『2020』インタビュー
eastern youth 吉野寿が語る、2020年ひたすらに生きてかき鳴らす“己の存在” 「せっかく生まれてきたのに殺されてたまるか」
eastern youthが18枚目のアルバムに冠した言葉は『2020』だった。村岡ゆか(Ba)の加入から5年、バンドは安定した活動を取り戻したかに思えたが、コロナで急転直下、崖っぷちに追い詰められたこの世界を象徴するように、全曲がギリギリの命懸け、余裕も装飾も一切削ぎ落とした生身の歌が鳴り響いている。強烈なブルースであり、骨と血だけで作られたパンクロックでもある、凄まじい意地とエネルギーの作品だ。吉野寿が歌うのは徹頭徹尾自分のこと、いま生きている自分の命のことだが、それでもこのアルバムが2020年を象徴していると思えるのはなぜだろう。じっくりと話を聞いた。(石井恵梨子)
「自分の中の自分を俺は形にしたい」
一一先月お会いした時「すごくやかましいものができてしまった!」と言ってましたね。
吉野寿(以下、吉野):はい。あの……非常に耐え難いうるささのアルバムになってしまいました。
一一「なってしまった」のではなく「した」のでは?
吉野:したんです。したくてしたんですけど、改めて通して聴いたりいろんなスピーカーで聴き比べても「うるさいなぁ」と思って。
一一でも、そのうるささが圧倒的にこちらの元気になりますよ。
吉野:ほんとですか? なら良かった。内向きにならないようにしたかったんですね。閉じないように。前に開いてる明るい印象っていうか。いろいろ複雑にゴテゴテ足していくと、考えすぎちゃって暗くなるんですよ。そうじゃなくて一発で決める。ジャーン! バーン! で行きたかった。
一一サウンドは確かにそうなっています。ただ、その明るさや勢いと、歌詞の内容がものすごく乖離していますよね。
吉野:もう52歳ですから。若い頃に言えたことが言えなくなってるところもありますね。今の自分というものをひとつ形にするときに、根っこのところは変わってなくても、まぁ20年前と同じようには言えなかったり。じゃあ何が言えんのか、っていうことですよね。それで、こんなふうになっちゃった。
一一たとえば「カゲロウノマチ」は、まず〈おしまいだ なにもかも〉から始まる。続きも〈どうすんだ あてもない〉と、朗読する限りとても寂しい詩なんですけど、ギターが鳴って〈イエーーーッ!〉の叫びがあるから、不思議なくらい元気が出る。
吉野:腹括っておしまいなんです。俺自身が行き詰まっておしまいなんでしょうね、たぶん。でも自分で選んで歩いてきた人生ですから誰かを恨むわけにもいかない。だから〈イエーーーッ!〉ですよ。〈イエーーーッ! おしまいだぁーー!〉って。
一一(笑)。それは喜びなんですか? それともヤケクソ?
吉野:ヤケクソに近いんじゃないですかね。ただ、別に悲観してるわけじゃなくて。おしまいなのはしょうがない。俺の人生ずっとおしまい感漂ってますよ。先はないし、保証もない。何か卓越した能力もないですし。今は年も取ってきて、この先どうやって生きていくのかなぁって。「コンビニのバイトでもすればいいんじゃね?」って言う人もいますけど……できるわけねぇだろう! やれてりゃこんなとこにいないんだ。
一一ははははは。
吉野:だから、参ったなぁと思ってます。そういう歌なんです。
一一そこに装飾の一個もないことに驚きます。〈おしまいだ〉から始まるこの歌は〈突っ立って/汗をかいて/ただ生きている〉で終わりですよね。「それだけなの?」って言うこともできますけど、それでいい、という結論がある。
吉野:そう。それだけ、なんですよ。ただ生きてるだけ。何の役にも立たないし何の力もない。この先どうなるかもわからないし、何か残してきたものもないし、お金もない。何もないですよ。ただ、生きてることはわかってる。生きてればまた少しずつ先がある。そういうことを俺はここで感じてるんだ、っていう歌ですよ。
一一生きているうえで、何か思考したり、そこから自分の思いや伝えたいことを見出す表現者は多いです。でも吉野さんは「生きている=音楽をする」が直結している。
吉野:それしかやりようを知らないんでしょうね。音楽を通してでしか世の中と関わることができなかったんですよ。接点が見出せない。かろうじて音楽を通して、なんとか社会と、人々と繋がりを持ちたい気持ちは人一倍あると思ってますよ。だからプレイするんだし。だけどそれが何かの役に立つような、生産性みたいなもの? そういう便利な商品にはならないんです。ただ自分が生きてる事実を形にして、それで世の中と関わる。そうするしか方法がわからないんでしょうね。
一一人々と繋がりたい気持ちが人一倍あると思いますか。
吉野:人、好きですよ? けど反面「みんな死ね」と思ってるし、誰とも関わりたくないとも思ってる。ちょっと矛盾しますけど、事実なんですよね。
一一なぜでしょう?
