『LUNATIC FEST. 2018』は2回目にして“安心高品質フェス”に 市川哲史がその画期性を解説
6月23・24日に幕張メッセで開催された『LUNATIC FEST. 2018』――要は『第2回ルナフェス』を観た。今回はWOWOWの生中継で。するとなんか嬉しくなった。
巷のネットニュースや音楽サイトでは、「YOSHIKIやTERUと絡むRYUICHI&SUGIZO」の図やら、「TAKAHIRO(EXILE)にマオ(SID)にTERUとハモるRYUICHI」の図やら、「YOSHIKIの伴奏で“紅”を熱唱するRYUICHI」の図やらばかりが取り沙汰されていたが、私にとってそこらへんはどうでもよかったりする。
あ、具体的かつ詳細な内容が知りたければ、こっちのレポート記事を読んでください。(今年は“横の軸”広がるラインナップに LUNA SEA主催『LUNATIC FEST.』1日目レポ/『LUNATIC FEST.』は今年も予測不可能なフェスだったーー“飛び入り参加”多発の2日目をレポート)
3年前の前回。2015年6月27・28日にLUNA SEAが同じメッセで主催した『LUNATIC FEST.』は、いま思い出してもつくづく画期的だった。
LUNA SEA本人たちをはじめ、BUCK-TICK、X JAPAN、GLAYといった90年代のV系黄金時代を築いた顔役のみならず、〈V系の始祖鳥〉DER ZIBETにDEAD ENDや、かつてYOSHIKIが主宰したインディーズレーベル<エクスタシーレコード>の人々、そしてV系を海外に知らしめるなどゼロ年代以降のシーンを闊歩したDER EN GREYやMUCCなどが一堂に会した、日本初の本格的なV系フェス――。
しかも誰に頼まれたわけでもないのにLUNA SEAは『エクスタシー・サミット』(※1988年~1992年の間、X JAPPAN、LUNA SEA、LADIES ROOMらが集結したライブイベント)にせよ『LSB』(※1994年LUNA SEA、SOFT BALLET、BUCK-TICKで全国5都市にて開催)にせよかつて自らが参加する機会に恵まれた、いわば〈V系遺産〉をリニューアル公開することで、V系シーンごとひっくるめて自分たちを総決算した。
我々にとってはすっかり日常的風景だった〈V系と呼ばれたロック〉は、「自分がかっこいいと思えたらそれでいいじゃん」的な我儘な美意識が命だ。だから「何でもあり!」とばかりに、音楽性も世界観も詞も曲も音圧も音数も音量も技量もダイナミズムも衣裳も化粧もステージングも宣伝も演出も、すべてが足し算を重ねて過剰に濃くなった。つまりあの豪快にして緻密な盛り盛りバンドアンサンブルは、〈V系と呼ばれたロック〉の先天的な特徴でありスキルであり、宿命なのだ。
しかしあれから幾星霜、〈洗練〉という名の軽量ポップミュージックに慣れきった若い耳に、そんな〈V系の哀しい宿命〉はどうやら〈V系だけの圧倒的なスペック〉として激しく突き刺さったように映った。
思えばV系には、ドーム公演を満員にしようがアルバムを軽くミリオン売ろうが、同業者からも世間からも不当に過小評価されてきた、哀しい歴史がある。当該バンドマンたちの〈ネタ化必至の伝説〉大量製造マシーンぶりも、火に油を注いだ気がする。
それでも2015年初夏のあの一大集会の大成功により、実はその「鬼っ子」V系が〈人力ロック〉の醍醐味を守り徹してきたという、歴史的貢献が明らかになったわけだ。
加えて、「メイクしていようがなかろうが、見かけは全然V系っぽくなくても俺たちの影響を受けてる連中が、これだけいるんですから」的な、SUGIZOおよびLUNA SEAのプライドを証明してくれた、凛として時雨や9mm Parabellum Bulletなどのいわゆる邦ロックバンドたちの、少年のようなステージにも嬉しくなってしまった私だ。
ちなみに、そんなV系レガシー再評価の機運を高めた『ルナフェス』の成功に激しく嫉妬した(であろう)YOSHIKIによる、2016年10月14・15・16日『VISUAL JAPAN SUMMIT 2016』(『VJS』)@幕張メッセも、記憶に新しい。
こっちはもう、とにかく〈V系〉を名乗るバンドならメジャー/インディーズやキャリアや実績を問わずびしびし出場した、まさに怪獣大戦争的な一大ロックアトラクションだった。YOSHIKIらしいアバウトさを含め。しかしこのフェスの最大の功績は、実は他にあったように思う。たぶん偶然だけど。
かつて金爆の歌広場淳が、XやLUNA SEAやL'Arc~en~Cielといった90年代にV系黄金時代を築いた〈オールドスクール〉たちを指して、「神」と呼んでいた。そしてネットやSNSの普及でユーザーとの距離が圧倒的に近くなり、素の自分を積極的に情報公開するしかないゼロ年代以降のV系バンドにとっては、もはや「神」以上に遠い存在だったはずだ。
しかしこの『VJS』では、インディーズ&ライブハウスが基本のビジネスモデルで、成功体験の規模もぐっと縮小したゼロ年代以降の彼らが、その神たちと〈同じV系バンド〉として同じステージに立つことができたのだから、まさに貴重な体験だろう。
もっといえばゼロ年代以降のバンドにとってもバンギャにとっても、かつてのV系と現在進行形の〈自分たちのV系〉が繋がっていることを初めて実感できた瞬間だったと思う。
世紀を跨いだV系のミッシングリンクがようやく、埋まったのである。