SUPER BEAVERの配信ライブはなぜ“ドキュメンタリー”だったのか バンドの生き様描かれたストーリー性を読む

SUPER BEAVERの配信ライブはなぜ“ドキュメンタリー”だったのか バンドの生き様描かれたストーリー性を読む

 先日本サイトで公開したインタビュー(参考:SUPER BEAVERに聞く、紆余曲折の15年で見出した“音楽の伝え方”「一個人を見てないとメッセージは届かない」)で渋谷龍太(Vo)は、新型コロナウイルスの影響でこれまでのようなライブができなくなっている状況に対して「自分たちが貫いてきたスタイルっていうのはそれが好きでやってたことだから簡単に変えられるようなものでもない気がしてる」と語っていた。さらに(これは文字数の都合もあって記事には掲載しなかったのだが)、「配信ライブ」についてどう思うかという質問に、柳沢亮太(Gt/Cho)は「ライブとは別物」であるという認識をはっきりと口にしていた。ライブハウスで、フェスで、あるいは武道館やアリーナのような大きな会場でも、常に「あなた」に向き合って音楽を届け続けてきたSUPER BEAVERらしい、明快なスタンスだと思った。

SUPER BEAVER

 そのSUPER BEAVERが「配信ライブ」をやる。それがどういうことなのか、その場を借りて彼らが伝えようとしているものとは何なのか。彼らが契約した<ソニーミュージック>が手掛ける映像配信サービス「Stagecrowd」での一発目の配信、そして4月から開催する予定だったツアーが全公演中止となるなかで行われるSUPER BEAVERにとってメジャー復帰後初のライブ。もちろんいまだ先が見えないコロナの状況に対するバンドの姿勢を見せる機会にもなるだろうし、何よりファンにとってはずっと待ち望んでいたものである。話題性という面でも意味合いという面でも、「普通に」ライブをやって「普通に」配信するだけでもきっとインパクトのあるものになっただろう。しかし彼らはそうはしなかった。

 7月11日に行われた『SUPER BEAVER 15th Anniversary 都会のラクダSP ~LIVE document~』。タイトルに「LIVE document」と記されているとおり、今回の配信はライブだけを届けるものではなかった。映像はいきなり、ライブを終えたメンバーの表情を切り取るところから始まる。「SUPER BEAVERってこういうバンドだなってすごい思った」とリーダー・上杉研太(Ba/Cho)が口にすれば、柳沢亮太も「『これですよね、SUPER BEAVERは』みたいなものを表現できた」と満足げに語る。その後時間をさかのぼり、カメラは会場入り、リハ、そして本番と、この初めての試みとなった1日をつぶさに追っていくのである。会場となった新木場スタジオコーストの名物であるサインボードには例にならってバンド名とイベントタイトルが掲げられ、これが文字通り「ライブ」であることを印象づける一方で、その映像の作りが、そのライブ自体をもうひとつ外側から見つめるような視点を浮かび上がらせる。

渋谷龍太

 配信ライブはライブの代替物ではない。終演後のツイートで柳沢もそういう意味のことをつぶやいていたが、そのとおり、こういう状況下でお客さんの前でのライブができないからせめてライブを「疑似体験」してもらおうという、多くの配信ライブのコンセプトとはまったく正反対のアプローチがここにはあった。視聴者はライブが終わった直後のメンバーの充実した表情を手がかりに、リーダーの言う「こういうバンド」の生き様を追体験していく。いきなり本番の演奏だけを見せられたのでは、この「バンドと一緒に時間を積み上げていく」ような感覚は当然感じることはできない。SUPER BEAVERというロックバンドが、どのようにしてここにたどり着いたのか、そして終わったあとに訪れた「やりきった」というような表情はどこから生まれたのか。そのドラマをもしっかりと伝えることが重要だったのだ。

柳沢亮太

 そんなドキュメントパートを経て、いよいよライブが開幕する。フロアに円形に置かれた楽器にメンバーが集い、音を鳴らし始めるなか、眩しい光に照らされた渋谷龍太が登場する。「おひさしぶりです」という挨拶から1曲目に鳴らされたのは、8年前のこの日、自主レーベルでリリースした『未来の始めかた』のリード曲となった「歓びの明日に」だった。これまでの歩み、築いてきたファンとの絆、バンドとしての自負。そのすべてを賭けて敢行されたこのライブの1曲目として、これ以上ふさわしい曲はないだろう。ここからまた始めるんだ、と、のっけからテンションの高い演奏が雄弁に物語っている。

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