寺嶋由芙が明かす、モーニング娘。への憧れと“アイドル”という夢 早稲田大学進学に至った経緯も

寺嶋由芙が明かす、モーニング娘。への憧れ

 寺嶋由芙が、12月19日に1stアーティストブック『まじめ』(blueprint)を刊行する。同書は、ギャル風の姿や水着、ランジェリー姿も披露する王道の写真集でありながら、ふなっしー、大森靖子、トミヤマユキコとの対談やディスクレビューを収録。さらにソロインタビューだけでなく、本人の早稲田大学の卒業論文を全文公開するなど、読み物としても充実した1冊となっている。今回リアルサウンドでは、『まじめ』からソロインタビューの一部を抜粋して掲載する。モーニング娘。への憧れから、大学進学への決断までを語る、貴重な内容となっている。(編集部)

モーニング娘。に憧れて、初めて味わった挫折

ーーダンスは、幼稚園のころから習い始めたそうですね?

寺嶋:年中さんのころ、近所にダンス教室ができたのがきっかけです。といっても、プロを目指すようなところではなく、近所のママさんが始めた小さな教室という感じで。SPEEDや安室奈美恵さんの曲にあわせて体を動かしていく、本当に趣味として楽しむための場所でした。そこに友達が次々と通うようになったので、そのブームに乗っかる形で「私もやりたい!」と始めました。この写真は、ダンス教室の発表会の様子です。『キューティーハニー』の曲とかも踊ったんですよ。ほかにもクリスマス発表会や市民夏祭りなど、色々な発表の場がありました。

ーー小さいころから、ステージで緊張するタイプではなかったんですね。

寺嶋:そうですね。純粋に楽しんでいました。周りの友達も先生も、みんな穏やかな人ばかりでしたし誰かと自分を比べて落ち込んだり、ポジションをめぐって競争したり……といった雰囲気もなく、ただただ発表会を楽しめていたんだと思います。結局、中学校を卒業するまで10年くらい通っていました。その後、「#ゆーふらいと」のMVに出演してくれた先生の教室に移って、ダンス自体は大学生になっても続けていました。

ーー学校では、どんな日々を送っていたんですか?

寺嶋:小学校、中学校は、学級委員系女子でした(笑)。“誰かがやらなきゃいけない”空気みたいなのがあると、「じゃあ、やります!」って手を挙げちゃうタイプ。友達関係はダンスを通じて、広がっていきました。一番仲がよかった子は、浜崎あゆみさんのファンで、ギャルっぽいおしゃれな子でした。休み時間になると、学校のラジカセを借りて、私が好きなモーニング娘。や、彼女が好きな浜崎さんの音楽をかけて、振り付けの練習をしていました。

ーーモーニング娘。を好きになったきっかけは?

寺嶋:父が運転していた車の中で「サマーナイトタウン」が流れてきたのが、モーニング娘。を知ったきっかけでした。オーディションの様子が『ASAYAN』(テレビ東京)で放送されていたころは全然チェックできていなくて、後から追いかけて好きになっていった感じです。一番好きだったメンバーは、安倍なつみさんでした。その当時は、毎日のように歌やダンスを真似して、「私、絶対にモーニング娘。になるんだ!」と、本気で思っていました。

ーーモーニング娘。になるために、具体的なアクションは起こしたのでしょうか?

寺嶋:2001年に開催された、『ハロー!プロジェクト・キッズオーディション』を受けました。「モーニング娘。になるんだ」と心に決めたものの、なかなか「なりたい」と周囲に言うことができず……。そうしているうちに、同じ学校やダンス教室の友達が何人も、そのオーディションを受けるという話が聞こえてきて。「○○ちゃんも受けるらしいよ」「□□ちゃんも応募したって」って、じわじわと母にアピールする作戦を決行。その努力の結果、私の気持ちを察してくれた母が、ちゃんと応募してくれました。

ーー初めてのオーディションはいかがでしたか?

寺嶋:会場がすごく大きくて驚きましたが、自分の中ではモーニング娘。になるのは決定事項だったので、まったく緊張はしなかったですね。「なりますけど!」くらいの気持ちでした。……一次審査で落ちましたが(笑)。

ーーそのときは、どんな気持ちでしたか?