吉野:子供の頃から、なんせ人とは上手くいかないんですよ。「なんでみんな普通にやれてるんだろう?」と思ってた。クラスに40人くらいいたけど、全員嫌い、100%嫌いでしたね。当時は学校サボる知恵もまだなくて、いやいや行ってましたけど。でもこっちが嫌いだから当然嫌われるし、まぁ友達なんかもいない。「なんで君たちはそのようなものが楽しいのかね?」って思ってた。『明星』とかそういうの持ってきてキャーキャー言ってるんです。「俺もピンクレディー好き、キャンディーズ大好き!」とは思ってるんですけど……。
一一あ、思ってましたか。
吉野:思ってた。今でも思ってます。だけどなんて言うんだろう? みんなでワーッとひとつの流れになる感じ......流行りみたいな感じになると全然食いつけない。大ファンだし「俺も俺も」って思うんですけど……なんでしょうね? なーんか気に入らないんですよ。やり方が気に入らない。お前らのその遣り口が気に入らない。
一一それでも人と関わっていたいと思う気持ちはなくならないですか。
吉野:人は好きなんです。でも気に入らねぇ奴が多すぎる。ほぼ嫌い。で、たまーに好きな人がいる。いろんなとこにちょっとずつ好きな人がいる。あと、嫌いだなと思ってる塊の中にも、よく見るとちょっと面白い人たちがいて。「あぁ、生きてるねぇ」って思うと好きになったり。そういう親しみは持ってますよ。
一一それを探しているのが「合図を送る」という曲です。
吉野:人と人の間は、最初は窓が閉まってるんですよ。視界も磨りガラスでほんとの姿は見えない。影だけが見える。「おーい」って呼んでも鍵がかかってる。ちょっとでも窓が開けばそこを糸口に繋がりを持てるかもしれないけど、なかなか開かないんですよ。だから「待ってるよ」っていうのはある。そこは希望を持ってるんだと思う。まだ誰かいるんじゃないか、ちゃんと付き合える奴がほんとはいるんじゃないかって。子供の頃からほとんどいなかったけど、それでも合図を送り続ける。その出会いは諦めてないです。生きてる限りは出会えると思ってますよ。
一一だから、この作品に悲愴感はまったく感じられなくて。
吉野:個人的には悲愴感たっぷり、もうボロボロに荒んでますよ。だけど歌でそれを言ってもつまんないなぁとは、より強く思うようになってきた。昔に比べても。
一一誰かを責めたり攻撃的になる歌もないですからね。
吉野:うん、それで自分を正当化するのは一番ゲスだとも思うし。あと、誰かを告発するみたいな、そういうことを歌にしても追いつかないというか。
一一弱い者が切り捨てられていく社会って、近年いよいよ加速していますよね。
吉野:うん。「昔っからそうだよな、お前ら」って思いますけどね。
一一お前らって?
吉野:学校のクラスの40人ですよ。奴らは「俺は知らん、見てない」って言いながら誰かを押し潰していくんです。それが人の営みだって言えばそうなんだろうし。仕方がない、とは思ってませんよ? なんとかしなきゃいかんのじゃないかと思いますけど。それでも時間は止まってくれないし、自分の人生も止まってくれない。もちろん、正しさ、みたいなものを追い求める必要はあると思う。社会としての正義、公平、公正みたいなこと。ただそれを演説みたいな感じで歌にはしたくないんです。
一一歌うのは、あくまで自分のこと。そこでしか本当の繋がりは生まれない?
吉野:もちろん酒飲んで政治や社会の話になるとか、バリバリありますよ。そこで気づくこともあるし、むしろ積極的にそういう話はしてますけど。ただ、自分で歌を作るとなったら、もっと自分のこと、もっと内側のことっていうか。社会の中の自分ではなくて、その自分の中の自分、そのまた自分の中の自分。そういうものを俺は形にしたいんだと思う。会話の中で「おっ、なるほど。これは使えるな」とか、そういう言葉を歌にしても取ってつけたような白々しいものになってしまう。ほんとに自分で「そう! そういうこと」って思えるのはどういうことか、ですよね。