坂道シリーズにも訪れたドキュメンタリー映画ラッシュの時期 “アイドル”というジャンルを省みる好機となるか

 一方、グループにとってこれ以上ないほどのインサイダーが監督を務めた作品もまた、舩橋とは異なる仕方で、アイドルグループという営為の複雑さを解体してみせる。HKT48の『尾崎支配人が泣いた夜』は、48グループ全体でも際立った存在であった指原莉乃が「監督」にクレジットされている。必然的に指原自身も被写体となる同作だが、当時HKT48内で特権的な立場にあった彼女は、単にグループの来歴やバックステージを追うだけでなく、メンバーでありながら同時に「監督」として本作自体を構成する己の姿さえも俯瞰して映し、アイドルドキュメンタリーにおいて「何を見せ、何を見せないか」を思案するさままでを解体して見せている。

2015年公開予定 「DOCUMENTARY of HKT48」 / HKT48[公式]

 そこで交わされるやりとりからは、アイドルグループの一員として生きる者たちばかりでなく、すでにグループから離れ、「アイドル」以後の人生を送る者たちのスタンスをいかに尊重するかについての、彼女特有の平衡感覚がうかがえる。「監督:指原莉乃」は、このような自身の模索までをあえて開示することで、各メンバー・元メンバーの人生における「アイドル」期の意義をより長期的な観点から見通すような視野を提供する。それは、受け手を刹那的な熱狂から一歩引いた場所に置き、消費のありようについてごく自然に再考する機会をもたらすものだった。

 こうした奥行きをもつドキュメンタリー映画群は、必ずしも全方位にわたって受け手を心地よくさせるわけではない。しばしばその手触りはうしろめたく、ときに熱狂に水を差し、あるいは観る者の居心地を悪くさせる。しかし、その居心地の悪さへの対峙はおそらく、アイドルというカルチャーを享受するうえで忘れてはならないものだろう。パーソナリティの消費を不可避に背負い込むジャンルであるだけに、一見してファン向けのコンテンツとしてある公式ドキュメンタリー映画が、このジャンルそのものを省みるための好機を提供していることは重要である。

■香月孝史(Twitter
ライター。『宝塚イズム』などで執筆。著書に『「アイドル」の読み方: 混乱する「語り」を問う』(青弓社ライブラリー)がある。

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