寺嶋:単純に驚きました。「こんなに好きなのに、モーニング娘。になれないことがあるの?」と。おそらく、それが人生初の挫折だったと思います。それまでは、例えばダンス教室の発表会は全員で出ることができましたし、“選ばれない”という経験がなかった。ずっと楽しくやってきたから、私にはアイドルが向いていると思っていたし、才能があると信じていました。でも、それだけではアイドルになれないんだって、現実を突きつけられたのがショックでしたね。その後しばらくは「アイドルが好き」ってあんまり言わなくなりました。そのうち、安倍さんも卒業してしまい、休み時間のアイドルごっこもやらなくなり、中学では演劇部に入ることにしたんです。ステージへの憧れは消えなかったんですが、部内のオーディションにもあんまり受からなくて、基本的には音響や照明をやっていました。ベストなタイミングでスイッチを押すとか、尺ピッタリに合わせていくことにやりがいを見出し(笑)。今でも、ラジオコメントを決められた時間内で収められるとすごく気持ちが良いなって思います。

ーー決まったフレームの中で、最善を尽くすことが得意なんですね。

寺嶋:そうなんです。まじめと言えば聞こえはいいけど、型破りなことが苦手なのはコンプレックスでもあり……。まじめな性格は、母譲りだと思います。母は、私から見ても“まじめ過ぎ!”。今でも覚えているのが、小さいころに言葉遣いを注意されたことなんですが、「そういう言葉遣いはやめようね」「キレイな言葉で話しましょうね」みたいな子供扱いはせず、「私は、そういう言葉遣い好きじゃない」と、対等な感じで注意されました。まじめゆえに、「子どもにも一人の人間として向き合わねば」みたいなことだったのかもしれません。大人になってから、その距離感はすごくありがたかったと思うけど、幼い時はあんまり理解できていないことも多かったので、「もっとわかるように言ってくれたら良かったのに!」という不満も(笑)。

ーーまじめなお母様は、由芙さんのアイドルへの憧れをどのように思っていたんでしょう?

寺嶋:反対はされませんでしたが、照れもあって、そもそもそんなにはっきり伝えてなかったかも。ただ、ダンス教室だけでなく、小学6年生から中学生くらいまで、渋谷のボーカルスクールにも通わせてくれまして。そのスクールは、大人がシンガーとしてデビューを目指して通っているようなところで、私が最年少だったと思います。そのスクールも親が選んでくれたので、応援してくれていたんだと思います。

消せなかったアイドルへの想い

ーー胸に秘めていたアイドルへの憧れが、再び熱を帯びたきっかけは?

寺嶋:実は、中学の演劇部メンバーにアイドルをやっている子がいたんです。時々、撮影や収録でいない日があって、チェックしてみるとテレビの歌番組で踊っていて。そんな活躍を間近で見ているうちに、「やっぱりやりたいな」って沸々としてきました。その頃、AKB48がデビューして話題になっていて。ラジオで聴いた「スカート、ひらり」がすごくいい曲で衝撃を受けました。制服を着て踊っているのもすごく親近感があったし、人数もモーニング娘。よりも多いし、「もしかしたら私も入れるんじゃないか」と思い始めて。第一回研究生(4期生)オーディションを受けることにしたんです。でも、それも落ちました。受かっていたら、ここにいないんですけどね(笑)。

ーーアイドルへの道はなんとも厳しいですね……。

寺嶋:本当に。でも、初めて挫折したときに、アイドルになりたいという想いは胸に秘めたつもりだったけれど、やっぱり気になって仕方がないから、もうとことん目指していくしかないって覚悟を決めたんです。何回落ちてでもアイドルになると腹をくくっていたので、「次のオーディションを受けよう」と、前よりはすぐに気持ちを切り替えることができました。演劇部のオーディションや、ボーカルスクールの学内で行なわれるオーディションを何度も受けていた経験も、ハートが強くなっていった理由かもしれません。本当にずっと落ち続けてましたが!

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