映画『恋は雨上がりのように』音楽面に注目 ミュージシャン起用の仕方の特殊さを考える
というのが、映画『恋は雨上がりのように』の音楽のあらましになるわけですが。僕がこれらの何に驚いたのかというと、音楽が、以上のような布陣であること、以上のような作られ方であることが、“特にアピールされていない”、ということだ。
の子とmono、忘れらんねえよ柴田、スカート澤部が参加していることが、「みなさん、こんなミュージシャンたちがスコアを書いてますよ!」というふうに喧伝されていない。もちろん情報としては公開されている。普通にクレジットされているし、必要な説明はされているが、それだけ。気になって映画のパンフも買ってみたが、やはり、簡素に事実関係が書かれているだけだった。つまり、話題作りとか、ロックファンにアピールしたいとか、そういうつもりがない、ということだ。
じゃあなんで頼んだのか。この映画の音楽はこの人たちの手を借りて分業制で作りたかった、だからそうした、ということなのだろう、単に。三浦ゴロー以外の作家の色も入れたかったのか、それともたとえば柴田に「映画の音楽全部やってください」というのはスケジュール上無理だけど、ワンシーンならできるよね、みたいな理由だったのか、それ以外に事情があったのかは知らない。知らないが、そんな自然な、“特にアピールしない”佇まいに、かえって、これは何か書いておかなくては、という気になったのでした。
ちなみに、人によって感じ方は違うだろうが、僕が映画を観た印象では、柴田も、の子&monoも、澤部も“映画の劇伴を作る人”に徹しているように感じた。要は己のカラーを出すとかよりも作品がよくなることを念頭に置いて仕事をしている、ということだ。正直、クレジットを見なかったら、彼らが作っていると気がつかなかったかもしれない……わかったかな? いや、自信ないです、やっぱり。
■兵庫慎司
1968年生まれ。音楽などのライター。「リアルサウンド」「SPICE」「DI:GA online」「ROCKIN’ON JAPAN」「週刊SPA!」「CREA」「KAMINOGE」などに寄稿中。フラワーカンパニーズとの共著『消えぞこない メンバーチェンジなし! 活動休止なし! ヒット曲なし! のバンドが結成26年で日本武道館ワンマンにたどりつく話』(リットーミュージック)が発売中。