村井邦彦×細野晴臣「メイキング・オブ・モンパルナス1934」対談

村井邦彦×細野晴臣、特別対談

YMOの世界進出

村井:細野君としては、自分の音楽を外国で発表したいという気持ちはいつごろから湧いてきたんですか?

細野:クラウン時代はひたすら自分の好きな音楽をやっているだけで、あんまり考えていなかった。村井さんからプロデュース契約を提示されて、ちょっと考えが変わったんですね。何かやらなきゃと。YMOのときは、もう最初から外国に発信することを考えていました。そこで急にアルファがA&Mと契約することになったというので「あ、これはいける」と確信に近くなりました。すごく運命を感じましたよ。

村井:運命的だよね。

細野:ワールドツアーが決まるまで、すごいスピードでしたからね。続けるのは大変でしたが、面白い時期でした。

村井:僕も含めて全員にもう少し体力があって、もう一回りぐらいツアーをやったら、本当に世界を席巻できたはずだという悔いは少し残るんだけど。

細野:そうかもしれないけど……。

村井:くたびれたよな(笑)。外国のバンドの人たち、体力あるよね。

細野:ずっとやってますからね。でも、僕らは僕らで、日本的でいいんじゃないですか。

村井:そうかい?

細野:だいたい当時の僕は一つのことを3年以上やったことがなかったので。頑張った方だと思います。

村井:そうだね、頑張った。ところでYMOの世界進出について、キャンティで細野君が会った人たちから受けた影響というのはありますか。

細野:キャンティで会った人というより、村井さんと川添象郎さんの影響が大きいですね。村井さんが紹介してくれた芸術家の脇田愛二郎さんとか、今井俊満さんとか、あの人たちの存在に触れるだけで嬉しかったです。懐かしいですね。

村井:脇田さんはアルファのアートディレクターをお願いして、YMOの日本盤とか細野君の「はらいそ」のジャケットもやってもらったね。彼らの存在に触れるだけで嬉しかったっていうけど、どうして嬉しかったんだろうね。

細野:やっぱり、さっきおっしゃっていた戦前の大正時代からつながっている日本の文化の片鱗に触れた思いがあったからでしょうね。でも、それはもう今はなくなってしまって、村井さんや僕に少し残っているくらいかもしれない。

村井:そうだね。ありったけ、後の人に残しておいてあげたいね。

細野:そうなんです。だから今は大事なときですよ。村井さんはちょうどいい時期に本を書いていると思います。村井さんが書く文化の話にはすごく興味があります。

村井:じゃあ、このプロジェクトにずっと協力してくれるかな? 例えば、またこういう形で対談するとか、やってもらえると助かるんですけれど。

細野:もちろん。いくらでもやりますよ。

村井:ありがとう。これは心強い味方ができたな。象ちゃんも「これを助けるのが自分の最後の仕事だ」なんて言ってくれているんだよ。僕より年上だからね。まあ、これからよろしくお願いします。

細野:こちらこそ、楽しみにしています。

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