はなぜか腕を吊って登場。曰く、ライブ中にテンションが上がりすぎて一時的に脱臼したらしい。普通のライブではありえないようなトラブルではあったが、不思議とこの3組が集まると、それすらも笑いのネタに変えてしまうポジティブなムードがあった。「swim」披露前のフロントマン3人による掛け合いがあまりにも鮮やかだったのだ。つくづくこのメンバーが良い関係で繋がっていることを実感した。

写真=ヤオタケシ

 本当にこの3バンドは面白い。見せ方や得意としているパフォーマンスは違う。しかし良き仲間であり、良きライバルという不思議な関係。5年の月日を経ても、その根幹は変わっていない。そして、どのバンドも文句のつけようがないくらい進化している(どのバンドも当時のセットリストからキラーチューンが変わっていることからも明らか)。

 それにしても、『ONAKAMA』というライブイベントの凄まじさをモロで体感した。というのも、自分はコロナ禍になってから何回かライブを観ているが、ここまで熱気が凄まじかったライブを観たのは久しぶりだったからだ。どうしても、今のライブでは「気をつけながら盛り上がりましょう」の空気が強くなりすぎて、微妙な空気が生まれやすい。しかし、『ONAKAMA』のライブからはそういうものが取っ払われていたような気がした。

写真=ヤオタケシ

 “マナーは守る”というライブハウスの前提を、あくまでもいつも通り守りつつも、そこさえ守ればあとは無我夢中で楽しもうぜというような、特有の熱狂がそこにあったような気がしたのだ。きっと、これは出演する3バンドの気合いが並々ならぬものだったからというのもあるし、スタッフが本気でこのイベントを良い形で成功したいと願い、そのためにできることに全力を注いできたおかげだろう。加えて、観客が待ちに待った待望の『ONAKAMA』であり、悔いのないように全力で楽しんでいたということもある。ひとつが突出するのではなく、全てが一つの線で繋がったからこそ、かけがえのない空気感が醸成されたように思うわけだ。

 正直、本音の本音を言えば、ライブシーンはまだまだ相当に厳しい時代が続く。それは観客側だって同じことだと思うし、様々な事情でライブに行けない人だっているわけで、あと少し我慢したら何とかなる……という局面でもないからこそ、余計に厳しいものがある。だからこそ、の一歩が『ONAKAMA』に宿っていたような気がするのだ。今、ライブに行けない人がいつかライブに行けるようになったときにも、ライブシーンが継続するための未来を、『ONAKAMA』のライブの光景から想像することができたのである。

もがいて沈んでまた息継ぎ
信じろ 未来を

 これは「swim」の一節だ。5年前、バンドシーンに新時代を切り開いた3組が、今は当時とは違った形で新時代を切り開こうとしているのだと思う。良いも悪いも経験した、同じ釜の飯を食った仲間たちだからこそ描くことができる、そんな未来を信じながら。

■ロッキン・ライフの中の人
大阪生まれ大阪育ち。ペンネームにあるのは自身が運営するブログ名から。人情派音楽アカウントと標榜しながら、音楽メディアやTwitterなどで音楽テキストを載せてます。

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