渋谷すばると錦戸亮、グループから離れ新たなスタート地点に ソロ活動からみえるそれぞれの音楽表現
長きにわたり関西出身の7人のメンバーで活動してきた関ジャニ∞。渋谷すばるが、ジャニーズ事務所を退所することを発表したのが2018年の4月(表立っての活動は7月まで行い、事務所の所属は2018年12月いっぱいまでとなった)。その後、メンバー6人となった関ジャニ∞は2度のライブツアーを開催、15周年を記念するツアー(『十五祭』)を終えて間もなく、前年の渋谷に次ぎ、錦戸亮が2019年9月いっぱいでの退所を発表した。
両者にとって間違いなくこれまでの自分を形成するすべての礎であったであろう10代から所属した大きな事務所から巣立ち、次のステージでふたりはそれぞれ何をどのように表現していくのか。渋谷は2018年いっぱいで元の事務所所属が終了後、2019年2月末に自身のWEBサイトを開設。4月にはワーナーミュージックに所属することを発表し、10月にファーストアルバム『二歳』をリリースした。一方の錦戸もジャニーズ事務所を退所後、ほぼ0秒で(退所は9月30日、翌10月1日午前0時に)、事前の予告は全く無くソロ活動の幕開けを宣言するインスト作品「Point of Departure」の映像を世に放った。
このようにソロになって初の作品を完成させるまでのペース、楽曲の作風といった何もかもがすでに全く異なるふたりゆえ、現時点でここで容易に並べて語ることはかなり憚られる。しかし、ここ1年と数カ月に渡る関ジャニ∞の激動の先に表出しつつあるそれぞれの表現をあらためて考えてみたい。
渋谷すばる
“バンドをやるアイドル”関ジャニ∞がバンド形態での楽曲を披露する際にリードボーカルをとることの多かった渋谷は、グループのバンド表現における屋台骨を担ってきたことも確かだった。大部分が筆者の個人的な憶測になるが、彼の夢にメンバー全員を付き合わせ続けてもいけないのではないかと、渋谷はどこかで思ったのかもしれないと『二歳』を聴くほどに気づかされる。というのも、それくらい、彼が1音1音の作り込みにこだわり尽くしており、レコーディングドキュメンタリー映像からは、0から音楽を学び直したかった様子がよく見て取れるのだ。確かに関ジャニ∞のメンバー全員にとって渋谷はとても大きな存在であるし、とにかく愛されて尊敬されていた。けれども、渋谷自身としては、もちろんメンバー全員で音楽を楽しみながらやっている手ごたえはあろうとも、自分のことだけで考えてみたらこの先“音楽一本”にしぼるなかで挑戦してみたいことはまだまだあり、そのためには残り半分の人生を費やし切らなくてはならない、と覚悟を決めたのだろう。そこにメンバーを付き合わせるにはあまりにも自分を中心に置いた夢であったがゆえの、ソロ転向なのではないかということが、痛烈に伝わってくる。
彼が退所会見で話していたとおり、これまで21年にわたり大好きな音楽を“やらせてもらってきた”渋谷。グループとは別の道を選ぶという巨大な決断を経て、さらにストイックに、この先の自分の人生すべてを、音・音楽で表現してみるという挑戦を始めており、飄々としているように見えてその覚悟は崇高で、決意は固そうだ。退所発表の時点で「海外で音楽を学ぶことになるだろう」と彼が話したことも話題になっていたため、どこかの“学校”へ行くのだろうと考えていた世間の想像とは裏腹に、渋谷はバックパックを背負って東南アジアを歩き、その旅先をある種の“学び”のフィールドとして、この『二歳』を制作、完成させた。
アルバムの収録曲「なんにもないな」などでは、東南アジア(タイからカンボジアへ)の電車での旅路の中でフィールドレコーディングされたのであろう音が曲を彩る重要な要素として収録されている。“6時間、ひたすら普通電車に乗っていくだけの、けれども一生忘れられない時間を体験したことで、考え方も変わった”と、渋谷はファンクラブ向けの媒体の中で話している。これまでの人生半分をアイドルとしてやりきってきたからこそ、初めてのバックパック旅で得た新鮮な刺激によって己の中から削ぎ落とされて出てくる何かを、すべて音楽に変換してみよう、ということなのだろう。
『二歳』では1音1音を丁寧に作り込み、デモを制作。その上で、あえてアナログな手法を取り入れた。さらに渋谷は、音楽の根源を学び直し、打ち込みなどはせずにスタジオセッションを重ね生音にこだわりつつ、時にあえてシンセなどを用いた質感を混ぜ込みながら同作を制作した。その過程こそが、彼にとってはひとつの大きな学校のような体験でもあるのだろう。大好きなロックを続けるにあたり、そのルーツを辿ってみようという意志の感じられる作品になったのではないだろうか。個人的には、『二歳』から先行配信された「アナグラ生活」を聴いた時に強く呼び起こされたのは、ユニコーン解散後の奥田民生によるソロデビュー作『29』を聴いた25年前の感触だった。ちなみに『二歳』では東南アジアで出会ったパクチーを壮大なオチにもってきた「来ないで」など、渋谷ならではの笑いとロックのセンスが詰め込まれている。
歌を歌うとは、曲を作るとは、そしてそれを人に届けるとは、一体どういうことなのだろうということを0から捉え直していこうとしているーーそして、その姿自体を見せるーー。自己探求としてパンク、ロック、あるいはフォーク、ブルースのスピリットをもう一度学び直し、磨き、ピュアな自己表現として音楽作品に落とし込むことに今後も挑戦しつづけることだろう。