“当たり前”ではなくなることで再定義されるCDリリースのあり方 aikoやANARCHYを機に考える
ただ、そのような中だからこそ、アンビバレントな状況を楽しむかのようなチャレンジも生まれている。
たとえば、冒頭で取り上げたaikoとANARCHYのケースは、もちろん「ビジネス上の要請」という側面もあるように思われるが(コアファンの客単価を高める、ベスト盤は制作費がオリジナルアルバムより低い、など)、「アーティスト側が値付けの自由を獲得するきっかけ」になるかもしれない。
CDが日本の音楽市場の中心になったタイミングから最近に至るまで、「1枚3,000円ほど」という価格の相場はずっと変わってこなかった。どんなにこだわってコストをかけても「CDというものは大体このくらいの値段」という固定観念から逃れることは難しかったが、CDが今後「当たり前にリリースされるもの」ではなくなっていく中で「だったら今までの慣習にとらわれる必要もないのでは?」という発想がさらに出てくるのではないだろうか。
また、ストリーミングサービスで手軽に音楽が聴ける時代にCDというパッケージを購入するというのは、ちょっとした「非日常」「ハレ」の行為になりつつあるとも言える。そういった状況そのものを踏まえて、CDを買うに至る体験全体をコーディネートしてその作品世界を立体的に伝えようとする取り組みもさらに登場するように思われる。
これまでの例で言えば、2016年に大きな話題を呼んだHi-STANDARD『ANOTHER STARTING LINE』の事前告知なしでのCDショップでの発売は、バンドの復活をより盛り上げただけでなく、リアルな場での実感を大事にするグループのステイトメントを明確に伝えるものでもあった。JポップのミックスCDでヒットを飛ばすDJ和が自身のCDをサービスエリアでDJの実演をしながら販売するのも、「世代を越えて楽しめる」「音楽を聴く人同士のコミュニケーションを誘発する」という作品の価値を伝えるうえでの必然的な施策である。
スマホで音楽をいつでも聴ける「便利さ」とは異なるベクトル、売る側も買う側も「手間」をかける、そしてそこに意義が生じるという音楽の届け方を志向するうえでCDは重要な役割を果たす可能性を秘めている。ちなみに、海外ではこの役割をアナログレコードが担いつつあり、日本でもその兆しは見られるが、現状の日本においてはまだまだ「ニッチな音楽ファンの楽しみ方」の域を出づらい。いまだ広く馴染みのあるCDという媒体に特別感が付与される、という状況にこそ意味があるのではないかと思う。
日本の音楽市場におけるストリーミングサービスのシェアもようやく10%を越え、「アーティストにとってのCDのリリース」「音楽ファンにとってのCDの購入」がルーティーンではなくなる流れが遅ればせながら顕在化してきた。これまでの「当たり前」「普通」が相対化されるタイミングだからこそ、様々な創意工夫の生まれる余地がある。2010年代を席巻した「接触とCD販売を組み合わせる手法」は音楽の価値を高める方向には必ずしも働かなかったのかもしれないが、この先「CDがあるからこそ楽しめる音楽のあり方」が時代のあり方に合わせて定義される流れが生まれていってほしい。
■レジー
1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が音楽ファンのみならず音楽ライター・ミュージシャンの間で話題になり、2013年春から外部媒体への寄稿を開始。2017年12月に初の単著『夏フェス革命 -音楽が変わる、社会が変わる-』を上梓。Twitter(@regista13)