SUPER BEAVERに聞く、紆余曲折の15年で見出した“音楽の伝え方”「一個人を見てないとメッセージは届かない」
結成15年を迎えた直後の今年4月8日、メジャーレーベルとの「再契約」を発表したSUPER BEAVER。ご存知ない方のために説明すると、「再契約」というのは以前にも一度メジャーで活動していたことがあったからだ。結成からわりと早い段階でメジャーデビューをした彼らだったが、その時は思うような活動ができず、わずか2年で所属していたレーベルからも事務所からも離れざるを得なくなった。
だが、それこそがSUPER BEAVERの物語の始まりだった。メンバー4人で自主レーベルを立ち上げ、いろいろな人の手助けを得ながら、自分たちのやり方で道を切り開いてきたこの10年あまりで、彼らは確固たる哲学と自信を手に入れてきた。その結果が目に見える形で表れたのが、2018年の日本武道館公演であり、2019年末のアリーナワンマンだった。
一度は「メジャー落ち」したバンドによる、地道でタフな復活のストーリー。いや、彼らが成し遂げてきたものは、それ以上の何かだった。彼らは誠実に音楽と向き合い、それを受け取るひとりひとりと向き合うことが何よりも大事なのだという、当たり前だが見過ごされがちな真理を、自分たちの軌跡で証明してみせたのである。
最近ではこれまで一部を除き行ってこなかったサブスクリプションサービスでの楽曲配信を全面解禁したり、配信ライブを試みたり、今も新たな挑戦を続ける彼らの変わらぬ信念とは何か。最新シングル『ハイライト/ひとりで生きていたならば』も含め、今のSUPER BEAVERを支えるバックボーンについてメンバー4人に聞いた。(小川智宏)
SUPER BEAVER プレイリスト
メジャー再契約の背景
――再びメジャーレーベルで新たな挑戦をすることを決めたわけですけど、どういう流れのなかで決断したんですか?
渋谷龍太(Vo):特別なきっかけがあったわけではないんですけど、じつは3年ぐらい前から声は掛けていただいていたんです。自分たちも、メジャーに対して「二度とあんな場所にやるもんか」って思いながらやっていたわけではなかったし――もちろん、メジャー離れてから何年間かは反骨心みたいなものもありましたけど、それがずっと自分たちの原動力だったわけではないので。だからそのメジャーというものに対してフラットにいられたし、その中で声を掛けていただいて。ただ、二度目に行くというのはどういうことかっていうのはわかってるつもりでいたので、果たしてどんな気持ちで声を掛けて下さっているのかは知りたかったんですよね。それで長い時間かけて話をして、最終的に「組めたら面白いことができそうだな」って思うに至った。その歳月だったり熱意であったりに自分たちの心が動いたのかなと思ってます。
――最初にメジャーデビューして、渋谷さんはよく「落っこちた」という表現をしますけど、結果的にうまくいかなかった。それは何が原因だったと思っています?
渋谷:それはもう、ほとんど全部じゃないですかね。いろんな面に対して大人じゃなかったと思うし、何も知らな過ぎたっていう。あとは、なんで自分たちが音楽をやっているのか、音楽の本質的な魅力みたいなものに、ちゃんと気づけていなかったのかなとも思いますね。音楽を好きでいる気持ちとか音楽をやりたいっていう気持ちが足りなかったとは僕は思わないですけど、じゃあなんで真剣に腹括って音楽やるのかっていう理由はやっぱり少しふわっとしてたのかなっていうのは思いますね。
柳沢亮太(Gt・Cho):最初にメジャーに行った時って、たとえば楽曲ひとつにしても曲や歌詞を担当のディレクターやスタッフと何度かやり取りをして作っていくわけですよね。そこで「ここはこういうふうにアレンジし直さないか」とか「歌詞もちょっと修正しないか」っていうような会話が……どこでもあると思うんですけど、そこのやり取りがあまり建設的ではなかったっていうのが印象としてあって。でも4人でやるようになってからは、作ってから出して、どう届くかっていうところまですべてメンバーの責任でやるんだって思うようになって。そこに責任を持つようになって、その延長線上に今があると思うんです。
――大人対大人っていうと言葉がおかしいかもしれないけど、お互いに責任をもって対等に向き合ってものを作れているっていう。
渋谷:一緒に仕事ができそうだな、と思ったのはありますね。
藤原”32才"広明(Dr・Cho):うん。しかも絶対にもっと楽しくなるって思えたので。昔はレコーディング現場とかでも考えなくていいことを考えていたり、余計なことに気を遣って、自分たちのやりたいことというより、それこそ「大人」が納得するようなものを作っちゃってたりしたと思うんです。でも今はもっとシンプルに、自分たちがいいと思えるもの、もっとわくわくしてもらえるような曲、ライブ、活動をやっていけばいいし、それを応援してくれる仲間が増えたなというイメージですね。だからやり方は変わってないですし、インディーでやってきて、自分たちのスタンダードができているという感じはします。
上杉研太(Ba・Cho):ずっとインディーで武道館やってアリーナやって、そうやってきた自分たちの軸のまま、このボールをもっと遠くに投げるにはっていうところを考えた時の一手が今回の再契約だったという。だから単純に「でっかいエンジン積んだ」感じなんですよね。同じ直線上にある、一番健全な歩み方なのかなと思います。
――それは今回のシングル『ハイライト/ひとりで生きていたならば』を聴いてもすごく感じます。ここまでの話を証明するような、今まで以上のストレートだなあと。
柳沢:まあ、順番的には「ハイライト」はメジャーで出すシングルのために書いたというわけではなくて。もともと2019年はリリースをしないっていうことをメンバーで決めていたんです。そのぶん、始めてのこととして同じ街でライブハウスとホール両方をやるっていうツアーを回っていたんですけど、リリースがないぶん実は結構ツアーの以外の時間はあって、曲をちょこちょこ作ってはいたんですね。「ハイライト」はその中でもわりと序盤、去年の今ごろの時期にはできていたんです。
――そうなんですね。
柳沢:去年は15年目のインディーズバンドとして、15年経ちながらもまだ新しいことができているという喜びを噛み締めながらツアーを回っていたと思うんですけど、その中で「この先もずっとこういう、人生においてのハイライトとなるような出来事を絶やさずにひとつでも多く作っていきたいな」って気持ちでできたのが「ハイライト」で。それ以降に今回のメジャー再契約の話が一気に具体的になっていったんですけど、その1枚目をどうしようかという時に、この「ハイライト」という楽曲は今SUPER BEAVERというバンドを表わすのにふさわしいんじゃないかって、わりと満場一致で入れることに決めたんです。それと同じタイミングで映画の主題歌のお話をいただいて作ったのが「ひとりで生きていたならば」で。できたのは去年の秋口ぐらいでしたけど、その、映画の主題歌として書き下ろした曲と「ハイライト」、多面的なSUPER BEAVERを最初の軸として提示したいよねってところで、両A面シングルという形にしたという。