浜崎あゆみが見せた“アーティストの性”と“母としての姿” 「Dreamed a Dream」「オヒアの木」に映し出されたストーリー

浜崎あゆみが見せたアーティストの性と母の姿

 コロナ禍で放送されたドラマ『M 愛すべき人がいて』(テレビ朝日系)は、往年の大映ドラマ風をギリギリまで攻めた鈴木おさむの脚本と田中みな実の怪演も手伝い、前評判以上の高視聴率を記録。浜崎あゆみのヒット曲も効果的に取り入れられ、一周回ったayuの魅力が次世代に伝わるきっかけを作った。あの時代、世の中はバブル崩壊後の就職氷河期。厭世的な目を持たざるを得なかったミレニアル世代は、希望と裏腹にある絶望から目を離すことなく愛を歌う浜崎あゆみに、自分たちと同じようなある種の諦念と、実は奥底で希求するドラマチックなストーリーとを見出して熱狂した。

 戦後最悪の景気の落ち込みとなった今のこのうんざりするような閉塞感も、当時とどこか似ている。いや、影響が老若男女に及ぶという意味ではそれ以上かもしれない。ステイホームで文字通り行き場を失った者たちに、『M〜』で象徴的に登場した「A Song for ××」の〈居場所がなかった 見つからなかった 未来には期待出来るのか分からずに〉という言葉が、自分ごととして響いたのは、だから不思議じゃない。と同時に、20年の時を超える浜崎あゆみのパワーにもあらためて感じ入った。今や、多種多様な音楽がひしめくサブスクの大海原から、自分だけの宝物を探すという聴き方が主流となっているが、一方で、それだけでは何か物足りないと思っている人も多い。特に国民的ヒットを知らない世代にとっては、多くの人と共有できるayuのメガヒットの数々が、新たな感覚で宝探しを楽しむ場となったのかもしれない。

 そんな思わぬ現象が起きた2020年は、浜崎あゆみ自身にとってもまたかつて経験したことのない年となった。2月20日から始まったツアー『ayumi hamasaki TROUBLE TOUR 2020 A 〜サイゴノトラブル〜』は、最初の一会場だけで中止を余儀なくされた。2000年から毎年欠かすことなくツアーを開催し、さらに、カウントダウンライブも毎年行ってきたayu。その継続は、歌い手、パフォーマーとして一座を引っ張るだけでなく、ライブショーの制作という裏方仕事でも情熱を燃やす彼女だからこそできた偉業だ。2019年末のカウントダウンライブ終了後には、直前の11月に出産していたことを明かし、世間をどよめかせた。というほどに、「The Show Must Go on」な人生を歩んでいた浜崎あゆみにとって、ツアーが途切れてしまったことは大きな落胆、焦燥感であったはずだ。

浜崎あゆみ / オヒアの木

 しかし、ツアーの中止と引き換えに得た空白の時間は、母となった浜崎あゆみにとってかけがえのない時間ともなったはず。7月に配信リリースされた「オヒアの木」には、そこで育んだ我が子への想いが素直に綴られている。シンガーソングライターとして、今、思うことを歌にするのは、浜崎あゆみがずっと使命としてやってきたこと。ただ、これまでは、プライベートでどんなバックストーリーがあろうと、そこは語らず、普遍的な世界観に昇華させていた。〈拝啓 わたしの小さくて 永遠に世界一の天使へ〉で始まるこの「オヒアの木」は、そういった今までのスタイルを完全に取っ払って書かれている。そうしてでも、湧き上がる想いを残したい、いつかそれを我が子に見てほしいと心から願ったのだろう。浜崎あゆみとして背負ってきたものをふっと置き、ひとりの母になった瞬間のayu。そんな実に人間らしい姿がにじみ出ていてホッとする。

 「オヒアの木」の出典はハワイの神話だ。火の女神ペレが青年オヒアに恋をするのだが、オヒアにはレフアという想い人がいた。それを知ったペレはオヒアを醜い木に変えてしまう。嘆くレフアを不憫に思った他の神々が、オヒアの木に咲く花にレフアを変えてあげたという話。ハワイ好きで知られる浜崎あゆみらしい喩えだ。「オヒア」がayuで「レフア」が子供なのか、はたまた子供の名前が「オヒア」なのか「レフア」なのかといったタブロイド紙的論争が起こるのも、人々が別ベクトルで期待する浜崎あゆみらしいといえばらしい。「ま、どちらでもないけどね」と飄々と可笑しがるayuの顔が浮かぶのは、私だけだろうか?

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