“当たり前”ではなくなることで再定義されるCDリリースのあり方 aikoやANARCHYを機に考える
「この値段で作れるんやったら今までは?とか思った人もいるかもしれませんが違います。マジで違うー。
ただ必至に頑張ってもがいてより多くの人に届くためにはどうしたらいいかを考えた結果です。伝えたいし届けたいし長く歌っていきたいんですー!CDをまた手に取ってほしいなーって。」(原文ママ)
aikoのシングルコレクションとなる4枚組アルバム『aikoの詩。』が「初回限定盤 (4CD+DVD)4,000円+税」「通常盤(4CD)3,500円+税」という価格でリリースされることを受けて、aiko本人がTwitterでこんなことを呟いていた。
そこから3カ月遡った今年の1月、ANARCHYの約2年半ぶりのオリジナルアルバム『The KING』のリリースが発表された。その価格は13,000円。以下は、その際にアナーキーから届けられたコメントである。
「当たり前のように誰かが僕らの知らない所で僕らのアートに値段をつけている。そしてみんな困っている。なんか不思議な気分になる。時代の流れに逆らうつもりは無いけど、一度でいいから自分が作ったものに自分で値段をつけてみたいと昔からずっと思ってた。」
圧倒的に「安い」aikoのアルバムと、圧倒的に「高い」アナーキーのアルバム。ベクトルは逆方向だが、いずれのアクションもCDに対する我々の価値観を揺さぶるという点において共通している。本稿では、これらの動きを起点として、今の時代におけるCDというパッケージのあり方について改めて考えてみたい。
「CDをまた手にとってほしい」というaikoの言葉を裏づけるかのように、音楽パッケージの市場規模は停滞傾向にある。日本レコード協会の統計によると、1998年に生産金額ベースで6,000億円越えのピークを迎えたマーケットは、2019年時点でその4分の1ほどまでに縮小した(音楽ビデオ除く)。
一方で、世界的に見れば日本は「CDがまだ売れる不思議な国」でもある。海外での音楽ビジネスおよび音楽の聴き方の主流が定額のストリーミングサービスに移行する中で、日本では「同じCDを“音楽以外の動機”(握手会、異なるジャケットなど)のために複数枚購入させる手法」が定着。もともとはAKB48がオリコンチャートをハックするために編み出した戦い方が、結果的には「CD主導のビジネスモデルを維持する装置」として作用することとなった。
グローバルのレコード協会であるIFPIの調査データによると、世界におけるストリーミングサービスで音楽を楽しむ人の比率は61%であるのに対して(調査対象となっている18か国の平均値。アメリカは68%、イギリスは56%)、日本は23%とグローバルの値を大きく下回っている(参考:IFPI)。ストリーミングサービスの浸透スピードが遅い日本の現状を端的に示す調査結果である。
「音楽を聴いてもらう」という点だけから見れば、アーティストは「CDを出さなくてはいけない」という環境にはもはや置かれていない。一方で、現時点においてCDは日本の音楽産業を支える上で必要不可欠な媒体でもある。そんな矛盾をはらんだ事態が生まれつつあるのが昨今である。